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 揺れるカーテン、遠くから聞こえるセミの声。  外はうだるような暑さだろう。だのに俺は室内で涼むよりも癒されに重きを置いていた。 「あー、可愛い」  両脚の膝裏に手を差し入れて後ろから抱え込み、自分よりも小さい身体を堪能する。  滑るような肌は柔らかく、それでも筋肉は程よく付いていて丁度いい。少し湿っているのは汗だろう。その匂いまで愛おしくて肩口に顔を埋めた。  さすがに嗅がれるのは嫌だったようで、腕の中で身をよじられた。サラサラの髪が動きに合わせて頬を擽る。 「もう、あつい‼」 「ごめんね、亜矢くんが可愛いからつい」 「またそんな事言って! これじゃ外と変わらないじゃん」  とうとう声に出されてしまったので、抱擁を緩めた。もう匂いは堪能済である。これでしばらく頑張れそう。  小学校高学年の亜矢くんは、隣の家に住んでいる男の子だ。入学シーズンに合わせて引っ越してきたその一家は、なんだかんだで長い付き合いになる。  ことの始まりは、日が照ってうだる熱が漂っていた夏だった。通りかかった隣のポーチに座り込んでいた亜矢くんを、あわや熱中症かと思って声をかけた上で家に上げたのだ。聞けば鍵っ子だったけど、その日はたまたま鍵を忘れていたらしい。後ほど親御さんに感謝されて、そのなりゆきで家族ぐるみで仲良くなっていった。  ご近所付き合いの中に下心はなかったのだ……最初こそは。  亜弥くんは顔立ちがハッキリしていて将来期待出来そうで、そんな子が懐き甘えてきたのだ。弟を見ている感覚が、ただただ愛でていたいと慈しむ方向に舵を振り切ったのは、そんなに時間が掛からなかった。  でも誓って手を出したりはしていない。俺に対して亜矢くんは「隣のお兄さん」以上の感情など持っていないだろう。そんなところで邪な熱をぶつけて亜矢くんをゆがませたりなんかしたら、俺は俺自身を許せなくなる。小さい頃から見ていた俺は、そんな理想めいた意地で健全でいようとしていた。  ちなみに引っ付いたり抱き着くのは、共働きの両親へのスキンシップ不足を亜矢くんが零した時に代わりに俺が! と手を挙げて正当な権利をもらったからである。よって完全健全なスキンシップです。下心はない。ないったらない。  亜矢くんが顔を上げて、ホクホク顔の俺をジト目で睨む。 「リンさんって小さい僕が好きなんでしょ」 「うん、亜矢くんが好きだよ。え、何。信じられない? もっと愛情表現したら分かってくれる?」 「ひゃ、違うよ! やめっくすぐらないでっよぉ~ッ!」  可愛い子の可愛いセリフに悶絶しそうになった。鼻の下がこれ以上だらしなくなるのは、今更かもしれないけど恥ずかしくて見せられない。  照れ隠しに亜矢くんの脇を擽れば、バタバタと暴れられたけど許容範囲だった。 「わかったから!」と多分分かっていないだろう言葉を引き出した所で止める。肩で息をして脱力した亜矢くんはどこか背徳的だった。 「で、どうしたの。何か不安になった?」  邪な考えがチラついたけど、ここは紳士的にいこうと追い払った。己の欲よりも目の前にいる溺愛を慈しむことが最優先事項だ。  亜矢くんは口を開けたり閉じたりして言いよどんだ。視線もフラフラしていて、俺もどこか胸がざわつく。  ……もしかして、もう引っ付くのは嫌になったのだろうか。それは俺にとって失恋も同然だった。血の気が潮のように引いていく。  いや、まだそう決めつけるのは極論だ。例えば、俺の家が飽きたのかもしれない。代り映えないし、亜矢くんが主に触れていたのはでかいテレビと、溜まった本と抱き枕──もとい、俺だ。ゲームなんて亜矢くんの年に合わせたものはない。そりゃ飽きもしそうだ。でもそれならば改良も可能だ。 「亜矢くん。ゲームでも買おうか」 「……は?いきなりどうして」 「ほら、そろそろこの部屋も変化がいるかなって。何か欲しいものない? 今度来た時には用意出来るように間に合わせるからさ」  くりっとした丸い目が瞬く。そして徐々に据わっていくその表情は、喜んでいるというより「なんかまた言い出したなこの人」という呆れに近い。こんな時の亜矢くんもとても可愛い。  どうやら俺の予想は違っているらしい。ここでまた変に勘ぐってもから回る可能性は十二分にある。俺は詮索を諦めた。腕を回して亜矢くんを緩く抱きしめる。また暑がられないように、密着しすぎないように。  そのまま体を左右に揺らしながら伝えていく。 「俺は亜矢くんに気兼ねなくここに来てほしいの。だからさ、思うこと全部教えて?」  首をかしげてみれば、亜矢くんに顔を逸らされた。グサッと柔なハートが傷ついた。あれ、やっぱり俺が嫌になったのか? どうしよ、しんどくて真っ白になりそう。  心の中でシクシク泣いていたけど、亜矢くんがぼそっと「可愛いって」と小さく口にしたのを俺は聞き逃さなかった。 「……可愛いって、リンさんよく言うけど、さ」  よく見れば、サラサラの髪に隠れている耳が少し赤い。 「それって僕がリンさんの好み? だからだよね……僕が大きくなったら可愛がってくれない、でしょ?」  俯いていた顔から覗いて見えたのは、尖った小さい唇で。おずおずとそこから絞り出してくれた言葉に、今度は俺が目を見張る番になった。  どうしよう。きっと亜矢くんは不安で悩んでいる。ずっと俺が愛でていたものが無くなると思って。俺のせいだ。少しは反省しなきゃいけないのに、俺は嬉しくてにやけてしまいそうだった。  だってこの子愛おしい。俺からの愛情を疑って拗ねている亜矢くんが、とっても可愛い! 「亜矢くん! 俺はどんな亜矢くんでも好きなの変わらないよ?」 「……俺がリンさんよりも大きくなっても好きでいてくれる?」 「んぐぅ……っ大丈夫、もうずっと好きです……!」  思わず喉の奥が詰まった。亜矢くんの「好き」への追撃は心臓に悪かった。だがここで否定なんてできるわけがない。  腕の中で徐々に表情が明るくなって、見ているこちらもほっと肩をなでおろす。亜矢くんの手が俺のと重なってギュッと握ってきた。それだけで俺は満たされた。  にしても大きくなったら、か。確かにそろそろ思春期に突入するだろうし、多感になれば俺という存在は、亜矢くんから消えてしまうかもしれない。その時は寂しいかもしれないが、亜矢くんの人生を影から見守る立場になろう。  そう達観した決意した俺をよそに、腕の中の最愛が身体を翻して向かい合わせで抱きついてきた。成長からの照れなのか、自分から進んで密着することがここ最近なかったので、俺も妙に意識してしまう。  あぁぁぁ! 決心が! 事切れそう! 「ど、どうした?」 「……大きくなったら、こうやって座るのも出来なくなるから、今のうちにたくさんしたいの……リンさんは? 寂しくならないの?」  俺の肩に腕を回して、ちょうど至近距離で亜矢くんの口が耳に当たるようで、少年特有の高めの声が小さめだったのによく聞こえた。それがすごく甘く感じてしまったのは、俺がドギマギしているからで。亜矢くんが意識して出しているとは思えなくて、本日二度目のフリーズを起こした。  でも、どことなく振り回されている気がして悔しい気持ちもある。俺は大人としての矜持も持ち合わせていた。意趣返しぐらいしても良いだろう。  少し体を離して、両手で亜矢くんの顔の輪郭を包む。そのまま小さくて形のいい鼻と俺のとをくっつけた。自然と視線が絡まる。互いの呼吸に意識がいくほどの近さで、俺は口を開けた。 「……亜矢くんが大きくなったら、別の方法で可愛がれるから大丈夫。心配しなくてもいいよ」  そのまま額に口をつけて肩口に亜矢くんの頭を置いた。抵抗はされなかった。むしろ少ししたら顔をグリグリ肩に押し付けてきた。 「〜〜もう、もうもうもう!」  癇癪を起こした亜矢くんの腰を宥めるように優しく叩きながら、外のセミの合唱に耳を寄せた。  ──あぁ、今日も可愛い亜矢くんをありがとう。  
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