私は秘密を持っている 第一話

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私は秘密を持っている 第一話

 この文章の冒頭において、単純明快にこう伝えておこう。私は大きな秘密を持っている人物であると。  常人の観点から見れば、身の毛もよだつような、その恐ろしい秘密は、全人類の中で、唯一、私だけにもたらされたものである。ただ、自分の意思によって手に入れたわけではない、ということも付け加えておこう。もう少し、深くこの問題について紹介するとなると、まず、生まれ持ったものではないということである。誰にも漏らせぬ情報という性質上、これを埋め込まれた際の記憶は、ひどく曖昧である。この眼には決して見えぬ、きわめて狂おしい、秘密という名のカプセル(肉眼で捉えたわけではないので、別の形をとっているかもしれない)は、まだ若かった頃、つまり、社会の暗い部分についての知識など何も持っていなかった頃、会社からの帰り道に黒覆面をした何者か数名に突然拉致されることになり、そのまま、目隠しをされて遥か遠い謎の施設にまで運ばれてしまった。そこで手術室の診療台の上にきつく縛り付けられ、我が身体の内部に乱暴に植え付けられたものである。手術の際には、強力な麻酔や睡眠薬を嗅がされてしまったので、自分の肉体のどこにそれが埋め込まれたのかを確認することは出来なかった。果たして脳なのか、それとも、心臓のどこかの部屋か? そのことを誰に聞こうにも、関係者はその後、皆口を塞いでしまったのだ。  もちろん、私の体内にのみ生きている、秘密という名のその内容は、世界中の理性がひとつ残らず驚愕するようなものである。もし、私が突発的に何らかの気まぐれを起こし、あるいは前触れもなく気が触れて、法に触れるような違法薬を服用して、半ば狂乱状態に陥る中で、これを公表するようなことになれば、この地上に生きている、すべての人間の常識は覆されることになる。まあ、常識などというものは、元々、思い違いや誤解の積み重ねである場合も多いが……。とにかく、この秘密だけが持ち得る、あまりの破滅的な恐怖に、想像を絶する不条理に、秘密を発明して作り出してしまった、人間たちの心の醜さに改めて言葉を失い、大多数の民衆は震えおののくことだろう。そして、これは奇妙なことでもあるが、人類はなぜか一斉に思考の矛先を統一して、瞬く間に縛られた束となり、これまで当たり前であった人類の常識を根底からひっくり返すような、恐るべき秘密を何の前置きもなしに明かしてしまった私の所行を真っ先に非難することだろう。 『偉そうなことを言うな! そんな意味深なことを語っているのは、何もおまえだけじゃない。ある程度の知能のある人が学業を終えて社会に出れば、数年ほどの体験で、誰だって、秘密の一つや二つぐらいは持ちえるんだ!』  私が聴衆の前でおもむろにこの説明を始めようとすると、あなた方は常々そういった反論をなさる。しかし、それは秘密という単語の用法を、いささか取り違えているのだ。秘密という概念について、皆さんがまず思い浮かべるのは、嫁さんに隠れて隣家の未亡人と浮気をしてしまったとか、羽目を外した飲み会で酔っ払って帰宅した際に、思わず隣人の住宅の前で、彼らが飼っている高価な犬を気まぐれに蹴飛ばしてやったら、血を吐いてひっくり返ってしまい、そのまま死んでしまったとか、ギャンブルやりたさに会社の運営資金を数億円単位で横領してしまったとか、その程度のことでしょうが。それは誰もが、人生という長大な道のりを歩むうちに、いつしか心の奥に作り上げてしまう可能性がある、他人には見せられない弱みというものであり、絶対的な秘密ということにはならないのだ。もっと言えば、ある日、あなたさえ突然の病により吐血して、数日のうちに死んでしまえば、そのネタを追う価値すら無くなり、密かにそのことを握って利用しようとしていた、他の誰もが真っ白に忘れてしまえる、非常に小さく、価値もなく、完全にくだらないものである。 『じゃあ、おまえが隠し持っている秘密とやらは、いったい、どんなものなんだ? 金銭に換算すると、どのくらいの価値があるんだ?』  自分の内部のデータに価値を見出せぬ、哀れな貴方がたが、次にこのような質問を繰り出すことは、すでに目に見えている。言うまでもないが、私が胸に秘めている機密情報は、大国がその国家予算のほとんどをつぎ込んだとしても、確実に手に入れておきたい内容を含んでおり、その価値は数十兆円以上ともいわれており計り知れないわけだ。皆さんがその内容の詳細を話せと焦るのも無理はない。おいおい、その秘密の内容を、この文章の中で詳しく語っていくつもりである。  私は毎朝六時頃にベッドから起きて身支度をする。テレビのニュースで一応の国内情勢を確認して、ドライヤーの熱風を軽く髪にあて、紺の背広を着て、安月給の会社員にはお似合いの、ありふれた色調のネクタイをわざわざ選んで、締める。そして、苦いコーヒーを一杯口にして、意識をはっきりと覚ます。家のドアを開ければ、戦闘はすぐに始まるからだ。ニュースのアナウンサーは数分前のリハーサル通りに、一度も吃ることなく、今朝にかけて編集されてきた、一通りのニュースを読み終える。彼は最後に、『昨日も千葉県在住のT氏は、その胸の内に隠し持つといわれる秘密を誰にも打ち明けなかったようです。今朝も状況に変化なしです』などと、そのクールな表情こそ変えないものの、いくらか残念そうな声色で全国民に向けてそう告げるのだった。私は(世間が自分を常に意識していることの証拠でもある)そのセリフを、自分の耳ではっきりと聴くと、誰にも知られぬように静かにほくそ笑み、テレビのスイッチを消すと、昨日のうちに丹念にワックスをかけて磨いておいた、自慢の革靴を履いて、大きく息を吸い込み、強い決意と共に吐き出し、それから、家のドアをゆっくりと開けた。だが、朝陽の光を拝むよりも前にドアの外では、この瞬間を、今か今かと待ち受けていた各局の取材陣が、私の身にまさに触れようかという距離までどっと押し寄せてくる。彼らは乱暴に私の腕を押さえ付け、半ば強引にその場に押し留めようとする。我が国も民主主義を名乗ってすでに七十年以上。こんな人権無視が本当に許されるのだろうか。目的の人物がいっさい身動きがとれなくなると、自局のマイクを乱暴に顔に押し当ててきた。「Tさん、ようやくお出かけですか? 秘密はどうなさいました? 家の中ですか、それとも、外ですか? いい加減に何かおっしゃってください!」「これから、どこへいらっしゃるのですか? 法務省の長官が貴方と秘密裏にお会いしたい、という意向を漏らしておられましたが!」などと、次々とがなり声をあげる。社会の底辺を歩む、名もなき人々には、想像もできぬ展開であろうが、世界有数の著名人の生活とは、目が覚めてから十分も経たないうちにこういう展開になるのである。 「今日、あなたがたに発表すべきことは何もありませんから、いっさいのコメントは致しません。ご近所の住民の迷惑にもなりますので、速やかに解散して下さい」  毎朝のようにこういった窮屈な思いをするたびに、マスコミの横暴に対して、いくぶん声を荒らげて、論理的な警告として、そう言い放ってやるわけだ。本当は鼻づらを思いっきり殴ってやりたいところだが、それをやってしまうと、こっちの負けとなる。まるで、日中はヒマでしょうがない主婦層のような激しい好奇心により、周囲を幾重にも取り囲んでいる、マスコミ記者たちは、その顔面に殺虫剤をかけられたくらいでは、誰も納得などしない。『わかりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした』というセリフはついぞ聴いたことが無い。自分だけが、自社の新聞だけが、どんな汚い手法によってでも、特ダネをもぎ取って、他社を大きく出し抜いて、誰も知り得ぬ秘密を、今日こそ書き立ててやるのだと暴れ馬のように息巻いている。私は仕方なく雲霞の如く群がる報道陣たちを両手でぐいぐいと押しのけて、強引に進むことにする。彼らも少し押されたくらいでは、簡単には引き下がらない。分厚い人間の壁をさらに造りあげて、私を二重三重に取り囲む。 「なぜ、秘密を明かしてくれないんですか?」 「なぜ、いつも取材を嫌がるんですか。国民はあなたの言葉を待っていますよ」 「あなたに逃げる権利があるように、我々にだって、知る権利というものがあるんですよ!」 「あなた一人で隠し持つには、余りにも重すぎる秘密じゃないんですか?」  背後からは、そのようなきつい言葉をぶつけられるが、今さら聞く耳など持つわけない。彼らに秘密という概念の重大さを詳しく説明してやったところで、どうせ理解に至ることなどなく、結局のところは『それほど重要なことなら、なおさら発表してしまった方がいいですよ』などという、こちらの希望とは真逆の結論に落ち着くことは目に見えているからだ。  私には今日だって仕事が待っているわけだ。遅刻や欠勤という存在の怖さも普通のサラリーマンと同様に知っている。いつまでも彼らの勝手な訪問に構ってやることは出来ない。マスコミの横暴な態度に感情を揺らされ、どんなに頭にきていても、暴力だけは奮わないようにしている。今日も報道陣を無理矢理左右に押しのけ、時折後方を確認しつつ、輪を抜けてやったことを確信すると、足早に駅に向かった。それでも、マスコミ記者たちは、一定の距離を置きつつ、ぞろぞろと後ろを追いかけてくる。とことん暇な奴らだ。道行く人も、私を芸能人か犯罪者か何かだと、すっかり思い込んでいるようだ。見るからに暇そうで、好奇心旺盛な主婦たちが、何かひそひそと話ながら、私の方を指さしている。毎朝、出がけには、このようなきわめて馬鹿馬鹿しい光景がほぼ例外なしに展開されるいくわけで、実は私自身も少し疲れているのだ。ただ、自分が国家から選ばれた特別な人間であり、誰にも暴かれてはならない秘密情報を体内のどこかに所持していることに、多少の優越感を持っていることも確かである。少し気持ちを昂らせながら、私を常に苦しめている、世の全ての人への嫌悪感を、なるべく顔には出さないようにして、平静を装い、今日も会社へと向かうのである。
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