私は秘密を持っている 第十三話

1/1
前へ
/17ページ
次へ

私は秘密を持っている 第十三話

 書記官はそこで一端話を止めた。喉が渇いたのか、コーヒーを再び一口飲んだ。話に夢中になりすぎて頭が熱くなったのか、呼吸も荒くなっているように見えた。余裕を取り戻そうとしているのかもしれない。私はその機を逃さず、口を挟んだ。 「そりゃあ、あなたの言うことも一理ありますよ。世の中には、金や才能に頼り切った、刹那的な恋愛手法がお気に召す人もいるでしょうよ。恋愛への入り方は人それぞれです。キャッチボールだと考える人もいれば、最高峰の頂きへの登頂だと感じる人もいるわけです。魅力的な対象の選択肢が多いのであれば、単なる運頼みの巡り会いから、ゆっくりと派生していく愛情には何の価値もないと言い張るのも結構でしょうよ。ですけどね、そういったやり取りは富裕層が対象だったときの話ですよね? 僕にはね、他人に自慢できる資産はいっさいないんですよ。どこからかやって来た、重い秘密を背負わされているだけの、ただの一般人なんです。ある意味では無職の人なんかより、余計に立場が悪いんです。ですからね、もっと、単純でわかりやすい幸せが欲しいんですよ。国民栄誉賞が貰えなくとも『今回は、よくがんばったな!』とか『次も頼むぞ!』などと励ましの言葉をかけて頂く程度でもいいんです。成果が上がらなくとも、何十年にもわたって働き続けるサラリーマンは多いですからね。でも、あなたのような上級官吏に、私の話を理解して頂くことは無理なんだとわかりました」 「なんだ、秘密を守ることの報酬を、もっと上げて欲しいとでも言いだす気か? 少しは理解が早い人間だと思っていたが、所詮は君もそれまでの仲間たちを、奈落に突き落としてでも、安い生活費を稼ぎだそうとする、うらぶれた連中たちと、さほど変わらないわけだな。秘密の価値を上げるということは、それと無関係の人々の生きる意味を貶めるということに他ならないんだぞ。だいたい、君への報酬だって、元々、税金から支払われているだろうが……」  書記官はこの対話が始まってから、すでに十五本目にもなる、タバコの吸い殻を灰皿に放り込んでから、つまらなそうにそう呟いた。初めて出会ったときには、『君は国家に選ばれた男なんだ』と手放しで褒めてくれたものだが、私の秘密の保持期間が長きに渡るにつれて、段々とこの関係にも飽きが来たのだろう。結果として秘密を守り切ったにも関わらず、最近は冷たい対応をされることが目立つようになってきた。私がつい先ほど、『もう少し大事に扱って欲しい』と要望を出したのは、あめとムチを巧妙に使いこなす、この書記官の部下への対応を、少しでも良化してもらうつもりだったのだ。だが、私の目論見は功を奏することなく、書記官からは次のような恐るべき要望が為された。 「なあ、冷静に聞いてくれ。これは私個人の提案になるんだが……、まあ、落ち着いて聴いてくれな? 実は……、君の体内にね、もう一つの『秘密』を埋め込んでみるつもりはないかね? 規模としては、今と同じくらいと考えてもらっていい。無論、その分の報酬を足すことは約束する」 「もう一つって……、いきなり、何を仰るんですか……」 「そんなに脅える必要はないだろう……。君の体内に今埋め込まれている秘密は立派な爆弾だ。ひとたび、破裂してしまえば、どこまで被害が広がるものかは誰にも知れない。ただ、史上最悪の爆発事故といわれたチェルノブイリだって、結局のところ、ソビエト一国だけの問題で済んだわけだ。君が下手を打ったって、まさか、あれ以上の被害にはならんはずだがね。もちろん、これまでと比較して二倍の爆発ともなると、我が国の重鎮たちにとっては、十分すぎるほどに弱った事態になるがね……」 「こういっては失礼になるのかもしれませんが、貴方がたの考え方は、人命軽視に過ぎますよ。この国の首脳部の度々の失策や国会での不作法や見苦しい欲望を最大に達成するために生み出してしまった膿のようなものを、よりにもよって、何も社会の裏側の深みを知り得ない、一般人の中から選んで、生みつけてしまおうだなんて……。今だから……、いえ、記憶が消されているだけで、これまでにも何度か言ってると思うんですが、非常に短絡的であり、しかも、向こう見ずな手法だと言わざるを得ませんね。ことの重大さが少しでも理解できているのなら、何らかの重大事の際には、ご自分でマスコミの前にお出でになられれば良いと思うのですが……」 「君にもう一つの危険を背負ってもらうことは、絵空事だとは思っていない。危険な爆弾をひとつ背負えた人間なら、もう一つ抱えることも十分可能だ。かつては、見るに堪えないほどの責任を背負わされて、最後は巨大な秘密ごと塵芥と化した人間もいたわけで、あそこまで悲壮感を漂わせてもらえれば、同情の涙一粒くらいは流してやろうじゃないか。君が持っている秘密は、重要ではあるが、言い換えれば、まだ、ほんの一つじゃないか。この程度で人命軽視だって……? お門違いにもほどがある……」  書記官はすっかり呆れたように顔を背ける仕草をすると、天井に向けて、かったるそうにたばこの煙を吐き出した。何を追及されようと、自分の関与を否定するつもりらしかった。 「いつのことだったかは、今では分からないですが、私の体内に初めて秘密が埋め込まれたとき、貴方は『国のために決心してくれてありがとう、本当にありがとう』と涙ながらに語って、両手を強く握りしめてくれたじゃないですか。ああいう態度も実際には嘘千万で、偽善のみの行為であり、予定通りの演技でもあり、本当はご自分の秘密をこちらに擦り付けたことを喜ぶ、安堵の涙だったわけですか?」 「そこまでは言ってないよ。今でも君には十分に感謝をしている……。ただねえ、先ほども言った通り、上級社会の仕組みというのは、常に持ちつ持たれつだ。君だって、秘密を所持したことにより、周囲の人間よりも、形の上では優位に立ったわけだ。もちろん、これからも軽視はしない。軽視をするつもりはないが、一度背負うことを決めた爆弾 (責任)については、ぜひ、墓の中まで持って行って欲しい。言うまでもないが、この世界にはギブアップという言葉はない……。終局に向かう、その場面がいったいどこになるのかは、今のところ予想もつかないが、君の肉体が秘密ごと花火のように破裂して、美しく消えたとき、おそらく、私は本当の同情、本当の憐れみ、そして、本当の涙を流すことを、ここに誓おうではないか」  極度の怒りと脅えによって、足や左手の指先が細かく震えたが、そのことは、なるべく相手に知られたくはなかった。しかし、相手の鉄面皮を崩さぬままで平常心を保つことは難しく思えた。 「これまで、貴方を良き理解者だと思っていたんですがね。あるいは、底辺に生きる私を哀れんで引き上げてくれる協力者だと……。でも、実際は、秘密の契約を結んだときから、私を秘密と共に消し去ってしまうつもりだったんですね?」 「それはYESと言わざるを得ない。どこまで成長しても、何の才能も持ち得ないと分かっている君に、他人が羨むものを植え付けてやり、それだけの優越感を与えてやったのだから……。ここまで来て、反駁する必要はないだろう。君は幸せになれたんだから……」 「これまでに私と同じように秘密を埋め込まれた多くの人たちも、それを背負わされたままで、どこかへ消されたんですね?」 「そういう微妙な問いかけには、いちいち答える必要はないと思っている。私からの丁寧な返答などなくとも、君自身が一番よくわかっていることだし、先ほどから、そのことについて何度も言及しているわけだし、何人の凡人が裏社会の海に消え去ったとして、いったい、それのどこが悪いのか、私にはさっぱりわからない」 「何が悪いのかさえ、わからないですって? 秘密を生み出すのは常に権力側であり、仕舞いどころに弱ったら、それを一般人に埋め込んでしまい、そのまま消し去っているのを認めるのなら、あなた方は全員犯罪者ですよ」  私が右手の人差し指を突き出して、そこまで言ったところで、書記官は両腕を大きく広げて、『これは議論にもなりゃしない』とでも主張するような滑稽なポーズを取った。 「私がこの秘密を知り合いの新聞社に持ち込んだとしたら、あなたの顔色も少しは変わりますか?」 「そんなことをしたいのなら、一向に構わんが、そういう偽善的な行為をしてみたところで、いったい、どうなると思う? 今の社会情勢は何も変わらないどころか、世間一般に手厳しく叩かれるのは、むしろ君の方だと思うが……。なぜって、今のような厳しい事態になる前に、もし、世間一般に向けて秘密の内容を公開する義務があったとするなら、もっとも、秘密を公にできる立場にあったのは言うまでもなく、君の方なんだからね」  私は冷静さを取り戻すべく、椅子に深くもたれかかり、少しの間を作るべく大きく息を吸った。このままでは、親代わりの上司を裏切ったあげく、口先でも言い負けるという、最悪の事態で終わってしまう。 「なぜ、私がこの国の暗い秘密を知らされた一般人たちに責められねばならないのです? 悪事の全てを誰にも知られぬように生み出して、己が利益のために長期間にわたり隠し通してきながら、手持ち無沙汰になると、罪もない弱き人間にそれを植え付けて、『ほら、あっちに逃げたぞ』と、マスコミ各社に追わせる。マフィアやギャングが金の匂いを嗅ぎつけて関わってきたなら、そのままドボン。どう考えても、罪に問われて裁かれるべきはあなた方ですが……。警察と司法が少しでもまともに機能している国ならばね……」 「では聞くが、それを証拠立てるものはあるのかね? 私や他の官僚が写っている写真は? ネガは? 怪文書は? それとも、私が事務次官や大臣たちと、赤坂の高給料亭で深夜に会って、風呂敷に包んだ大金の受け渡しをしているところを誰かが見たのかね? 誰も見ちゃいない。万が一、見た人間がいたとしたら、その男は、もうこの世にはいないはずだからね。君だって、もし、秘密のことで我々の役に立っていなかったら、すでに神の国の人間のはずなんだよ……」 「では、私自身は貴方の悪事を裁判長に伝えるための、証人のひとりになりましょう。残念ながら、私の知識だけでは警察組織や政治家や法律家の中の、どれだけ多くの上級の官吏が関わっているかはわかりません。でも、もし、あなた一人だけでも訴えることができれば、マスコミだって興味を持って、それなりに動くはずです。世の中が正義へと向かう大きな流れの中で、秘密に関わった、他の官僚たちも、数珠つなぎに捕まっていくかもしれない。これなら、どうです? それでも、そうやって平静にしていられるんですか?」 「一応言っておくが、もし、私を裏切ったとしても、君は幸福になんてなれない。何人の政治家や官僚が失脚したとしても、一緒に奈落の底に引きずり落とされるだけだ。それくらいわかるだろう? 君と私の手は決して外れない鉄の鎖で繋がれている。私の悪事がばれたなら、君も一緒に監獄へ入り、高等裁判所に出廷し、どうする? 最後は荒縄の輪に一緒に首を入れるのか?」  私は一度言葉を失った。平民の立場では、どうあがいても、この国の暗部には勝てないのだろうか? 書記官はふんふんと機嫌良さそうに鼻を鳴らしながら、優越感に浸っていた。私はひどく落ち込んでいた。そこに「キャイン!」という鮮やかな鳴き声。書記官は素早く振り返って、「おいおい、だめだ、だめだ」と叫びながら、部屋の奥で大ぶりの古伊万里を後ろ足で蹴り倒してしまった、やんちゃ坊主を叱るために向かっていった。議論の声を聴きつけ、昼寝から覚めてしまった、飼い犬の突然のイタズラに、初めて困惑した様子を見せたわけだ。しかし、ほとんどの場合、愛犬に世話を焼かされるというのは、飼い主にとっては幸福感に浸ることを意味する。一緒の空気にいる存在であれば、ダメな子ほど可愛いからだ。  しかし、そのどこにでもありうる、ひと場面を目にしたとき、私は微かな違和感を覚えた。この宇宙のどこからか、真理を教えるために舞い降りてきたような神がかった気づき。自分が自分でない気がした。多分、大きな事故の後なので、記憶がまだねじ曲がっているのだろう。しかし、これは記憶の産物いうよりも、味わったことのない奇妙な感覚であった。まるで、完全に消えたはずの知識の一番底から、オムレツ職人が卵を手際よく溶くときのように、上から下まで、満遍なくひっくり返されたような気がした。どんなに筋の通った解説においても、たった一つの不純物の混入により、その当たり前は当たり前でなくなるのだ。  数分ほど、自分だけ時が止まっていたような気がする。私の細かい反応などには構わず、書記官は部屋の奥の方で日常的な作業を続けていた。やんちゃ坊主を昼寝用のベッドの中へと放り込むと、彼はすっかり落ち着きを取り戻して、ソファーまで戻ってきた。その表情には余裕の笑みこそ見られたものの、多少の動揺が見られたのだ。彼の言葉を借りれば、悪いことは何もやっていないのに。 「そう、君は私たちを訴えたいのだろう。そして、願わくば失脚させてやりたいと、そういう話だったね? しかし、それは出来ないことなんだよ。そもそも、秘密というものは単独で動いているわけではない。常にその憑依者と運命を共にしている。浮沈船とまで呼ばれていたタイタニックは、出航する間際に『もうすぐ沈没する』という秘密を、体内の奥深くにすでに備えていたわけだが、この秘密を胸に秘めていた四十代の男性は、誠に遺憾ながら、あの巨大で美しい客船と共に海底に沈んでいったわけだ。秘密とその所持者は常に運命共同体なのさ。そして、特定の個人だけが、その道から逃れることなど、決して、出来ない」 「そのくらいのことはずいぶん前から理解しているつもりです。秘密に願望を抱きすぎて破滅してしまった人は多くいるはずです。何しろ、人間の心から欲望だけを取り除くことは出来ませんからね。それが出来るなら、新しい宗教だって開けます。ただね、私が指摘したいのは、あなた方が秘密の持つ旨味、汚れのついた皮を除いた安全な実の部分、あるいは、植物学者に慎重に検討させた上で口に入れた、およそ判別しがたい高価なキノコなどを自分たちのモノにして、秘密にあたるグレイゾーンについては、安い傭兵を雇い入れて、あるいは、都会の底辺の一番哀れな人間たちを囲い込んで、彼らに圧力をかけて、とことん泣かせて、請求書を見せて追い詰めて、秘密を体内に流し込み、やがて使い道がなくなると、きれいさっぱりトイレに流したり、ホッカイロのように使い捨てたり、そうやって終わりにしているところなんです。秘密を得たいという飽くなき欲望が隠しきれないのなら、一度でいいから、リスクも一緒に背負ってくださいよ。裸足にすらならないローリスクにおいて、大臣の席まで付いてくるハイリターンなんてものが、世の中に存在していたら、宝くじの一等や16番人気の追い込み馬による大万馬券なんて、ちっとも嬉しくも面白くもないわけですよ。なぜって、あれは人生が崩れ切った人間たちによるゲーム (競争)だからです。スタート地点がすでに崖の下にあるんです。あなたは今回だけでなく、常に私だけを社会の底辺に向けて突き飛ばしておいて、ご自分はその優雅な席でくつろいでいるんです。本当に秘密を共有したいのなら、有事の際は、一緒にヘリコプターから飛び降りて下さいよ。これだけ大きな秘密を作り上げてしまった方々が、汚い部分はすべて他人に押し付けておいて、自分は遠く離れた安全地帯で報告を待っているだけだなんて、納得いきませんよ。あなた方は一流大学を卒業して、立派な試験を通ったからこそ、そこに座っているんでしょう? ならば、どんな厳しい事態にも対応できるところを立派に示してくださいよ。不測の事態が起きて、マスコミに突っつかれた際に、自分にだけは実害のないように、下辺の人間を自らが犯した罪の尻ぬぐいとして使いこなすのは、上級官僚のやることではないように思えますけどね」 「だから、何度も説明しているように、それは君に花を持たせているだけなんだよ。もし、私自らが記者会見と称して出張っていったなら、記者たちが持っているカメラや集音マイクや美人記者の視線は、全てこちらの方を向いてしまうだろう。その後に明かされていく真相の主語は、すべて我々となる。君の立つ瀬がないわけだよ。これまで苦労に苦労を重ねて、まるで、今まさに地面の下を掘り進み、監獄から脱出しようとしている巌窟王のごとく、不遇の環境からようやく這い上がろうとしているのに……。我々をこの国の巨悪と言い張るなら、少なくとも、君はそれに片腕を貸していたわけだろ? こんなに汚い手段をあれこれと用いたのに、結局のところ、主役にはなれないなんて……。あまりにも哀れだね。織田信長より滑っているよ。だからね、こちらとしては、この先でどんなに恐ろしいことが起ころうとも、目と耳は塞いでおこうと、そういうふうに決めてしまったわけだ。もちろん、その決定に悪意などはない。秘密を持つことによって、周囲の視線のすべてを独り占めして、君のその人生が、一瞬でも光り輝くものになれば、我々としても、これ以上喜ばしいことはない。何しろ、我々支配者層にとっては、この身に纏わりついてくる、そのような羨望は、まるで不必要なものだからね……。例を挙げるなら、中小企業の社長たちからの愚にもつかないお中元のようなものさ……。受け取る側の手間も考えずに、どいつもこいつも、安っぽいありきたりな物ばかり送ってきよって……、さりとて、送り返すわけにもいかないしな……」 「それは詭弁だ! あなたたちは、下々の民衆の幸福なんて一切考えたことはない。本当に大衆の生活を大切に思っているなら、発表もできない危機的な情報や事物を、自分たちの手元には置かずにきちんと発表するはず。それと、秘密という余分な邪気だけをまとめて、それを欲に釣られて寄ってきた弱き人になすりつけたりなんかはしないはずだ。あなたのやってきた汚い判断の一つひとつは、国政を司る責任など、まったく持たない人のやることだ。自分にとって、想定外のことが起きたときの隠れ蓑として、私のような、何の背景も持ち得ない、一般人をうまく利用しているだけなんだ!」
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加