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 翌日は気持ち良いくらいに青空が広がっていて、僕が人生を終えることを祝福してくれているようだった。  今日は仕事も休み、午前中から喫茶店へ向かう。水溜まりが澄んだ空を反射して、地上を美しくする。  喫茶店に着くと、マスターである吉川さんの前に座り、いつものようにコーヒーをいただく。 「今日も苦くいたしますか?」 「はい。お願いします」 「かしこまりました」  ここでコーヒーを飲むのも最後だ。片方の耳にイヤホンをつけてラジオを聴くおじいさんも、営業と偽って仕事をサボるサラリーマンも、学校が面倒になったのか、こんな時間に制服姿でサンドウィッチを食べる高校生も、みんな今日で僕とは関係のない生き物になる。僕は猫として、ただただ忙しない人たちを横目に、日向ぼっこをして悠々と時間を過ごすだけだ。 「お客様。お待たせいたしました」 「ありがとうございます」  マスターのコーヒーは、いつも以上に僕の心に浸透し、哀愁すら漂わせる。何事も最後であることを認識すると悲しくなるのが人の定めだ。僕は悲しさを堪えて、その美味しいコーヒーをゆっくりと飲む。  飲み終わった後で、僕は一息ついてから、マスターである吉川さんに告げる。 「マスター、『ひとときの息抜き』をください」  錆を削ぎ落とすような温風が僕に当たる。マスターは少し寂しそうに僕を見つめる。 「覚悟したみたいですね」  僕は無言で頷く。 「そうですか。では、この紙を持っていってください」  その紙を受け取って、昨日と同じ通路を辿り、冷たくなったドアノブをひねって部屋へ入る。 「織田さん。お待ちしておりました。今日ここにいらしたということは、覚悟ができたようですね」 「はい。僕はもう、人として生きる道を辞めます」  ジョニーさんは少しだけ笑みを浮かべる。 「分かりました。私は今までずっと人を助けるサービスをしてきましたから。あなたの願いもきちんと聞きますよ。では、このベッドに寝転んでください」  僕は指示通りにベッドに寝転がり、目を瞑る。 「これからは人ではなく猫として、生きてみてください」 「ありがとう、ございます」 「現在六月十四日、午前十時十九分です。それでは、おやすみなさい」  僕の魂が僕の身体から離れていく。遠く、遠く上空へと浮遊していき、やがてこの街全体を見通せるようになる。 「では、魂を猫に転生させます」  あらゆる感覚が塞ぎ込まれ、僕の魂は一瞬で真っ暗闇な空間へ閉じ込められる。
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