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嘘吐きのピアノソナタ
一〇〇文字の啓示
演奏を終えると、拍手の渦が彼女を包んだ。口から出る全てが嘘である彼女。その手は賞賛されるべきものであったと証明された。
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四〇〇文字のまじない
真っ赤なドレスの彼女がピアノの前に座ると、客席のざわめきは溶けた。
観客は期待していた。彼女がどんな滑稽な嘘を吐くのか。それをどう嘲笑してやろうかと。
彼女の口から出てくる言葉は全てが嘘で、彼女と意思の疎通を図るには、少し、コツがいる。多くの人にとってそれはただ面倒なことで、面倒なことからは人は離れるもので、彼女はいつも一人でいた。
静まり返るホールで、彼女の姿は笑いものになる。はずだった。
彼女の手から紡がれる音に、客席はただ唖然とした。
疎んでいた、嘲笑していた存在が、自らを震わせるものを表現したことに怯えた。怯えは反撃がないことを理解すると怒りに変わった。怒りは、けれど表明する術がなく、次第に諦めへと形を変え、客席は彼女の演奏に呆けていた。
演奏を終えると、拍手の渦が彼女を包んだ。その手は称賛されるべきものであったと証明された。
それは誰も幸せにしないことなのだけれど。
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八〇〇文字の呪い
真っ赤なドレスを纏った。赤い口紅をひいた。髪もセットアップし、彼女はステージへと向かった。赤は彼女を示す記号だ。着飾った彼女がピアノの前に座ると、客席のざわめきはホールの空間に溶けた。
観客は期待していた。出来事が始まるのを待ち望んでいた。彼女がどんな滑稽な嘘を吐くのか。それをどう嘲笑してやろうか。それはまさにエンターテイメントそのものだ。
彼女の口から出てくる言葉は全てが嘘で、彼女と意思の疎通を図るには、少し、コツがいる。テクニックの必要なことは多くの人にとってただ面倒なことだ。面倒なことから人は距離を置く。結果、彼女はいつも一人でいた。彼女を守る人はいなかった。
静まり返るホールで、彼女の姿は笑いものになる。
はずだった。
彼女の手から紡がれる音に、客席はただ唖然とした。
疎んでいた、嘲笑していた存在が紡ぐ音。それは心臓を掴むように響いた。人々はこの表現に怯えた。怯えは、時間の経過で反撃がないことを理解すると怒りに変わった。怒りは、けれど人々にそれを表明する術がなく、次第に諦めへと形を変え、客席は彼女の演奏に呆けていた。身動きもできないまま。まるでそこに彼女の演奏があり、聞き惚れる聴衆がいるかのようだった。
彼女が演奏を終えると、一人がパチパチと手を叩いた。手を叩く音はさざ波のようにホールに伝播してゆき、やがて全員が両手を打ち鳴らしていた。拍手の渦が彼女を包んだ。嘘しか語れない彼女、その手は称賛されるべきものであったと証明されたのだ。
演奏を終えた彼女は黙っていた。感情を顔に出すこともなく、彼女の心情は読み取れない。しかし、彼女にはわかっていた。ここで言葉を発してはならないと。無言のままピアノから離れ、ステージを去った。拍手は鳴りやまない。
彼女に別の期待を抱く人が現れるのは無理もないことだろう。幸せな結論を導き出さないこともまた、自明である。
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二〇〇〇文字の運命
彼女はいつも真実だけを口に出していた。多くの人にとってそれは「不都合な真実」であり、「不愉快な事実」だった。人々は彼女のことを嘘吐きと罵ることで自らを守り、その動きはどんどん広がって、彼女は「嘘吐き」として知られている。
彼女は赤を好んだ。真っ赤な嘘は纏うものだけ。そういう意識があったのだろう。けれど多くの人はそれを彼女が嘘吐きである証明だとした。彼女を直接知らない人々も彼女のことを嘘吐きだと考えていたし、直接知る人は彼女が嘘吐きだとより大きな声で喧伝した。
彼女は嘘吐きだとして知られている。
彼女の口から出てくる言葉は全てが嘘なのだと。
あるピアニストのコンサート。前座として彼女が登場すると聞いたとき、人々は驚きと悪い興味に包まれた。ピアニストの人格を疑う者も出た。噂が噂を呼び、チケットは完売した。ピアニストはその方面では著名な人であったが、嘘吐きと交流のある悪い人ではないか、いやいや、嘘吐きを論破したヒーローではないかと噂された。
当日。
コンサートスーツのピアニストは、着飾った彼女にそっと何かを囁いた。彼女はピアニストの目を見つめ、何かを囁き返した。
上質な真っ赤なドレスを纏っていた。ツヤの良い赤い口紅をひいている。髪もセットアップした彼女は、客観的に見て美しかった。ステージ袖でのピアニストと彼女のやり取りは、まるで恋人同士のそれのようであった。彼女はステージへと向かった。赤は彼女を示す記号だ。着飾った彼女がピアノの前に座ると、それまで乱雑にざわめいていた客席は、まるでざわめきがホールに溶けてしまったかのように静かになった。
観客は期待していた。出来事が始まるのを待ち望んでいた。彼女がどんな滑稽な嘘を吐くのか。それをどう嘲笑してやろうか。そういう自分本位な正義は、まさにエンターテイメントそのものだ。
多くの人は思っていた。彼女の口から出てくる言葉は全てが嘘で、彼女と意思の疎通を図るには少し、コツがいるのだと。テクニックの必要なことは人にとってただ面倒なことだ。つまり、距離を置く。直接彼女を知る人はただ彼女を疎んで自らを正当化させているだけだったが、直接知らない人々は、そういう事情を勝手に想像し、彼女は疎まれても仕方がないのだと思っていた。結果、彼女はいつも一人でいた。彼女を守る人はいなかった。
静まり返るホールで、彼女は笑いものになる。
はずだった。
彼女の手から紡がれる音に、客席はただ唖然とした。
疎んでいた、嘲笑していた存在が紡ぐ音。それは聴衆全てにとって心臓を掴まれるかのような響きをもって耳に届いた。人々はこの表現に怯えた。怯えは、時間の経過による馴れで反撃がないことを理解すると怒りに変わった。怒りは、けれどイスに腰掛けているだけの人々にそれを表明する術がなく、次第に諦めへと形を変え、客席は彼女の演奏に呆けていた。身動きもできないまま。まるでそこに彼女の演奏があり、聞き惚れる聴衆がいるかのようだった。
彼女が演奏を終えると、一人がパチパチと手を叩いた。手を叩く音はさざ波のようにホールに伝播してゆき、やがてホールにいる全員が両手を打ち鳴らしていた。拍手の渦が彼女を包んだ。嘘しか語れないと思われていた彼女、その手は称賛されるべきものであったと証明されたのだ。一部の人の心に浮かんだのは、彼女が本当に嘘しか語れないのだろうか、という疑問だった。
演奏を終えた彼女は黙っていた。感情を顔に出すこともなく、彼女の心情は読み取れない。しかし、彼女にはわかっていた。ここで言葉を発してはならないと。疑問を持った人に訴えかけることは可能だろう。けれど、もしそれを罵る声が大きければ。彼女の選択肢には真実を発するか無言を通すかの選択肢しかない。彼女は無言のままピアノから離れ、ステージを去った。拍手は鳴りやまない。
彼女に真実を語って欲しいと期待を抱く人が現れるのは無理もないことだろう。けれど、この町は彼女を蔑むことで安定を得ている。彼女が真実を語っても幸せな結論を導き出さないこともまた、自明である。多くの人は愚かで、受け止められない真実を、やはり嘘だと喧伝するだろう。そしてそれは彼女のことを嘘吐きとする声を大きくすることだろう。
彼女へ贈られた盛大な拍手の中、ピアニストが登場する。
ピアニストは、かつて彼女が大きな街に住んでいた頃に彼女を慕っていた一人である。その顔には自信と誇りが浮かんでいる。ピアニストは鍵盤に指をおろす。再び静かになっていたホールは紡がれる演奏をただ楽しみに待っていた。
彼女は町を出ることにしていた。ピアニストはそれを手助けしようとやってきた。ピアニストが演奏をおこなっている間に彼女は荷物をまとめ、ピアニストの機材を載せていた車にもぐりこんだ。あとはピアニストの演奏が終わるのを待つだけだ。
彼女は、去る。
真実は、去る。
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