私は秘密を持っている 第十一話

1/1
前へ
/17ページ
次へ

私は秘密を持っている 第十一話

「そんな単純な事案については、とっくの昔に理解してくれていると思っていたがね。君が先日体験した、一連の出来事が、まさにそれなんだよ。いいかね、現代はどこの馬の骨とも知れない、しがない一般市民であっても、膨大な空き時間と興味さえ持ち合わせていれば、著名人がひた隠す、スキャンダラスな情報をひたすらに追いかけ回す権利を有する時代であるということくらいは、いくら強情な君でも、概ね賛成してくれると思う。何しろ、君自身が毎日の生活の中で繰り返し体験している通りだからね。コンビニでの長時間の立ち読みに飽きた、よれよれのTシャツを着た野次馬たちは、ある意味マフィアや新聞記者などよりも恐れを知らない、この上なく厄介な存在なんだ。交番から手の空いている警官を三名ほど派遣して、片手箒ですいすいと履いてしまうようなわけにはとてもいかない。こちらが強硬な態度に出れば出るほど、そういった人種はムキになって反抗してくるからね。『権力者どもは知る権利を守れ』などと、署名集めされる程度で済めばまだいいが、そういったイカれた人種が雲霞のごとく集まって、デモ行進がテレビ中継などされてしまったら、この種の噂は際限なく拡がっていくだろう……。そういう理由から、君がどんなに不快な思いをしようと、こちらからは助け舟を出すことは出来ない。明日からの毎日においても、これまでの日々と全く同じように、道を歩く誰もが、君の顔を無礼な視線によって覗き込んでいくだろう。そう、秘密の影を微かにでも感じようとしてね。どんな重要人物だろうが、どんなつまらない人間であろうが、君の行動や判断の全てには、興味を持たざるを得ない。汚れたカラスさえも顧みてくれない、自らの人生の虚しさを少しでも紛らわすために、この国の最大の暗がりを雨戸のほんの隙間から覗き見てやろうと、首を突っ込んでくるものなのさ。俗物というのは、心をくすぐる知的好奇心には到底逆らえないものだ。他人の影を覗き見たいその衝動をひた隠しにして生きるなど、出来ないものなのさ。え、なぜ、国民の大多数が、そのような大衆的な思考に陥ってしまうかって? それも簡単なことさ。この広い国家に無知で無能なる平民として生まれついてきた、大多数の人間にとってはね、自らの人生の年表の中には、はるか昔から、老いて荼毘に伏して棺桶のなかで焼き尽くされた後の未来においてまで、それこそ、開発されたばかりの超高性能顕微鏡でも、研究室の棚の奥から、よいしょよいしょと引っ張り出してきて、どんなに懸命に探してみたところで、結局は、その無駄に長いだけの自分史のどこからも、がらくたのような事件やイベントしか拾ってこれないものなのさ。二十年以上も実直に勤めた仕事場を、リストラによってクビになる際になって、ようやく、若い綺麗な女子社員から花束を渡されるくらいのイベントは、場合によってはあるのかもしれないがね。下層社会においては、ほとんどの勤め人が、三十代だか四十代になる頃には、自分の残りの人生の中に起こりうるであろう、小豆のようなイベントへの期待や希望など、ほとんど捨ててしまっているわけだ。見目麗しい財閥の令嬢のパーティーに連日のように招待される日々、あるいは、目も眩む札束の山を眼前に積まれて、大企業の幹部達と、これからの政界や財界・法曹界への金の流れを、薄暗い部屋の中において、少しほくそ笑みながら、声を潜めて密談するような、悪徳の沼の一番底に埋もれた、偽善と虚言のカーテンの裏側に隠された、ゾクゾクするような快楽の日々。 『自分は実直、無欲な人間でありますから、そのような上流階級さながらの呼び物には、一切の興味を持っておりません』  そんな陳腐なセリフを臆面もなしに口に出来る人間に限って、自分の狭く汚ない部屋の何処かに、高性能な望遠レンズを隠し持っているものなのさ。『いつか、これを使って貴様らの弱みを写してやる。自分が生涯泥にまみれる存在だと思い知らされた、この憎しみ、払さでおくべきか……』もちろん、こういう輩は自分の手の届きそうにない秘密を追いかけるだけでは満足できまい……。日々積もっていくストレスを発散させることが可能で、自己の欲情を満たせそうなモノにならば、どんなものにでもレンズを向けていく。 『なんですって! お巡りさん、若くてスタイルのいい女性の住む窓を狙って、この私がシャッターを何度となく切っていたとそう仰るのですか? そんなことは決してありえない……。自分はそもそも子供たちの笑顔にしか興味の持てない人間でありますし……。いったい、誰がどんな目的で通報したんだろう? これが陰謀というものだろうか……? 私が犯罪だなんて、まったく、あり得ませんぞ! どんな、嫌らしい人間にそのような行為が出来ると……。そう、私がどういった人間かといえば……、ほら、その建物の手前の松の枝に可愛らしいスズメが一羽留まっているではありませんか。私はあの小鳥を写真に収めてやろうと、この場から狙っていただけでして……』  ふん、まあ、恥の上塗りになっても構わないので有れば、言い訳は何とでもしてみればいいがね。普段は(自分には決して身につかない)社会道徳やマナーとやらを盛んに振りかざしている、綺麗好きな人間であっても、何もかもが輝いて見える、他人の人生の影に覆われた部分については、どうしても覗いてみたくなるものさ。隣の庭の花は、まるで、絞り出されたばかりの鮮血のように、鴨肉のステーキの上に飾られたトマトのように、異様なほどに赤く見えるってやつさ。だから、マスコミ記者なんてのは、分厚い辞書を片手に、延々と頭の痛くなる文章をまとめるだけの机仕事なんて、真面目にやらなくとも、一眼レフカメラを片手に、どでかい秘密を持つと噂される人物の背後を、なるべく影をふまないように追いかけていくだけで、立派に飯を食っていけるのだろう。筋肉増強剤を飲んでから打ったって、ボールがスタンドまで届いていれば、立派にホームランになるのさ。編集者の判断でファールにされるリスクはあるがね……。どぶネズミのような醜い行為だって、それで飯を食っていけるなら、誰もが欲しがる能力のひとつになるのさ。ただ、どんなに格好をつけてみたって、怪しい人間はどう考えても怪しいものさ。巻頭グラビアに身の程知らずな水着アイドルが載っているような、安っぽい週刊誌なんかを、人目のない場所を選んで、喜んで読み耽って、それが飯のタネになり得る有用な知識だとか、政治や外交知識の情報源だと言い張れるような腐りきった人間たちは、さしたるイベントにも恵まれなかった、自分のつまらない人生のうっぷんを、他人の秘密をなるべく多く暴いていくことで、多少なりとも負け戦の憂さ晴らしに使いたいだけなのさ。見も知らぬ他人の人生が、今まさに港を出て大波に乗り出し、その行く末が燦々と輝き出したところでも、山の頂上付近においては、思わぬ小石に蹴つまずいて、そこから、一気に地下の地下まで転げ落ちて行く瞬間であっても、彼らにとっては一向に構わない。彼らにとって、著名人の身に起こる事象なんてものは、幸不幸どちらでもいい。とにかく、今、もっとも注目を浴びている人間の隠れた部分、本人が懸命になって隠そうとしている部分を、人生の前半部分においては、金や地位には、いっさい恵まれなかった誰もが、精霊の最後の滴を求めるかのように、目にしたがり知りたがっているものさ。人にいえるような資産は何も持っていない。充実した趣味も、職業的な楽しみも、従順な彼女も、何ひとつ持っていない連中は、自分でレアと思える情報を執拗に追いかけていくことでしか、自分の欲求を満たせないものなんだ。見も知らぬ他人を追いかけ回すなんざ、毎日ブロンド美女を片手に抱いて、古びた高級ワインを飲みながら、本革のソファーに座り、優雅にパイプを吹かせる人間たちには、到底理解できないような、醜く嫌らしい趣味だろうさ。だが、脳のつくりが平凡な奴らにとっては、暇な時間をとにかく金銭に変えていくことこそが何より重要だ。不祥事が発覚したばかりの政治家や企業幹部をここぞとばかりに追いかける。莫大な財産を公表した会見後の投資家の後をひたすらにつけていく。ほんの少しの甘い蜜がエルメスの小さな穴からでも漏れ出すかもしれないからね。そうかと思えば、今度は人気女優との恋愛がパパラッチされた、有名スポーツ選手を、間髪入れずに追いかけていくわけさ。その人物の半生に、本当の興味があるわけじゃない。普段は政治のニュースなんてまったく見てないし、スポーツだって、真剣に見ているといえるのは、数日に一度くらいだろう。白昼夢と戯れる代わりに、庭に咲いたヒマワリに水をあげるようなもんさ。ただ、マイクを向けられると、自尊心の塊になり、ありったけの見栄を張りたいヒーローたちの隠し事を、酒のつまみにでもしたいだけなのさ。自分の人生には柿の種ほども存在しなかった煌めく宝石を、他人の人生の中に、何とか追い求めているだけなんだよ。自分の人生の入り組んだ迷路の内部を探しに探して、どこをどう掘り出しても、石油どころか泥炭すら出てこないような連中ばかりだからね。昼間の貴重な時間に、薄暗い部屋でビール缶を片手にバラエティー番組を見て、少し不機嫌にもなり、時折ほくそ笑むだけの自分の姿に、いい加減飽き飽きしたんだろう。ただね、政治家のお偉いさんも、毎日重要な試合のあるスポーツマンも、そんな薄給の暇人たちの思惑に、いちいち付き合ってはやれない。ちょっと可愛い娘を捕まえて、喫茶店で十数分のお茶を飲むたびに、マイクを持った記者たちに取り囲まれていたら、どんなに我慢強い人間でも、さすがに鬱陶しいだろう? 本当のところをいえば、国家に貢献している人物については、私生活におけるある程度のチョンボくらいは、すっきりと見逃して貰いたいんだよ。なにせ、彼らのような超有名人たちのおかげで、この国の経済は回っているのだからね? なあ、そうだろう? 彼らの私生活は一般と比べて忙しいし、有名人ほどプライベートを大切にしたいものなのさ。舞台本番前のほんの一時間、あるいはたった二十分であっても、その一分あたりの価値は、常人のそれと比べて、桁違いに大きいわけだからね。毎朝、まだベッドの上で、恋人とゆっくり抱き合っていたい時間帯に、朝刊でも読もうかと、うっかり家の外へと出てしまい、壁の外で見張っていた、図々しいことこの上ない、新聞記者やカメラマンに見つかってしまい、顔面にマイクを向けられたり、追い回されるのは真っ平ごめんってわけでね。そんなつまらない事で、彼らが機嫌を壊したりしたら、色んな業界の人が頭を悩ますわけだろ? そのスキャンダルが勃発するタイミングによっては、世界中に衝撃が走ることになるかもしれない。わが国の名誉にだってヒビが入りかねない。隣国から嘲笑されるのだけは我慢ならない国民性だ。政権の支持だって揺らぎかねない。  そこで君の出番が来るんだよ。敵の密偵に暴かれてしまった秘密の本丸から、ひょっこり飛び出すネズミ小僧ってわけさ。マスコミの群れにすっかり取り囲まれてしまった、悪事の城から、ポンと飛び出したのが、黒装束に身を包み、秘密という玉手箱を小脇に抱いた君の姿なんだ。連中は君の行く先に騙されて、やれ、ついに秘密が飛び出したぞ、とむきになって予定していない方向まで追いかけ回すわけさ。飛び出してきたのが、本当に目も眩むような秘密に値するのかはさておいて、取りあえずは取材しておいて、コメントのひとつもとって、写真の一枚でも残しておかなければ、ライバル他社に先行を許すことになるからね。どうせ、これも無数の罠のひとつだろうと頭では理解していても、もし、この疑わしげな男を逃げるがままにしておいて、男が胸に抱いていたのが本当に国家の重要機密に関わるようなことだったら、後になって、どれだけ後悔しても追いつかないからね。君がよく目立つ赤い旗を掲げて『おおい、こっちだぞ』と、飛び出していったことによって、どんなにしつこいマスコミ記者だって、政治家やスポーツマンたちからは、一時的にせよ目を離さざるを得ない。富裕層の豪邸の周りが何事も無かったかのように静寂に包まれるわけだ。いわば、君が国家のお偉いさん方の風よけになってくれているわけなんだ。まったく、これはいい目くらましさ。君ってやつは、本当に、妬みたくなるほどに、いい仕事をしてくれているよ。高級官僚の中にだって、君ほど忠実に役目をこなしてくれる人物はそうはいないだろう。先日起こった凄惨な事件だって、まさにそうなのさ、あんな凶暴なギャングの群れが、国家の懸案を大量に抱える大物政治家や、一日何億円も稼ぎ出すような有名スポーツマンを付けていくとする。そして、思うに任せず、背後から襲ってしまう場面を想像してみたまえ。ちょっと考えただけでも、背筋が凍りつくだろう。万が一、彼らの才能をこの世から失うようなことになったら、これは国家的な損失だ。省庁のトップが記者会見で頭を下げたくらいでは絶対に許されない。我々だって事務次官や大臣に顔向けできないわけだ。さりとて、全国に数万人以上もいる、有名人本人や家族や親戚のすべてに対して、厳重な警護をつけることも出来るわけがない。予算も人員もまるで足りていないからね。だが、その点、狙われているのが、もし、君だけであるのなら、それはOKだ。君がどんなに付け回されようが、凶暴なギャングに鋭利な刃物で襲われようが、ドラム缶に詰められて、どこかの漁港へ連れて行かれようが、国家的な見地では何の痛手にもならない。言葉は悪いが、まったく予期せぬタイミングで射殺されたとしても、我が国の政治や経済の運営に与えるダメージは、ほとんど皆無に等しい。いくら体内に秘密を埋め込まれていると言ったって、しょせんは、ただの一般人なんだからね。代わりはどこからでも湧いてくる。『時給800円でいいから、俺にやらしてくれ』と、飛びついてくる連中が腐るほどいる。我々が作り出した不景気だから、それは良くわかる。つまり、反社会的な悪の組織の内部に、腕利きのスナイパーでもいるのなら、どんどん狙ってくれってわけさ。できるなら、こちらの方から、大金を支払ってでも、頼みたいぐらいだ」 「ひどい! それでは、私はただの影武者ではないですか! 国家の首脳が少しは自分の価値を認めてくれていると思っていたからこそ、その昔に、この危険な任務を引き受けたというのに!」  私はすっかり腹を立て、拳を握りしめて机の上を叩き付け、書記官に反論した。とっくの昔に牙を抜かれた自分に、こんなに熱い気持ちが残っていようとは思っていなかった。 「しかしね、そのことも、例の手術の際に納得してくれていると思っていたがね。なにせ、本来ならば、誰の相手にもされない、マスコミになんて生涯取り上げられることのない君のような凡人が、悪者にちょっと襲われたくらいで、省庁の幹部会議で、これだけ大きな扱いを受けるわけだからね。他の省庁の書記長も事務次官もみんな真っ青な顔をしていたよ。たっぷり余裕があったのは、私くらいだった……。まったく、秘密様々というやつだよ。先日の一件だって、我々はあの結末を必死に隠したつもりだったのだが、実は、一部の週刊誌の記者に嗅ぎ付けられてしまって、『T氏、ついにギャングに襲われる! 長年隠されていた秘密、ついに暴かれたのか?』と、大見出しを打った雑誌もあったくらいなんだ。もちろん、我々が背後で動いて、大金をばら撒いて、すぐにその火を消したがね。今回に限っては、相当金を使わされたよ。猛獣に襲われて、殴り倒され、すっかり気絶してしまった君の全身写真を写真に収めてしまった記者だっていたんだ。まったく、ああいう命知らずのカメラマンというのは、他人の身の危険にかまけて、自分の命がどうなってもいいと思っているのかね? フィルムを高値で買い取る交渉をして、そのすべてを揉み消すのは、実際、大変な作業だったんだ。だが、正直なところはどうだい、一般大衆に身分不相応に騒がれるってのは? けっこう、気持ちのいいもんだろう? 君が何の秘密も持たないで、人生の道を歩んでいたとしたら、仕事中にどんな大きな手柄を立てたところで、それは上司やその家族が一晩喜ぶ程度で終わり、新聞記事には一生ならないだろう。ちょっとした臨時ボーナスくらいは出るかもしれんが、それだって、貧乏人の一生を激変させるような金額じゃあない。恋人と日本海にそそり立つ岩壁から海に飛び込んで、心中でもしてみせるなら、社会面に空きがあるなら数行の記事にはなるのかもしれんが、自分の命までかけて、その程度じゃ嫌になるだろう? しかも、魂が死んだ後じゃ、どんなに騒がれたところで、当人にとってはまるで意味がないわけでね……。寂しい話だが、海辺に漂う泡を掴もうとするものさね。ところがだ、あの秘密を持たされた途端に、今の君の輝き方といったら、どうだい? まるで国家の重要人物のようだ。毎日のように新聞雑誌が君を書き立てる。街を行く若い女性は、みんな君のことを噂をしている。『あの人が例の秘密を持っている人よ、誰も知りもしないことを、その胸に秘めているなんて、なんて素晴らしいんでしょう!』みんなが羨望の眼差しで君の横顔を見ているわけだ。会社にいても、ひとりでアパートにいても、君はヒーローのままだ。他社に先駆けて、大ヒットした新製品を開発した研究者だって、君ほどはモテていない。いずれは、大企業の幹部にでも、なりたいのかい? まあ、好きにしたらいい。だがね……、もし、万が一、君がその秘密を捨ててしまうことになったら……。もちろん、我々の力でそう仕向けることも出来るわけだが、そういう事態に陥ったら、その瞬間から、君は元の無価値な自分に戻ってしまうんだよ。赤いマントを剥ぎ取られたスーパーマンになってしまう。それでもいいのかい?」 「それは困ります! 私にだって、この国最大の秘密を守っているというプライドがある」  私は顔を真っ赤にして即座に反論した。悔しくて仕方ないが、すべては彼が述べた通りだった。秘密を持たない私には、誰しも何の価値も認めてくれないのだ。場末のカレー屋の隅の席に居座り、スポーツ新聞を読みながら、誰にも声をかけられず、一人寂しく夕飯を食べる生活に戻るのは、まっぴらごめんだった。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加