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そして朝が来るまで僕は眠る気にならず、眠り男が帰ってきた。
「ほら、パンだ。食堂でもらってきた」と言って2つ持っているパンの一つを差し出す。
僕らは二人で朝焼けを見ながらパンをかじる。
「学校は行きたくないのか?」
「まあ、行っても行かなくても変わらないですよ」
「まあそうだな。おれは引っ込み思案だったからさ、卒業証書授与式のとき、返事が嫌で録音したものを流したんだよ。本当の返事に聞こえるように、家で何回も録音し直した。大声で何回もやるもんだから、親に叱られたよ。でもそんときのおれは真剣だった。そのおかげで誰にもばれずに成功させたんだよ」
他人から聞くと馬鹿げている。けれどそのときの彼も先程の僕も問題を解決しようと必死で考えた結果なのだ。誰にも馬鹿にすることはできない。
録音された「はい!」という元気いっぱいの返事を思い浮かべた。
「僕にも出来るでしょうか」
「出来るさ。なんなら今から練習するか?」
「はい!」
「いい返事するじゃねえか」
男はくくくと押し殺すように笑った。
僕も釣られて笑った。
久しぶりに笑った気がした。
僕は笑ってくれた男を見て、もう一度「はい!」と言おうと思った。だけど学校でのことを思い出し、辞めた。この男には僕を学校の連中と同じような目で見て欲しくなかった。
今回は思いとどまれたけど、無意識のうちに調子に乗って同じ事を繰り返してしまうかもしれない。そう思うと、僕はやはり萎縮してしまい、内側へと入り込んでしまう。さらに厄介なのは、そう自分で思っているのにも関わらず、もう一回同じ事をしたら喜んでくれるのではないか?という思考を捨てきれないところなのだ。今度は普通の「はい!」ではなく、男の耳元で叫ぶというのはどうだろう? 男はびっくりして「おいおい、元気だな」と笑ってくれるかもしれない。僕は「ごめんごめん、つい」と言いながら今度は反対の耳元で「ポン!」と叫ぶ。男はまた「ここは雀荘じゃないんだから」とツッコミを入れてくれるかもしれない。そして僕たちは親友になっていく。それなら、やっぱりもう一度ふざけてみるのもいいのかもしれない。
━━それ、もういいんじゃね?
声が聞こえ、はっとした。隣の男を見たけど目を瞑ってなにか物思いに耽っているようで、僕に語りかけている様子はない。幻聴だ、と僕は思った。あの時学校で言われた言葉が聞こえてきているのだ。僕は極力気にしないように努めた。だけどその声は僕のがらんどうな頭の中にいつまでも響いていた。ここにいれば、思い出してもこの胸の痛みを感じなくなることになるのだろうか。それならそれは、今の僕にはいいことのように思えた。
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