第11話

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第11話

 隊商(キャラバン)は、村に二日滞在してから発っていった。  二週間後に彼らは戻ってくるが、そのときはまた違った品が広場に並ぶことだろう。  目当ての品の仕入れを無事に済ませたジョサイアも、隊商と共に村を去った。彼の荷には、ラナーが二年かけて織り上げた絨毯も含まれている。 「ようやっとこいつを注文主に届けることができるよ」  そう言いながら真白い歯を見せて笑うジョサイアは、大きな体を窮屈そう荷車の座席に詰め込んだ。  荷車を引く馬や驢馬(ろば)駱駝(らくだ)に加えて、犠牲祭のために買われた羊までも加わった大行列が、草原の向こうを目指して早朝の街道を往く。  ニューランと俺の二人は、それを見送りながら、相変わらず力加減を知らないジョサイアの抱擁の名残を、そこかしこで噛み締めていた。  次に彼と会えるのは、どの場所で、そして何年後になるだろうか。案外、またすぐに会えたりもするのかもしれないけれども。 「さぁて、がんばらなきゃね」  ニューランが大きく伸びをして、宿へと戻る。  俺も続こうとして、その前に、一度だけアーダムの住む小屋へと目を向けた。  アーダムはまだ村にいる。  あれから特に動きはないし、何を考えているのかもまだわからないが、少なくとも俺が言った期日までは、村に残っていてくれるつもりのようだ。  マーリカからは、あの晩の件については皆に――とりわけ、ナジとアリーには内緒にしていてくれと頼まれた。  アリーは真面目で正義感も強く、ワリードやハムザたち村の仲間からの信頼も篤いのだが、少々血の気が多いのが玉に瑕というか、実際にケマルの件で村が揺れたときにも、アーダムとひと悶着あったらしい。  おかげで内向的な性格に一層磨きがかかり、このような事態となってしまっているのだが、それはともかく。  これ以上の騒動は起こしてほしくはないし、何より、ナジに余計な心配をかけさせたくないという想いは、俺も同じだった。  やがて日が昇りきり、村は日常を取り戻す。  ニューランに遅れて戻った宿では、ナジの稽古が本格的に始まっていた。  アリーはまだ帰ってきていなかったが、順調に買い出しが済んでいれば、早ければ明後日、遅くとも明々後日には戻ってくるはずだ。それまでに、俺も作業を進めておかなくてはならない。 「もう少し肩と肘の力を抜こうか。手首も柔らかくね。そうそう、その調子」  ニューランに弾き方の基本を教えてもらいながら、ナジがラバーブとの格闘を続ける横で、やれあのウタはこうだったか、このウタはこうじゃなかったかと、集まった老人達がテーブルを囲んで談義している。 「弓の毛を張る薬指と小指は、抑えるだけだよ。残りの指も、竿を支えて固定するだけ。余計な力は入れないで」  一度に両方の手を使おうとするから、混乱して体がついてこないのだと、ニューランは言う。  事実、ナジには義手を動かすだけでも大変な作業だ。おまけに、この義手は体に合っていない。  一応、数日の間に俺が調整を繰り返し、なんとか無理なく動かせるようにはなったのだが、やはり俺達が意識せずに手指を使うのとはわけが違う。 「まずは、ちゃんとした音を出せるようにしよう」 「うん」  右手と左手、同時に動かせないのなら、まずは片方だけでもまともにする必要がある。  本体に埋め込まれた天星石を目安に、ナジは一音一音、音階を探りながら弦を鳴らし続ける。初日では微かに輝くものがひとつしかなかったが、努力の末、どうにか半分くらいは光らせることができるようにはなっていた。  もともとその素質があるのか、ニューランの教え方が良いのもあるのか。右手できちんと音を出せるようになったナジは、それからは急劇に上達しはじめた。  まだ少し指運びにぎこちなさが残るものの、少しずつ、何度も繰り返して練習するそのフレーズに、石たちも応じつつあった。 「ハサンよ、これは随分と久しぶりに聞くなぁ」 「懐かしいのぅ。子供の頃、ラナーの爺さんからよく聴かせてもらったやつじゃ」  ナーセルとハサンが皴だらけの顔を更に皺くちゃにしている一方で、女たちは当日に着る服などについて話し合っている。 「なかなか針を手にしている暇がなくて……間に合うかしら?」  黒地の布に複雑な模様を縫いこんだものに、マーリカが更に煌びやかな飾りを幾つも縫い付けている。普段着ている服にも細やかな刺繍が施されているが、こちらは祭事のときに着る正装のようだ。 「大丈夫よ、私も手伝うから」  そう言って、マーリカが広げている服地の裾を整えているのはザフラーだ。先日背負っていた赤ん坊は、今日はラナーが抱いてあやしている。  それらを眺めながら、ラナーの作った弦を新しい骨格に添って這わせているときだった。  不意に、ナーセルが手を伸ばし、ケマルの作った義手から外したままだった外装を手に取った。  表と裏、その出来栄えを確認するように何度も指でなぞり、呟く。 「そういえば、いつだったか、革を分けてくれんかとケマルに頼まれたことがあったわい。そうかそうか、こいつをこさえておったんじゃなぁ」  ナーセルは、革で細工物を作るのが得意らしい。村の皆が使っている革製品は、ほとんど彼が作ったといっても過言ではない。 「よし、わかった。新しいやつは、儂が作ってやろう」  こちらから頼んだわけもないのに、ナーセルはすでにやる気まんまんだ。そこに、ハサンともう一人、古くからの馴染みであるマウリーシが横から口を出す。 「ほいじゃ、柄はマーリカたちに描いてもらうとええ」 「おお、そうじゃそうじゃ。それがええ。この村の娘は皆、手先が器用じゃからな」  またもや老人達によって勝手に話が進んでいくが、しかし悪い気はしなかった。  いくら俺が技師だからといっても、出来ることには限度がある。俺が得意なのは機械部品の修理と、ちょっとした工作だけ。革などは触ったことがないので、正直なところ、どうしたものかと考えていたところだったのだ。絵心も大して持ち合わせていないから、柄を描いてもらうことについても異存はなかった。  そうこうしている間にも、ナジの腕前はめきめきと上達してゆく。どうやらコツを掴んだらしい。たどたどしくも綴られる旋律に合わせて、ハサンが鼻歌を奏で始めた。  時々、歯の抜けた口からふにゃふにゃと空気が漏れる音がするので、多分、唄っていたのだろう。  一体何と言っているのか、小さな声は弦の音にかき消されて聞き取れなかったが、現在俺達が使っている共通言語とは違うもののようだった。  ハサンが日に数回繰り返している祈り言葉にも似ている気もするが、素養のない俺にはよくわからない。ニューランに聞いたら、詳しく教えてくれるだろうか。  それにしても――と、俺は作業の手を止めて考える。  ラナーの作った弦と、ナーセルが作る革の外装と、そこにマーリカやザフラーが刺繍をするように描いてくれるであろう柄と。  ナジが奏でようと懸命に練習しているラバーブも、アーダムのものだが元を辿ればケマルが作ったものだ。  その演奏をニューランが教え、ナジが生まれる前からの古唄や、まだ聞いたおぼえのないものについては、ラナーやハサンやマウリーシ達が補う。  視線を手元の作りかけの義手へと戻せば、乳色をした骨の塊が、作業の続きを待っていた。  こいつはどんな音を響かせてくれるだろう。皆、どう感じるだろう。  ナジは、マーリカは。ニューランは。アリーやハサンやラナー達は。  そして、瞳に暗い影を宿したあの青年は、何を感じ取ってくれるだろうか。 「ジウー?」 「うぉ!?」  唐突に目の前へと現れたニューランの顔に、俺は驚いてのけぞった。 「さっきから一体何をニヤニヤしてんのさ?」 「は? 別に、ニヤついてなんか」 「してたよねぇ?」  ニューランの声に反応し、ナジが声をあげて囃し立てる。 「してた、してたよ!」 「してねぇよ」  つい声を荒げて反論してしまったが、ナジとニューランは揃っておどけたように首を竦め、互いの顔を見合わせて笑うだけだ。 「あらぁ、私もてっきり、ジウさんってば何か面白いことでも思いついたのかと」  ラナーの言葉に、マーリカやザフラーまでくすくすとしだす。 「まぁ、気にしなさんな。男なら誰でもそういうときはあるもんじゃ。なぁ。ナーセルよ」  ハサンに至っては何か全くの勘違いをしたようだし、ナーセルもそれにうんうんと頷くばかり。 「えっ、ちょっと! 皆!? 誤解ですってば!」  俺は慌てて両手を振って否定するが、場の空気は変わらない。  ニューの奴め、後で覚えていろと思いながら、俺は唇を尖らるだけに留めた。  そして、その翌日。 「おーい、ジウー!」   指先パーツの組み立てをするために納戸にこもっていた俺は、外から俺を呼ぶ声に作業の中断を余技なくされた。 「アリーが帰ってきたぞー!」  窓に駆け寄って外を見ると、広場からこちらに向かって声をあげていたのは、ワリードだった。  ハムザと共に羊の放牧をしていたときに、帰ってくるアリーの姿を見かけたのだろう。俺達に報せるために羊をハムザに任せ、一人で馬を駆り、戻ってきたらしい。その後ろに続く街道の向こうから、アリーがやってくるのが見えた。  馬に繋がれた荷車から手綱を繰るアリーの背後には、大きな袋や布に包まれた何かがどっさり積まれている。  俺の予想よりも到着が早いのは、おそらく、夜も休まず馬を急がせたからだろう。  厩舎につくと、アリーはすぐに馬から荷車や鞍などを外した。すかさず、ワリードが桶にたっぷり注いだ水を与えると、馬はものすごい音をさせながら水を飲み乾した。 「すまんな、サハル。随分と無理をさせた」  愛馬の首すじを撫でて労わっているアリーに、真っ先に駆け寄ったのはナジだった。 「おかえり、アリー!」 「よお、ナジ。いい子で留守番していたか?」   ナジはアリーの半分の背丈しかない。足にしがみつく小さな甥っ子の頭を、アリーはいつものように優しく撫でる。 「アリー。買出しご苦労様」  続いて声をかけた俺にアリーが向けて寄越すのは、満面の笑顔だった。 「ジウ、喜べ! いいものが手に入ったぞ」  開口一番、彼は腰のベルトから下げていた袋を外し、俺に向かって投げて寄越す。慌てて受け止めた俺は、その感触に驚いた。  俺は急いで口紐を解き、中から一つを取り出した。  鳥の卵より一回りもふた回りも大きな、薄く青みがかった半透明の石――天星石の原石だ。 「街に着いたら、ちょうど山から掘り出したばかりのものが並んでいたんだ。いい石はあっという間に売れちまうが、こういうのは余るらしくてな。一つといわずに、幾らでも持っていけって、石屋のおやじが言うもんだから、ありがたく戴いてきたんだ」  まだあるぞ、とアリーはサハルからおろした荷を示す。  袋の一つを開けてみると、そこには天星石の(クラスター)が、割れないようにと丁寧に石綿で包まれた状態で、幾つも詰め込まれていた。  他の鉱石や宝石のように、天星石にも一応、等級(グレード)というものが存在する。不純物が多ければそれだけ結晶の性質が劣り、また脆いという特性もあるため、値は天から地ほどの差があるのだ。  街などで流通しているのは、クラスター上部の、純度が高くて透明度に優れている部位だ。そのレベルのもは、結晶電池になったり、回路の一部となったり、あるいはニューランの持つテレプシコーラのような特殊な使用方法をするものとして加工される。  そこから下の部位になると、極端に用途が減る。結晶そのものはある程度の硬度を保っていても、備わった劈開(へきかい)性のため、簡単に割れてしまうのだ。  かといって、全く使えないわけでない。クラスターから使える部分を餞別して、丁寧に分離してやりさえすればいい話だ。しかし、そうやって取り出した結晶は小さく、また電池に使うにしても発電力が弱く、消耗品として使用するにも手間がかかりすぎるのが大きな問題だった。だから石屋の主人も、ほとんどタダ同然で投売りしていたのだ。  アリーの場合は運が良かったのか、それとも交渉に長けていたからなのか、いずれにせよ、もし俺が自分で街まで出向いたとしでも、こんな具合には行かなかったに違いない。元手をとりたい石屋に足元を見られ、かえって高くついたことだろう。 「ありがとう、アリー。あんたに頼んで良かったよ」 「礼には及ばんさ。ジウにはいろいろ助けてもらっているからな」  アリーは照れたのか、視線を逸らして俯いた。その先には、足元にしがみついたままのナジがいる。  ナジは、今日もラバーブの練習をしていた。左腕には、調整を繰り返して、どうにか無理なく動かせるようになった義手を装着している。その指は、アリーの服をしっかりと握っていた。 「おい、アリー! このくそ重いものは一体何なんだ!?」  荷車から積荷を下ろそうとしていたワリードが、そのうちのひとつを指差して叫んだ。  厚手の布に包まれたそれは、大人の胴体ほどの大きさがあって、力持ちのワリードでさえも一人では動かすのに苦労しているようだった。 「すまん、忘れていた」  アリーは慌ててワリードに駆け寄ると、俺を手招きして呼んだ。 「ジウ、一応確認してくれ。こういうので良かったんだよな?」  包んでいた布をめくると、乳灰色をした丸いドーム状のものが姿を現すた。  それは、セラミック製の小さな焼成炉だった。  本来はタイルを作ったりするものらしいが、アリーが選んで購入してくれたものは、小さくてもかなりの高温を扱えるものだった。 「ねぇ、ジウ。これ、何に使うの?」  興味深々といった顔つきで、ナジが俺の顔を見上げた。  アリーもワリードも、口には出さないが同じことを考え、俺を見つめる。 「さぁ、何だろうね?」  俺は手にした天星石の原石を掲げ、三人に笑ってみせる。  これでようやく材料は揃った。  順調に作業が進めば、ナジの新しい義手は完成する――しかし実際のところ、ここからの作業が一番大変だったのだ。 「ジウ! 本当にこれでうまくいくのか!?」  炉から漏れる熱に腕の毛を焼かれながら、ワリードが悲鳴に近い声をあげる。  炉の中で高熱に晒されているのは、塩で満たした容器に埋め込んだ天星石の原石だ。  原石は、直接塩と触れないように石綿を混ぜた漆喰で包んである。建物の補修用にと、宿に取り置いてあったものを拝借したのだ。 「さあね! ケマルを信じるしかないな!」  俺も負けじと声をあげて、赤々と燃えるそれを細目に窺った。内部の温度はかなりの高温で、離れていても、じっと見続けていると熱で皮膚が痛くなるほどだ。  ケマルのアイデア帳にあったもの。それは、天星石を焼くことだった。  ある種の宝石を加熱するという方法は、昔から一部の地域では行われているし、実際、高度な技術と燃料とが使える街ではすでに実行している手法だ。  だが、資源と資材の乏しい辺境でやろうとすると、なかなか難しい。それでもケマルは、どこからか伝え聞いた話に着想を得て、構想を練ったのだろう。  作業を始めるにあたって、俺は先ず、天星石のクラスターを劈開(へきかい)性を示す方向に沿って小分けした。  ただでさえ脆い石のこと、幾つかは失敗して粉々にしてしまったが、何度かやっているうちにコツを掴んだ。  そうして分離した結晶を断熱材に包み、いよいよ炉で焼く工程へと移る頃には、すっかり陽が傾いていた。 「えっ、今からやるの?」  お前達正気かと、声に出さずとも表情で語っているニューランを後ろに、俺はアリーとワリード、そして羊の番を終えて戻ってきたハムザも加え、焼成炉を宿の裏庭に設置する。  この一帯で煮炊きをするために使うものは、家畜の糞を乾燥させたものが主だが、それでは目的とする温度までは到達しない。なので、俺がアリーに頼んで買ってきてもらったものは、炭を固形に固めたものと、少量の油だった。これなら高温まで短時間で持っていけるし、その後の調整もしやすい。  焼成炉についても同じだ。ただ焼くだけなら厨房の竃を使うなり、自分で石や日干し煉瓦などを組んで作っても良かったのだが、それだといくら良い燃料を使っても望む温度まで上げられそうになかったし、なにより、一定の温度を保つことすら難しい。  事実、ケマル氏も一度は試したものの、結局断念せざるを得なかった、とノートに綴っている。  彼の歩んだ道筋を思い浮かべながら、俺は炉に火を入れた。  空気を送ったり燃料を追加したりすること、更に小一時間ほど。  今夜も宿に集まったハサン達の興味深々といった視線を背に受けながら、俺は天星石の繭を埋めた塩の器を、炉の中へと送り込んだ。 「どうして塩なんだ?」  首を傾げるハムザに、ニューランが答える。 「イオンじゃないかなぁ。塩ってナトリウムだし。よくわかんないけど」  適当な思いつきを口にしただけなのだろうが、ハムザは「そうかぁ、イオンかぁ」と、納得したような素振りで頷いていた。  きっと、イオンが何だとか、ナトリウムが何だかとかもよくわかっていないのだろうけど、本人がそれで納得できたつもりでいるのなら、それはそれでいいのかもしれない。  塩は普通、火にかけても燃えはしないが、千度近くまで温度をあげると、融けて蒸発する。そのときに発生する成分が、天星石には影響がある――らしい。  俺が理解できる部分は、高熱で結晶内部に残る不純物を取り除きたいという、ケマルの思惑だけだ。  あるいは、もしかしたら、彼なりに考えた末に、海底のようなものを再現したかったのかもない。その辺りの理屈は、当人に聞いてみないとわからないけれども。  純度が高く、水晶のような硬さをもった結晶ならば、千度くらいの温度に晒しても簡単には融けない。逆に、ちゃんとした結晶になりきれていないものは、ガラスのように融けてしまう。  ケマルは一人で何度かこういうった実験を繰り返し、最適だと思われる配分と温度と時間とを探っていたのだった。  「そうか、だからケマルはあんなことをやっていたんだなぁ……」  陽炎のような熱気をドーム型の天井から発する焼成炉を前に、アリーが呟いた。  彼は以前、ケマルが実験する姿をみていたのだが、なぜ石を焼くのか、なぜそんなことをする必要があるのかが、ずっと不思議に思っていたのだった。 「そうか。そいうことだったのか」  アリーは何度もそう繰り返し、頷いていた。  それから俺達は、数日をかけて焼成炉で天星石を焼き続けた。  日中は家畜たちの世話もあるから交代で作業をし、夜は夜で気温差と湿気で炉が冷えないようにと神経を使う。  聞こえるのは、燃料が激しく燃える音と、炉の中で沸騰する塩の音と、そこで熱せられた天星石が奏でる、金属音にも似た甲高い音だけ。  晴れた夜空では極彩色のオーロラが激しくその裾を翻していたが、誰もその様子には目もくれなかった。  最初のうちは、温度が高すぎたり時間が短かったり、冷却に失敗したりで、折角の結晶に大きなヒビを入れてしまったり、あるいは器の中で粉々に砕けさせたりもして、散々な結果だった。  けれど、何回か繰り返すうち、俺達はと石を焼く要領を得ていった。  加熱しすぎてもいけない、急劇に温度を下げてもいけない。  固形燃料を均等に並べ、空気を送りながら燃焼させて、炉の内部の温度を一定に保ち続けること二時間程。それから火を落とし、自然に温度が下がるまで放置する。  そこで変化が足りなければ、再度過熱するということも試した。  長い年月をかけてこの星から産み落とされた石を、同じように根気良く、じっと、俺達は待ち続けた。  そして、五日目を迎えた深夜。  あと数時間もすれば、夜通し踊り続けたオーロラの舞台も終わり、東の空が白みはじめるであろう頃合に、俺はようやく温度の下がった炉の蓋を開けた。  アリーが街から持ち帰ってきてくれた原石と燃料は、すでに半分ほどを消費していた。俺の後ろでは、連日の作業にすっかり疲弊した顔のアリーと、様子を見に来たニューランとが、共に息をつめて俺の作業を注視している。  焼成炉から取り出した器は、塩が完全に蒸発していた。底の方では、真っ黒に焦げた丸いものが幾つか沈んでいる。原石を包んだ繭だ。  指先でつついて温度を確認すと、素手で触っても大丈夫な程度にはなっていた。  俺は繭の中から一つを選んで、慎重に割った。外は炭のようになっていたが、内側は乳灰色のままだった。そして、その更に奥、中心には。  人間、真に感動すると言葉を忘れるというのは、どうも本当らしい。  俺は炎の名残を留めた結晶をそっと摘まみ、夜空に掲げた。  蓄積した熱によるものなのか、それはほんのりとした青白い膜――発光による燐光を纏っていた。  結晶を覆う燐光は、生きているかのようなゆらぎを見せた。夜空で大きく翻るオーロラのように、電離層を通過して地上へと降り注ぐものに影響されているのかもしれない。 「すごいな……本当に出来たなんて……」  何度も目をこすりながら、アリーが顔を近づけ、俺の指先を凝視する。 「結晶が唄ってる」  不意のニューランの言葉に、俺とアリーが首を傾げる。  どういう意味だと問おうとする俺達を、ニューランが人差し指を口に当てて、制した。  周囲には、音が満ちていた。  風で草むらなどが揺れるような、実際に耳で捕らえる類のものではない。金属片を弾いたあとに響きわたる、余韻にも似た小さなだ。 「二人とも、よく聞いて。これが、生まれたての(うたごえ)だよ」  オーロラに合わせ、呼吸のように淡い明滅を繰り返す結晶は、俺の指の間でその響を放ち続ける。  耳の奥で捕らえる微かな振動は、初めてニューランが俺に聞かせてくれたラバーブの音を思い起こさせた。  やがて、結晶の温度が下がり、光の膜が薄らぐにつれて、音も聞こえなくなる。  天星石が完全に沈黙しても、俺達は(ほう)けていた。  余韻はなかなか消えず、いつまでも頭の中で続くかと思ったくらいだった。  しかし、呪縛は解ける。  朝を告げる鳥の声に、俺達は一斉に我にかえった。  気付けば空はすっかり白んでいて、丘陵の果てからは、朝陽が今にも顔を覗かせるところだった。 「……天上の(がく)みたいだった」  聞いたことはないけれど、と、アリーが言った。  言ってしまってから、少し大げさだと思ったのか、恥ずかしそうに身じろぎをする。  彼には、結晶の奏でるものが、百万の鐘や鈴が一斉に鳴り響いているように思えたらしい。 「でも、案外、そうかもしれないな」  俺はそう答えて、結晶を空に翳した。  それは、不純物が消えて透明度を増しただけでなく、焼く前にはぼんやりと薄かっだけの色が、深みのあるものに変わっていた。  そこにあるのは、まさしく天上の色を映した青だった。
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