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私は秘密を持っている 第十二話
「以前にも、この場で同じことをお聞きした通り、秘密を独り占めにするということの素晴らしさは、私も十分にわかっているつもりです。長年、内臓の奥に仕舞い込んで、これ見よがしに持ち歩き、周囲の凡人たちの鼻先にぶら下げてやり、多少はちやほやされてきましたからね。虚栄心と嫌らしさを剥き出しにして、過ごしてきました。ただ、他人の本心は、彼らが私を見つめる視線というのは、いったい、どうなんでしょう? 例えば……、これは例えばの話ですよ? 初春の美しい花々の咲く道端で、それは、ふとした出会いから発展します。こんな私に愛を告白しようと試みる純朴な少女がいたとします。彼女は厳しい戒律のもとでこれまでの半生を歩み、未だその肉体は汚れを知りません。聖女の卵のような存在なのでしょう。しかしですね、彼女の本心というものを、私はどのように掴めばいいのでしょう? 出会えたこと自体に、どんなに幸福を感じてみても、相手方の本性がまったく見えなければ、その愛を受け入れようもないのです。
例えば、顔も普通、性格も普通、社会人としての才覚もごく普通の、これといって取り柄のない、一介の本屋のアルバイト店員に、通りがかりの美貌の女性が突然に走り寄って、恥じらいを秘めた眼差しで、両手に抱えたバラの花束を手渡して、胸に抱えていた恋を告白したとなれば、疑いようもなく、この片想いは本物でしょう。女性の視力が使用に耐え得る程度に確かなら、少なくとも、外見や才能や資産目当てではあり得ないわけです。人生の航路に迷い迷って、一時の金策に目を眩ませたわけでもない。月給十二万の安売り私立探偵でも、それくらいは判断できます。まあ、結婚した後の生活において、多額の生命保険金を賭けられてしまうくらいのことは、起こり得るのかもしれませんが、そのくらいの愛らしい裏切りなら、人生最大の伴侶を手に入れた反動としては、十分に我慢の範疇でしょう。
『よし、君と君の企みを完全に許そう。では、たった今から、この全身から、谷川の静水のごとく溢れ出ている僕の魅力は、すべて君になったのだ』と言って、青年は喜んでその告白を受け入れるわけです。完全に盲目の愛です。言うなれば、自殺志願書にサインをするのとほぼ一緒です。道徳理論がすっかり破綻してしまった現代の恋愛劇。ただ、本人たちが『いや、何も言ってくれるな、これでいいのだ』と言っているのなら、周囲の人間たちが余計な口を挟むべきではない。焦げ臭くなってきたなら、不用意に眺めるべきでもない。望遠レンズのピントは徐々にぼかしてしまってよいでしょう。
しかしですね、私の人生においては、通常の恋愛劇と同じようには語れません。なぜなら、私の才能や外見や純資産のすぐ前には、常に秘密という高い壁が敢然とそびえています。秘密という冷酷な障壁が、いわば、半透明のガーゼとなって、私の身体全体をくまなく被っているわけです。その薄く曖昧な膜が、私の方を見据えようとしている健気な女性たちの目を、必要以上に曇らせるわけです。私の姿を必要以上に輝かせているわけです。なるほど、私はその特殊な障壁によって鮮やかに生まれ変わり、まるで、ハリウッド映画俳優のように魅力のある男に見えてしまうことでしょう。秘密というエナジーによって、男としての魅力が、それまでより、数千倍にも跳ねあがったわけです。これでは、世にはびこるほとんどの異性は、私の存在を放っておけないでしょう。まるで、宝の山ですから。恋愛対象となり得る、若く無邪気で、しかも、美しい女性たちにとって、私の元々の才能や性格なんて、そもそも、どうでもいいわけです。彼女たちの水晶の如く輝く綺麗な瞳には、そもそも、秘密の怪しげな輝きしか見えていないのです。私をこの地方で最も魅力的な、最も妖艶な魅力を持った紳士として捉えている。私とお近付きにさえなれれば、この世で最も大きな秘密と付き合っていける、という期待感しか頭にないわけです。さて、ここで私の根本的な性格に、秘密にではないですよ、玉ねぎを剥きに剥いた、一番真芯の私にですよ。近所の子供たちに慕われ、その子たちの頭を優しく撫でて、笑顔でキャッチボールをしてやれる、庶民の心をも持ち合わせた、純心な私の方です。その私に惚れてしまった女性が、もし、いたとしたなら、どうなることでしょう。さてさて、彼女も他の女性と時をほぼ同じくして、私に愛を打ち明けたとします。
『あなたを影から支えられるのは、この私だけなのよ』
そう告げてくれたとします。しかしですね、私にはその本心がまるで見えないんですよ。視力を二倍以上にまで底上げする高額レンズを購入したとしても、彼女の心はほとんど透けてくれない。魅力に満ちたその肉体は男心をくすぐるのでしょうが、時には歪んだ疑念をも呼び起こし、性欲は常に判断の邪魔となります。その愛らしい笑顔も、上品な振る舞いでさえも、疑念に揺らされてしまった私の心には、何一つ響いてこない。伝わってくるのは、ただ、ひと気のない荒野を行き交う、からっ風のような、無機質な声だけです。私の根っからの庶民的な振る舞いに惚れてしまった、純心無垢な女性がですね、都心ならどこにでもいる、金髪やミニスカート、派手なワンピース、そう、つまりは、どれも同じような外観をした、他人の秘密を暴くことのみに興味を持って動き回る、浮かれきったワイドショー女にしか見えてこないわけです。テンカラットの宝石のような、純真な心を持っているはずの彼女が、秘密だけを目当てにして、こちらへと忍び寄ってきた、悪どい性悪女としか思えないのですよ。太りきった豪華な真鯛よりも、安くて栄養のある鰯の方が私は好きよと言ってくれた彼女の、本当の心が見えて来ないわけです。そういった女性から発せられる言葉の全てを疑ってかかるわけではありません。しかしながら、頬をほんのりと桜に染めた女性からのラブレターを、この手に受け取るたびに、黒革の鞄の奥底から、CIAから借り受けた嘘発見機を取り出して検査していくわけにもいきませんからね。『ブーブー、この人は完全に嘘を言っています。本当はあなたの傍にいたい、だなんて露ほどにも思っておりません。完全に秘密が目当てです。そして、お金も目当てです。万民は皆そうですが、この女もべらぼうに心が濁っています。出直してらっしゃいー。ブーブー』ってね。私の眼前に本当の女神・巫女・聖女が現れる日までは、毎回、純粋な乙女心に期待するたびに、そのような辛辣なコメントを何度も何度も聴かされる羽目になるわけです。私は現実的な男女関係など欲しくはないのです。つまり、結論として、ここで言いたいのは、私が秘密に頼らずに、真の愛、純愛というやつを手に入れるためには、いったい、どうしたら良いのか。その辺りを秘密管理の責任者であるあなたにお伺いしたいのです」
書記官は私の長ったらしい話に、あえて嫌な形で応じるために、あるいは、すでに苛立ちを募らせていたのかもしれないが、カバのように一度大きくあくびをした。そして、こちらの主張に対しては、完全に興味を失ったかのように、ずいぶん長いこと、机の木目模様をじっと見つめながら、うつむいていた。数分後、彼は思い出したように、コーヒーカップをを勢いよく持ち上げて、一口すすった。そして、しばらくの間、すっかり放心したかのように、あてどなく天井を眺めていた。その様子は、何か複雑な思いを巡らしているようにも見えた。『うるさい奴だ、もう、ここから出ていってくれ』とでも言われそうな予感もした。やがて、回答の大枠が定まったのか、その冷たい目をこちらに向けた。
「それは愚問だね。秘密のあるなしに関わらず、この世の中のどこに目を向けたとしても、真実の愛なんてものは絶対に存在していないからだね。うん、君がこの意見を真っ向から否定したくなるのは、よく理解できるよ。君はそういうタイプの人間だ。歯車と常識の中でしか生きられないズボラだ。まあ、それでもいいだろう、とにかく、聞きたまえ。その主張だと、女性たちは、君の身体の内部に存在する秘密にすっかりその心を惹かれていて、それだけを目当にして、勘違いの恋を打ち明けている……。つまり、本当の心の外側にある偽の自分しか見てくれていない……。そのことがたまらなく嫌なんだと、それは男と女の付き合いとしては、きわめて不純であると、そう思っているわけだね。しかし、日々の天気のように絶え間なく移り行く凡人たちの心を、天界に設置された、顕微鏡を覗いて詳しく見ていくと、実のところ、その主張は世間に転がっている一般的な恋愛を語るのと、なんら変わるところはないんだ。それとも、世間の恋愛、ウォークマンのイヤホンを耳から垂らしながら、携帯電話片手にダラダラと通りを歩いている、あの頭の軽そうな若者同士による恋愛模様の方が自分より上をいっていて羨ましいとでも思えるのかね? それはまったく見る目がないよ。彼らだって、別に特別ではない。やっていることはまったく同じなのさ。世間の人間が、必ずしも、君の場合より、もっと高尚な恋愛をしているわけではない。
例えば、超人気スポーツマンに恋をした、ブロンド美女がいるとしよう。もし、そのスポーツマンが練習中に大きな怪我をしてしまい、丸二年以上にもわたり、公式の試合に出られなくなったとしたら、この恐るべき女は、当たり前のように彼を見限って、他の魅力ある男性の売り出し物へと視線を移すことだろう。君が秘密を失ってしまったときにも、これと同じような現象が起きるのではと半ば不安に思っているわけだろ? それはそうさ、確かにその通りだ。そんな時、君はまるで鼻汁を拭き終わった後のちり紙のごとく、秘密を口から吐いてしまったその瞬間に、それを他人のあざとい耳に聞かれてしまったその瞬間に、何の理由もなく、音もなく、何とも味気なく、まるで首がもげたフランス人形のように、道端のゴミバケツの中にでも、ポイと捨てられてしまうだろうね。弱みを見せた自分を省みることなく、何の躊躇もなく我が身を捨てていった女性たちを後ろから恨めしく眺めつつ、その裏切りを卑怯だとでも訴えるのかい? しかしね、それは恋愛の上では至極当たり前の結果なんだ。女性は男性の最初(出会い)の印象、つまり、一時の魅力だけに反応して、その心を動かすからね。出会った瞬間における細かい仕草や凛とした態度や喋りくちや物腰が重要なんだ。そして、自分の心を強く突き動かしてくれる相手の行動を、無意識のうちに追い求めていくものなんだ。もし、対象が自己カメラの射程内に現れたなら、意識のスイッチを押す前に、自動的にシャッターは切られるだろう。そこに複雑な思考など働いているはずはない。ただ、獲物を見定めただけなんだ。もちろん、それが現実の相手であれ、テレビや映画の中の仮想の対象であれ、彼女らにしてみれば、大して差はないわけさ。
要は対象に日々の退屈な生活に飽きた心の隙間を埋められる器量があるのかどうかだ。恋に夢を見る現代女性にとっては、現実も仮想もほぼ同じような恋愛対象となりうるからね。若き牝豹たちが、その視界に捉えた対象が、もし、大学の同級生であるならば、それは素敵な恋に違いないとか、外部から見ていて勝手に断じたりはしないだろう? 自分よりも十も若い童顔の男性アイドルに夢中になって狂い狂っている主婦たちの恋はすべて不純なのかい? 必ずしも、そうとは言えないだろう。限りなく仮想に近いわけだが、これだって立派な現実だ。しかし、そんなはちゃめちゃな恋愛を論理的に解説しろだなんて攻め立てられたら、それこそ、うんざりするわな……。そんな当てもなく彷徨う浮気な心に、いちいち、ついていきたいとでも思うのかい? むしろ、一時的にしても、長く続かない付き合いだとしても、とにかく巨額な資産を持っているとか、他人の持ち得ない才能が輝いているとか、実は、体内に秘密があるぞっていうのも、当てはまると思うのだが、そういう客観的な事実に何となく惹かれて始まった恋愛の方が、私に言わせれば至極まともに思えるのだがね。少なくとも、地面の上には、きちんとした杭が打ち立てられているわけだからね。
違うかい? それとも、こちらの言ってることがよく理解できていないのかね? それよりも、男性のちょっとした仕草や行動、人前で派手に転んでしまったときに素早く駆け寄ってきて、そっと手を差し延べてくれたとか、突然の出費に困っていたときに、何も言わずに三万円ほど届けてくれたとか、デパートの駐輪場で自転車を見失ってしまったときに、真夜中になるまで、ずっと寄り添って、一緒に捜してくれたとか、そんなことを、そんな一時的で気まぐれな行動を、恋愛の本質なんだと主張したりはしないだろうね? なんてこった! 君ともあろう者が、真実の恋愛とやらの入り口が、そんなつまらない一時の親切行動の最中にしか発生し得ないとでも、主張するわけではあるまいね? いいかね、それは、きわめて浅はかなんだよ。どこにでも転がっていそうな、くだらない肩書きに釣られて、誰にでもフラフラと尻尾を振って付き纏っていく女たちよりも、さらに浅はかな恋愛妄想症候群だ。なぜなら、それこそ、実際には、恋愛もどきの思い違いってやつだからね。そう、確かにその思い違いをこちらの武器にして、『町で酔っ払って、道端に倒れていた彼女を家まで運んで介抱してあげたら、その後、連絡を取り合う仲に発展して、意気投合してしまい、めでたく、お付き合いすることになったんだよ、もしかして、来年には結婚しちゃうかも~』って、そんなくだらない、しかも、不謹慎極まりない自慢話を、人の耳に恥じらいもなく堂々とぶつけてくる人間も世の中には少なからずいるわけだ。そんなもん、成り金男がキャバクラで札束をばらまくことで、何とか釣り上げてみせた、尻軽女との間に生まれた、究極的につまらない恋愛模様と本質的には何ら変わるところはないのにさ。本人だけはそれを何とか他人に聞かせられる美談にまで昇華しようと必死なわけさ。『俺は純愛を手に入れた。おそらくは、誰にも訪れたことがない、真の愛ってやつを手に入れたんだ』と周りに吹聴しながら、その話題に疑心暗鬼の友人を無理無理連れて、雰囲気のよい酒場を探して、街をうろついているわけだ。君がさっきから主張しているのは、もしかしたら、こういったことかね? こんなものは恋愛とは到底呼べない、ただのいい恥さらしさ。いや、本来ならば、効率の良い金策や生まれ持った才能を、とことんまで見せつけてやり、多くのライバルたちを蹴散らしていくことで手に入れた派手派手な恋愛の方が、よっぽど本質的なものさ。
少なくとも、ここには前提となり得るものがある。散々時間が経った後で、この関係がミサイルで破壊されたビルのように根本から崩壊した際に、賢明なる言い訳や証書となり得るものがあるわけだ。世の中の絶対的評価の基準が金であるというなら、金で女を勝ち取った男こそが真の勝者になるはずさ。白銀の剣と黄金の盾を備えて、すっかり肥えたその身を武装して、町民に笑われ、うしろ指を刺されながらも、高笑いしながら堂々と街中を練り歩いていくことの何が悪いのかね? 社会的権力を持っている人間が、その腕をさらに伸ばして、次のお菓子棚まで……、ついでに人気ドラマ女優さえもその手に入れようとする。視聴者の間から、どれだけの嫉妬が発生しようとも、そのまま真っ直ぐに進むべきだ。私はそう思う。なぜなら、それは理にかなっていることだからさ。ところが、人間はしばしば何もない乾燥地帯に、つまり、雨など一滴も降らず、どこからも爽やかな風が吹いて来ない場所に、突如として、雑草のようにむくむくと生え出てくる、きわめて地味な結び付きの方に、高度な恋愛観を見ようとする。
『あの二人を見てごらん。彼女がうちの職場に配属されたことで、恋が芽生えたらしいんだ。実にお似合いのカップルだよな』
『あの夜、家に帰れなくて困っていた彼女を助けようと、懸命に寄り添ってやったんだってな、まさに運命の出会いってやつだな』
そんなお寒い紹介文句を、本番の何日も前から準備しておいて、無理矢理、結婚式のお供え物にでもしようとしている。他には親族や同僚たちにひけらかす素材がまったく存在しないからね。でも、それだったら、さして仲も良くない同僚の出席なんて、まったく必要無いのにな。一番安い業者のところに駆け込んでいって、少しの金を払って、サクラでも雇えばいい。貧乏役者に頼った方が、よっぽど、普段からの友人らしく笑ってくれるだろう。まるで馬鹿な話さ! 貧乏人がどんなに背伸びしたって、今さら何も変わりゃあしない。金と美貌とに頼った派手な恋愛が5年で破局するのなら、雑草のように生えてきた地味な恋愛だって、2年もしないうちにすき間風が吹くようになるものさ。金もない、才能もない、血まみれの幽霊でも出てきそうな、乾風の吹き渡るすすき野に、にょきにょきと生えてきた恋愛もどきが、濃霧と空想に満ちた、その怪しげな効果を十分に発揮していられるのは、せいぜい一年が限度なのさ。
『あの思い出の夜は、あんなに優しかったじゃない』
『何でこの指輪は買ってくれないの? お金は余ってるんでしょ?』
数年も経たずして、そのような寂しい会話が乱れ飛ぶようになる。そうなれば、アパートの隣の部屋まで飛んでいくような、感情混じりの口喧嘩なんて日常茶飯事さ。なになに、派手な有名人同士がくっついた恋愛はすぐに別れがくるんじゃないかって? それは貧乏人だって一緒さ! 八百屋や車の整備工や警備員の家庭だって、統計をとってみれば、だいたい、同じくらいのペースで別れていることだろう。ただ、それが著名人同士の破局のように大衆の目に映ってこないのは、余りにもつまらなすぎて、全く報道されないからなんだよ。隙間風吹きまくる貧乏人同士のカップル、あの自転車を一緒に捜したことで付き合い始めた、いかがわしいカップルだって、土俵際の粘り腰なんて、まるで起こらない。終わるときは実にあっさりと終わるものさ。別れる間際に、自転車がやっとこさ見つかった夜の話を一緒にしながら、二人で涙にくれることぐらいは、もしかしたら、あるのかもしれんがね。
『あなたも、あの頃は本当に優しかったのにね……』
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