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こんなのは違う
落ち着いた店内。少し薄暗い中にゆったりと流れる音楽と邪魔にならない程度の話し声。
最近のお気に入りの店で、この店と出会ってからはもうずっとここばかりだ。
今夜もひと夜の相手を求めていつものカウンター席に座る。
毎夜通い続けたおかげでバーテンダーともすっかり顔なじみだ。にっこりと微笑まれ、こちらも少しの笑みで応える。
「いつもの」
「どうぞ」
注文するかしないかのタイミングですっと差し出されるカクテル。この店オリジナルのカクテルだ。このカクテルを知ってから、俺はこの店ではこれしか飲まない。
ピンライトに照らされキラキラと輝くグラスの中のキラキラ。
その中をまるでかくれんぼしてるみたいに見え隠れするキラキラの中のキラキラ。それはどこかへ忘れてきた大切な何か、のように思えた。
その小さな小さなお星さまを探しながらちびちびと味わう。そんな穏やかな時間が好きだった。
周りのキラキラが眩しすぎて、お星さまを見つける事は結構骨が折れるのだが、そこがまたよいのだ。
そんな風に過ごしているといつも誰かからか声がかかった。
最初に声をかけて来た人がその日の相手だった。
だけど、今日はいつもと違っていて誰も声をかけてこない。
何となくきょろきょろと店内を見渡してみると俺を見つめる瞳とぶつかった。
髙そうなオーダースーツに身を包んだほっそりとした、柔らかそうなイメージの男。俺よりも大分年上の――――アラフォー……くらいか。年齢を感じさせないとても美しい男だった。
どうしようか迷っていると男にふわりと優しく微笑まれ、たまには自分からいってみようと思った。
男の元へ移動し男が飲んでいたものと同じ物を男の前に置く。
「こんばんは。今夜のお相手はお決まりですか?」
「――いいえ?私は美しい花を愛でながら酒を飲むのが好きでね。いつもひとりでこの時間を楽しんでいるんですよ」
「ああ……そうなんですね。では俺はお邪魔という事か――――」
俺は来る者は拒まず去る者は追わず。
残念とわざとらしく肩をすぼめてみせ元の席に戻ろうとして、まだテーブルの上に残されていた俺の手を男がそっと掴んだ。
「え……?」
「キミは随分とせっかちだね。キミのように美しい花から声をかけられて、黙って見ている程私はまだ枯れてはいないつもりだよ」
にやりと笑う男の顔はまるでいたずらっ子のようで、可愛らしいとさえ思えた。
――――アリだな。
それからその男と酒を飲みながら会話を楽しんだ。
いつもなら相手が見つかり次第即ホテルなのだが、今日は何もかもが違っていた。
たまにはと言いながら自分から声をかけたのも初めてだったし、正体をなくすほどお酒を飲んでしまったのも初めての事だった。
男の話がおもしろく途切れる事を知らない。だからつい飲み過ぎてしまったのだ。『酒は飲んでも飲まれるな』とはよく言ったもので、まさか本当に自分が酒に飲まれて後悔する事になるだなんて思ってもみなかった。
最後に記憶しているは男の「それは光栄だな」という柔らかな声と嬉しそうに細められた瞳だった――。
*****
意識が浮上し瞳をゆっくり開けると、俺は見知らぬ場所でベッドに寝ているのだと分かった。部屋の様子からここはどこかのホテルだろう。
なぁんだ、記憶はないけどちゃんとホテルに泊まったんだな。路上で寝る事にならなくてよかったと安心したのも束の間、段々はっきりしていく意識の中でとんでもない事に気が付いた。今まさにまっ裸であの男に組み敷かれているところだったのだ。
という事は、酔っぱらった俺がひとりでホテルに泊まったんじゃなくて、あの男によってホテルに連れ込まれていたという事だ。
そんなつもりはなかったとは言わないが、状況が状況だ。「へあ???」というなんとも間の抜けた声が出た。
ひと夜の相手としてこの男は申し分ない。試すにはいい相手だ。問題は、どう考えてもこの男が俺を抱こうとしている事だった。
俺は今まで沢山のネコたちを抱いてきたけれど、一度も抱かれた事なんてなかった。
だって俺はタチなんだ。タチでなきゃいけないんだ――。
それなのに今日初めて会ったばかりの男に抱かれようとしている。
そんな事あっちゃいけないんだ。
先刻までは穏やかでどこか可愛らしさのようなものまで感じていたのに、今や男の醸し出すオーラのようなものは抱かれる側ではなく抱く側のそれなのだ。雄味がとんでもない。
全てを従えてしまうような強い瞳と、着やせするタイプなのかほっそりと見えた身体はよく鍛え上げられていて、彫刻のように引き締まっている。
なんでこれをネコだと思ったのか――あり得ない。飲み過ぎた酒のせい?
じわりと浮かぶ大量の汗で背中が濡れる。
こんな獣に声をかけてしまった数刻前の自分を呪った。
「百面相は終わったかな?状況は分かったかい?キミが目覚めるまで待ってもよかったのだけど、キミが早くと強請るものだから――――」
と優しい声で言うと男は瞳を細めた。
さっきまでの獣のようなオーラが今は甘く甘く胸焼けがしそうなくらい甘く感じる。
あまりの事に動けないでいる俺の額に頬に唇にちゅっちゅっと優しいキスの雨が降る。
やばいやばいやばい!
俺だってタチなのに、というかバリタチだ。なのにこの男の前では仔猫みたいにふにゃふにゃと幸せの中にいて、何もかもを許してしまいそうになるっ。
だけど――――。
俺はぎゅっと握りこぶしを作り、俺の様子を窺うように「ん?」と優し気に微笑む男のお腹を思いっきり殴った。
「痛っ!?何?え??ちょっどうしたの??」
雄味も甘味も拡散した男はお腹を押さえて俺に慌てて問うが、全部無視だ。
俺は急いでその辺に脱ぎ散らかされた衣類を掴むと素早く身に纏っていく。
「お……俺は――タチだっ!!」
そう叫んでズボンの尻ポケットに入れていた財布から万札を数枚掴みテーブルに叩きつけるように置いた。そしてそのまま一度も振り返る事なく逃げるようにして帰った。
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