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スーパータチさま
あれから何日か過ぎるがあの店へは行けないでいた。
あの男にまた会ったらどうしよう、というのもあるが仕事が忙しくそれどころではなかったというのが本当のところだ。
俺だってバリタチを名乗っているんだからあの男に何を言われても負けるつもりはない。
そう俺はタチだ。
あの男に感じた予感に迂闊に手を出す事はできない。
それがたとえ長年探し求めていた物であったとしても、無理な話なのだ。
タチとタチの恋愛だなんて――――。
自分のあそこに男のアレを受け入れるなんて事……考えただけでぞっとする。
その時の俺はあの男との事をひと夜の事とせず、恋愛として考えていた事に気づけずに、頑なに自分はネコにはなれやしないと思っていた。
それがカタチばかりの抵抗なんだとも知らずに――。
忙しかった仕事も落ち着き、あの男との出会いで僅かに満たされていた飢えがここ最近更に強くなってしまった。それをどうにかする為に迷いに迷ったがあの店に行く事にした。
できるだけ普段通りに振舞いいつもの席に着く。
いつものように俺の前に置かれるカクテル。
それはいつもよりキラキラと輝いているように見えて、目をぱちぱちと何度か瞬く。
あれ?いつものと同じ……だよな?
バーテンダーをちらりと見ても、にっこりと微笑まれるだけだった。
――いつもと同じ……て事だよな?
うーん?と何が違うのかまじまじとカクテルと見つめていると、隣りに誰かが座る気配がした。
見るとあの男で、はちみつのように甘い瞳で俺の事を見つめていた。
「――――な……っ」
思わず逃げそうになる俺の腕を男は掴み、逃げられないようにする。
「何も取って食おうという話ではないよ。私はキミと話をするのが好きだ。とても楽しく優しい気持ちになれるんだ。だからキミが嫌だと言うのならその身に触れる事はしないと約束する。だから話をする事は許してくれないだろうか?」
「…………」
俺としてもこの男と話をするのは好きだ。男の豊富な体験談とジョークの利いた話。どれもこのお気に入りのカクテルみたいにキラキラと輝いていて、俺を楽しい気分にさせた。
それでも俺はこの男に近づいてはいけないと思っていた。
何でってタチとタチだったからだ。
だけど一緒に酒を飲みながら話をするだけだというならタチとかネコとか関係ない。そしてこの男とは別に寝なくてもなぜか飢えが満たされるのだから、男の申し出は俺にとってありがたいものだった。
これは後で聞いた話だが、この男と一緒にいる俺はいつも嬉しそうに蕩ける笑みを浮かべていたそうだ。
俺は頷く代わりに隣りの椅子を引いてやった。
男は一瞬きょとんとした顔をしたがすぐに笑顔になり席に座った。
タチのこの男はこんな風にネコのように扱われた事がなかったのだろう。
これで少しは……牽制できた、か?
やはり男の話は面白く無駄にネコ扱いする事もないし、一緒にいるだけで気持ちがいい。
俺はいつのまにかこの男に夢中になっていた。
毎夜このバーに通い男と共に酒を飲み、ただ話をする。
もう誰の事も抱かないし、抱きたいとも思えなくなっていた。
そもそも俺が誰かを抱く理由はどうしようもない飢えを満たす相手を探す為だったのだから、こうやって話すだけで飢えが満たされるのなら無理して抱く必要もないのだ。今更あの事の証明なんて――何の意味もないのだし、先輩もきっと許してくれる――――。
しかし、男はモテた。男の目的が寝る相手を探しているのではないのが救いだ。男に特定の相手が出来てしまえば俺の事など相手にしてくれなくなると思ったからだ。だけどどんなに可愛く綺麗なネコから声がかかっても男が頷く事はなかった。すぐに『誰にも落ちないタチさま』の噂は広まったが、無駄だと分かっていてもネコたちが男に声をかける事をやめなかった。俺も結構なタチだと思っていたがこの男はまさかのスーパータチさまだとでも言うのだろうか。モテすぎる。
男はやる事なす事全てがスマートで、ネコに誘われる度嫌な顔ひとつ見せず紳士的に微笑んで上手に断っている。今ではこのやり取りの為だけに声をかけるネコがいるとかいないとか。
自分じゃない誰かに向ける男の微笑みに胃の辺りがざわざわとする。
男の前に置かれたグラスの表面についた水滴が、ゆっくりと滑り落ちていくのをじっとみつめていた。
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