第16話

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第16話

 ラバーブの本体の周辺で小さな煌めきが飛び散り、消え去った。  弦が切れた衝撃で、本体に埋め込まれていた天星石の幾つかが砕け散ったのだ。  篝火に照らされたナジは呆然としていた。それまでの恍惚状態から突如引き戻されたのもあって、状況が理解出来なかったのだろう。  だが、すぐに悟ったようだった。幼い頬から血の気が引き、全身が強張る。  伴奏をしていたハサン達も唖然としてその手を止め、輪の中心にいるナジを見つめるばかりだ。 「……っ!」  俺の胃袋がぎゅるりと音をたてて急激に縮まる。  義手を仕上げることばかりに気を取られいて、ラバーブ本体のメンテナンスを完全に失念していたことに、今の瞬間になってようやく思い至ったからだ。  改めて考えなくとも当然のことだった。  ケマルが死に、アーダムが演奏をしなくなり、それからほとんど触る者のいないまま、碌なメンテナンスもされずに迎えた舞台だ。  練習でずっと弾いていたナジも、今日の舞台直前は酷く緊張していた。調律がいつもより強かったのかもしれないし――いや、今はそんなことはどうだっていい。  ナジは悪くない。これは、ラナーに弦を作ってもらった際に、ラバーブ用のスペアを用意しなかった俺の落ち度だ。  俺の隣ではそのラナーが何事かを小さく呟き、その口を両手で覆っていた。いや、ラナーだけではない。ザフラーも、ラシードも、そしてアリーもハムザもワリードも、この広場に集まった村人達も、皆一様に息を詰めて、舞台上のナジを凝視していた。  北の山裾から駆け下りてきた風が、広場に集まった村人達をそろりと撫でるように通り過ぎて行く。  あれほど心地良かった場はすっかり静まりかえり、誰もが動きを封じられたかのように固まっていた。  俺はナジの左腕に目を向ける。  小さな瞬きが余韻のように揺らめいている。少なくとも表層に見える部分では、義手の方にダメージはなさそうだった。  だが、ラバーブは。  小さな青い灯火は、わずか数個しか認められなかった。それすらももはや切れ切れの弱々しい瞬きを放つばかりだった。  ナジははくはくと口を動かし、声にならない声を漏らすばかりだった。驚愕に見開いた目にはみるみる涙が溜まり、今にも溢れそうになっている。  駆け寄って抱きしめてやらねば――そう思ったくせに、情けないことに俺の体は少しも動かなかった。  俺たちが付いているだなんて、大層な事を言ったくせに。  俺は座り込んだまま、膝の上で拳を堅く握る。  どうすれば良いのか。どうしたら良いのか。  ほんの一瞬の間に沢山のことが頭の中を駆け巡る。それなのに、少しも打開策が浮かばない。  こんな時、ケマルがいたら。  彼がここに居てくれたなら。  本当の父親が生きていれば――  そんな気持ちが沸き上がった、その時だった。  誰かが大きく息を呑む声がした。  つられて顔を上げる。  舞台袖で見守っていたマーリカだった。  彼女はラナーがしていたように、両手で口元を覆い、その大きな瞳を更に大きく見開いて俺を見ていた。  ――否、俺ではない。その遙かに後方、広場に集う村人達が作る輪の、更にその先の―― 「泣くな!」  突然の大音声に、誰しもが驚き、一斉に振り返る。  アーダムだ。その細い体からはとても想像もつかないほどの声量だった。 「泣くんじゃない! まだ弾ける!」  アーダムはそう叫ぶと、その手に握っていたものを自分の胸の前に掲げる。  それは、すでに仄かな青い光を発していた。  俺が渡したあの大粒の天星石だ。アーダムが一体いつから広場に居たのかは知らないが、ナジのそれまでの演奏を受けて、共鳴をしていたのだろう。  呆気にとられている俺たちを尻目に、アーダムは大きく息を吸った。  そして。  俺たちは、音の洪水に飲み込まれた。 †    ナジのウタが穏やかな水面を進む小舟ならば、アーダムのそれは、大波の立つ荒れた海原そのものだった。  低く、深く、どこまでも荒々しいうねりを通して、アーダムの想いが伝わってくる。  戸惑い、怖れ、怒り、そして、悲しみと苦しみ――入り乱れる様々な感情は、彼が一人でずっと抱えてきた心そのものだ。  己の内に燻っていたすべてを曝け出しながら、同時にアーダムは、洪水によってすべてを流され漂流することとなった、遠い昔の人々の姿そのものを唄いあげているのだった。  荒れる海と吹き荒れる風の感触が、耳で、肌で、そして体内でも感じ取れるような、そんな力強さは、ナジのウタにはなかった。  とはいえ、ナジは幼い頃に聴き覚えたものを唄っただけで、そこに込められていたものをまだ理解してはいなかったのだから仕方の無いことだ。比較する方がどうかしている。  アーダムは喉の奥、声帯の振動を、自身の頭蓋と肺腑とで楽器のように包み込み、響かせていた。  それを、胸の前で掲げた天星石が余すことなく受け止め、増幅させる。  アーダムはケマルが作ったラバーブと同じ仕組みを、今まさにその身一つで再現していた。  ――そう、彼は気付いてくれたのだ。  俺とニューランとがその大粒の天星石に込めたその思いを。  亡き(ケマル)がスケッチと共に託してくれた、その願いを。  一体いつから人は唄を歌い、奏でてきたのだろう。  それらをどうやって伝え、どのように残そうと工夫を凝らしてきたのだろう。  楽譜というものがまだ無かった原初の時代は、できるだけ同じ音域を奏で、詩を乗せて繰り返し演奏をし、歌い、記憶させるしかなかった。  後に文明が発展して文字が生まれ、楽譜が生まれ、口伝だけでは伝えきれなかった正確な旋律や音階が後世へと持ち越せるようになった。  かつての時代には音楽を録音し、再生させる手段が沢山あった。様々な機械が生まれ――そして消えた。  大都市にはまだ大崩壊時代からの遺物としての再生装置はあるし、楽曲を愉しむ文化は消えてはいない。  けれど、それらに込められた“心”はまだそこに宿っているだろうか。  そして、これから先も在り続けるだろうか。  アーダムの掲げる天星石が、闇夜を照らす水先案内人のように、その胎内で天上の青にも似た色の光を灯す。  暖かく、そして力強く。寄り添い、震える人々を励ますかのように。  いつしか嵐は過ぎ去り、凪が訪れたような静寂に包まれていた。  アーダムのウタが一区切り付いたのだ。  だが、まだ終わりではない。彼の手にある天星石はまだ光を灯している。鐘を鳴らした後の余韻のような感触が、周囲に満ちている。  と、不意に、カサリという小さな音がすぐ近くでした。  俺がその方向へ振り向くと、そこで座っていたはずのニューランの姿は無く、奴が肌身離さず大切にしていたテレプシコーラが無造作に転がっているだけだった。  慌てて周囲を見渡す。  ニューランは、突然のアーダムの登場で呆気にとられている村人達の間を通り抜け、舞台に向かって歩いている所だった。  誰にも咎められることも無いままに、ニューランは舞台に上がる。  そして驚き唖然としているハサンやマウリーシ、ナーセル達と共に、ぽかんと口を開けているナジの側に座ると、ナジの左肩に手を添えた。 「ナジ、手を見てごらん」  ニューランに話しかけられ、ナジが我に返る。 言われたまま目を向けた先には、義手の甲に埋め込んだ大きな天星石が仄かな光を宿していた。  手の甲に埋め込んだ石が、アーダムの声と彼の持つ石とに共鳴し、青い火を灯しているのだ。  そればかりか、ラバーブを抱いたままであったその先、細く白い骨で出来た指は、か細く震えるかのように動いていた。 「大丈夫。まだ弾けるよ」  ニューランはそう言って、今度は隣でやはり呆然としているままのハサンに手を差し出した。  ぽかんと口を開けて綺麗な入れ歯を見せていたハサンが、遅れてはっとする。  離れていても、黒々としたハサンの瞳が周囲の篝火を写し、小さく光ったように見えた。  ハサンはナジに向き直り、自身が使っていたラバーブをそっと差し出す。  ナジは、ハサンとニューラン、そして離れたところに立つアーダムの顔とを代わる代わる見た。  そして。  ナジはそれまで抱えていたラバーブをニューランに託し、ハサンのものを受け取った。  座り直して、姿勢を正す。  ナジが弓を弦に宛がうのと同時に、アーダムがまた大きく息を吸った。  再び、得も言われぬ感触が俺たちの内を満たし、肉体を包み込む。  天星石は特定の音域、特定の周波数を当てると、結晶全体に反響し、共鳴する。  その音域はこの地方の楽器であるラバーブの周波数とよく似ていた。そしてアーダムは、その音域に極めて近い声を発することが出来た。  声帯を震わせ、口腔と頭蓋で響かせ、喉と舌とを駆使して複雑な音域を伴った声は、とても一人で唄っているとは思えないものだった。  最初の嵐にも似た衝動は、もはやどこにもなかった。代わりにあるのは、懐かしさを憶えるような、そんな柔らかさと暖かさだ。  古唄で物語る内容が、最初の嵐が通り過ぎて穏やかな場面に移ったからというのもあるのだろう。  何より、アーダムは唄うことが好きだった。そして、ラバーブを奏でてその音色を聴くのも好きだった。  自身で演奏をすることは叶わなくなったけれども、こうしてナジが弾く音を耳にして、これまで燻らせていた暗いものを全て振り払ったのだろう。  ――そう、本当はアーダムこそが天星石の特性を見抜き、理解していたのだ。  幼き頃に兄に語ったほんの思いつきを、兄は忘れずに描き留め、暖め、形にしてくれたのだ。  その気持ちが、喜びが、胸の前に掲げた天星石を通して俺たちにも伝わってくる。  舞台の上ではマウリーシやナーセルも各々が携える楽器の存在を思い出したようで、アーダムとナジが紡ぐ古唄(いにしえうた)に寄り添うように、そして一つとなるように、再び演奏を始める。  ナジに楽器を預けたハサンはといえば、座したまま体を揺らし、手拍子でこれに加わる。  舞台下の村人達にも、それは広がった。  俺でさえ手足がうずうずとして、じっとしていられない気分になってくる。実際、村人の中には立ち上がって踊り出す者も出始めた。  生じたうねりはやがて、全体を巻き込むものとなる。  人々が手を取り合い、輪を作り、囲み、そして同じように口ずさみ、唄いだす。  だが、そんな暢気な空気は長くは続かなかった。アーダムが起こした“変化”はそれだけに留まらなかったからだ。  突然鼻の奥に水を感じ、俺は慌てて鼻を手で覆った。  目の奥が熱くなり、続いて喉の奥、耳の奥、体の奥底から小さな泡が沸き立ち弾けるような、どこかくすぐったいような感触がしはじめる。  どこからともなく突然やってきた水の気配に、俺は驚くどころか、ただただその感触を受け止めるので精一杯だった。  けれども、不思議なことに怖さは感じなかった。冷たさや寒さもなかった。    声と、弦の音と、振動と、星々の光とが、めくるめく世界へと俺を誘う。  耳の奥で響くのは、太鼓にも似たリズムを刻み続ける心臓の鼓動。  山からの風が草をかき分け、駆け抜けた。  人も羊も馬も、叢に隠れる鳥も、地面で眠る地鼠や兎も、虫たちの息吹を丸ごと包み込んだそれの行き着く先は、陸の果て、白い波を砕く波濤。  昼が過ぎ、夕が暮れ、夜に沈み、朝が来る。  降り注ぐ星々の欠片が尾をひいて、金の煌めきと共に消えていった。  廻る日と月と星々が、大きくうねる海原に融けてゆく――それは、俺の内にある魂の――そして水の記憶を辿る物語だった。  銀色の鱗をきらめかせた魚たちが、鰭を翻して水面を滑って行く。それらよりもはるかに大きな影が、底からゆっくりと浮上してくる。  細かな泡がいくつも波の間で弾ける。  そこから沸き立つ熱は雲となり、再び地へ降り注ぐための水を溜める。   山は雨雪を受け止め、そうしてまた風と共に麓へ降りてくる。  見渡す限りの草原であったところには、背の高い木々が生い茂っていた。  木漏れ日の下、大地に張った根から吸い上げられた水は、幹の中で小さく弾けながらその枝葉の隅々まで行き渡る。  水分を含んだ風がその葉を揺らし、さわさわと柔らかな音をたてる。  木々たちが吸いきれなかった分は川へと集い、下り、やがて波に洗われた細かな砂粒の間へと染み込んで行く。  何千、何万、何億もの繰り返しの果てに、再び相見えた陸地へと降り立つ影は――  (たきぎ)を継ぎ足すことも忘れられていた篝火が小さな音をたてて崩れる。  夜空の端では、星々に混じって歪に欠けた月がうっすらとした光を纏い、細い(つるぎ)のようなシルエットを浮かび上がらせていた。  波のざわめきは、風に吹かれる草が立てるものに戻っていた。  アーダムの唄うウタが幕を下ろしたのだ。  鬱蒼と茂る木々も真白い砂浜もどこにもなく、ただ茫洋とした余韻だけが広場のそこかしこに残っているだけだった。  しかし水の気配はまだ残っていた。  ぱたりと音を立てて、塩っぱい水が顎からしたたり落ちる。  遅れて我に返った俺は、慌てて袖でそれを拭った。  周囲を見渡してみれば、彼らも皆一様に洟を啜ったり手でごしごしと頬を拭ったりしている。  俺の隣では顔を伏せたラナーが小さな嗚咽を漏らしながら体を震わせ、ザフラーがそれをあやすように抱き寄せ、胸に抱く赤子と共に纏う布に顔を埋めていた。  山裾を駆け下りる風は相変わらず冷たく、凍えそうなくらいだったが、火照った肉体には丁度良い具合に思えた。  余韻は薄れた霧が消えてゆくように、静かに中空に融けて、やがて完全に無くなった。  アーダムは胸の前に掲げていた天星石をそっと下ろすと、深く頭を下げて一礼をした。  そして顔を上げると、そのまま何も言わずに背を向け、歩き出そうとした。 「アーダム、待って!」  ナジが叫び、慌てて舞台から飛び降りる。  まだ動けないでいる俺たちの間を走り抜け、アーダムに縋り付く。 「行っちゃやだ! 僕にウタを教えて! ラバーブももっと上手になりたい! 行かないで!」  半べそをかくナジはアーダムの脚にしがみつき、右手も、そして義手の左手をも使ってその服をしっかりと握り締める。  困惑した顔をするアーダムに、更に近寄る人影があった。  アリーだ。 「アリー!」  その背後からマーリカが慌てて駆け寄り、二人の間に入ろうとする。  アリーはそれを両手で押し留めると、大丈夫だとでも言うように頷いて見せた。  不安そうに見守る姉と、まだアーダムにしがみついたままでいるナジの前で、アリーはぐっと力を込めたまなざしをアーダムに向け、口を開いた。 「お前には言いたいことが沢山ある。でも、お前は、俺の姉さんの義理の弟で、ナジの叔父だ。それから……」  アリーは一旦そこで口を噤んだ。むぐむぐと口をうごめかせた後で、ぷい、と顔を背ける。 「俺の幼なじみだし……血は繋がっていなくても、俺の家族だから」  ぶっきらぼうな物言いの奥から、年相応の若者の顔がちらりと見える。しかしそれもすぐに消えた。  アリーは村を纏める男としての顔に戻ると、アーダムに向き直り、きっぱりと言った。 「だから、また勝手に村を出て行くなんて、絶対に許さないからな」  何を言われるのかと不安そうにしていたアーダムが、一瞬ぽかんとして目を瞬かせる。  だが、すぐにその顔が、くしゃりと歪んだ。 「……解った。…………ありがとう、アリー」  うつむき、両手で顔を覆うアーダムを、マーリカが抱擁する。微笑む彼女の顔にもまた、浮かぶ涙が微かな光を放っていた。  先のウタで、アーダムの心はもう十分にマーリカに伝わったことだろう。言葉は必要なかった。 「はぁ、やれやれ」  いつの間にか俺の隣に戻ってきていたニューランが、どっこいしょ、という具合に地べたに腰を下ろした。 「何だっけ、こういう場面。“雨降って地固まる”だっけ?」  言いながら、ニューランは転がしておいたテレプシコーラを取り上げ、そして嘆いた。 「あー、やっぱり止まってら」 「えっ?」  驚く俺に、ニューランがテレプシコーラに灯る異常を示す黄色の印を見せ手くれる。 「アーダムのウタがすごすぎてキャパシティーを越えたのかも知れないけど、回路からダメになってたらもうお終いだなぁ。まぁ、長いこと使ってたし、そろそろ限界かなぁって気配はあったんだよねー。でも、ナジの演奏の間くらいならまだ行けるかなーって思ってたんだけど、そうかー、とうとう壊れちゃったかー。あー、もー、本当ツいてないなぁ」  ニューランは盛大な溜息を吐くと、がっくりと項垂れた。 「まぁ、良いじゃないか。とりあえず生で聴くことは出来たんだし。そいつも、また俺が直してやるよ」  俺がそう言うと、ニューランは顔を上げて、へにゃりとした笑みを浮かべた。 「……そうだね。うん、それもそうだ」  と、そこに、草と土を踏みしめながら、俺たちのもとへとハサンとマウリーシ、それからナーセルがやってきた。  ラナーも孫夫婦たちと共に、俺とニューランとを囲む。 「あんたらには世話になったな。改めて礼を言わせてもらうよ」 「いやぁ、そんな……」  ハサンの言葉に、俺は首を振った。  確かに、俺は義手を作りはしたが、それだけだ。それですら、自分から名乗りを上げて動いたわけじゃない。 「全部、ナジのおかげですよ」  言って、俺は抱擁を続ける彼らを見遣る。  彼らは、彼ら自身で本来そうあるべき姿に戻ったのだ。そうありたいと願い続けた、その結果へと。 「謙遜しすぎじゃよ。ジウは無欲じゃな」  マウリーシが突き出た腹を揺らして笑と、ニューランも身を乗り出してきて俺を指さす。 「そうなんだよ、本当にジウはさー、もっと恩着せがましくしても良いと思うよ?」 「お前こそもっと遠慮しろ」 「何でだよ。僕がナジに古唄(いにしえうた)をやってもらおうって言ったんだよ? ラバーブの弾き方だって教えたし」 「折角の感動の場面が台無しになるから、もう喋るな」  老人達に混じって周囲の者も共に笑い声を上げる。  ひとしきり笑った後で、ハサンが小さく咳払いをして、広場に集う村人たちに声をかける。 「さて、皆の者。古唄(いにしえうた)も無事済んだし、喪明けの集いはこれでお終いじゃ。体も冷えてしもうたし、風邪をひいてしまう前に戻ろうかの」  誰もが頷き、手を取り、そして歩き出す。  家へ――自分達の家族と暮らす場へ帰るために。  アーダムはもう泣いてはいなかった。少し照れくさそうにしながらも、マーリカとナジと連れだって歩き出し、少し遅れてアリーも彼らの後に続いて広場を後にする。  その姿を遠目に眺めていた俺の目の前に、白く細い手がにゅっと突き出された。 「さ、僕らも宿に戻ろう」  ニューランがいつものような屈託のない笑みを浮かべて、まだ座ったままでいた俺を促す。 「……ああ」  俺は頷いて、ニューランの手を借りて立ち上がった。
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