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部屋に誰かが入って来た物音で僕は目が覚めた。眠い目を擦りながら、入り口を見ると眠り男が帰ってきていた。
「おかえり」
声をかけたつもりが、反応はない。
もう一度大きい声で言うと「お、おお……ただいま」と釈然としない様子だった。その様子だと妹さんは見つからなかったようだ。
「なあ……おれ今どんな顔してる?」
そう言って男は僕のほうに顔を向ける。その表情からはなにも感じなかった。笑っているのでもなく、怒っているのでもない。男にそのまま伝えると、「そうか……」と座り込んでしまった。
「なあ……おれわかったよ。妹がなんでここに来るなって手紙に書いたのか」
疲れているのか、憔悴しているようにも見えた。
「君、ここにきて何回寝た?」
「初日は眠れなかったので、まだ一回しか寝てません」
「おれは五日目になる。さっき、お前に聞いたよな。おれの顔のこと」
「はい。無表情でした」
「違う……。おれは怒っていたつもりだった」
「それってまさか……」
ここは感情を食らう工場。ここに居ることでどんどん感情を吸い取られていく、スチールジャングル。
「でも、一年くらいかかるんじゃ……?」
「完璧に消失するのが一年という話で、一年かけてだんだんと失っていくんだ……おそらく、眠った回数によって無くなる速度が変わってくるんだろう。おれに比べて君はまだ……そんな悲しそうな顔が出来る」
「そんな……だから、妹さんも眠るのが趣味なあなたに来るなと言ったんですね」
「そうみたいだな。でも、もう妹のこともどうでもいいかなとすら思い始めている……頭がぼーっとしているんだ。なあ、君。ここに招き入れておいて言うのも忍びないが、はやく出て行け。頼む……」
「でも……」
「いいんだおれは……もう、どうでも……」
それっきり眠り男は、ぴくりとも動かなくなった。目を開けたまま死んでいるようだった。声をかけても体を揺さぶっても反応がない。その時に触れた肌がひどく冷たくて、僕は恐ろしくなった。はやくここから出よう。僕はドアを開けて、ここに来た道順を遡っていく。
途中、工場には似つかわしくない木製のドアを見つけた。僕は自然とそのドアを開けた。
中には高校の同級生たちが居た。その中のひとりがこっちを見て手を振っている。
僕に「それ、もういいんじゃね?」と言ってきたクラスメイトだった。他のみんなも僕の名を呼んでいる。
「高校最後の学園祭、お前が居ないと始まらないよ」担任が言った。「君のこと、待ってたんだよ」女子学生が言った。
みんな、僕のことを待っていてくれた。
僕は人生でいちばん喜びを感じていた。
僕の胸はじわじわと感動が染み渡るように震えていた。
それは、眠りにつくほんの一瞬の心地よさにもよく似ていた。
「みんな、お待たせ」
そして僕はその光の中に、静かに、落ちていった。
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