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「お邪魔しまーす」
少し前から、美咲ちゃんの部屋に定期的に来る男がいた。どうやら、美咲ちゃんの恋人のようだった。
美咲ちゃんは家族と暮らしているから、長居はしない。たいていは昼過ぎにやってきて、漫画や本をだらだらと読んで夕方には帰っていく。それでも、その人といるときの美咲ちゃんは幸せそうだった。
ある日、下の階から賑やかな声が聞こえた。程なくして、部屋のドアが開く。今日は、休日だから仕事帰りではないはずだ。
「ねぇねえ、マロン聞いて」
お洒落な洋服を着たままベッドに腰掛けた美咲ちゃんが、ぼくを抱き上げる。はいはい、ぼくは美咲ちゃんのお話はなんでも聞いているよ。
「あのね、大樹にね、プロポーズされちゃった!」
美咲ちゃんは頬を紅潮させ、ぼくをぎゅっと抱きしめる。大樹というのは、美咲ちゃんの恋人の名前だ。
よかったね。おめでとう、美咲ちゃん。
ぼくは表情を変えずにお祝いの言葉をかける。美咲ちゃんには届いているだろうか。
それから、大樹が家にやって来る日が増えた。どうやら、引っ越しというのをするらしい。ぼくは引っ越しを経験したことはなかったけど、美咲ちゃんを見ていると、なんだか楽しいことのような気がする。
美咲ちゃんがおもちゃ屋でぼくを選んでくれた日。あれ以来、一度も外へ出ていない。自分で歩くこともできないし、ましてや外に出たいと主張することもできない。
でも、ぼくは外に出たいとも思わなかったし、この家にいられることに満足している。
それでも、新しい家に行ってみるのも悪くないかもしれない。引っ越しは楽しいことなんだ。そう、思っていたのに。
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