第9話

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第9話

「怒ってる?」 「怒ってねぇよ」  深夜、寝るために戻った部屋で、ニューランが俺にたずねてきた。  義手の製作を急がざるを得なくなった俺は、すぐに納戸に引き返し、考えうる限りの手を尽くすために今の今まで作業を続けていたのだった。  いつになく長居していた老人達もそれぞれの家に帰り、宿は静けさを取り戻していた。  あの後、ナジはニューランと共にラバーブの練習を再開したが、やはり義手がうまく噛み合わず、思うような成果は得られなかった。  うまく弾けない苛立ちと、義手が擦れて傷むのとで焦る一方のナジに、見かねたマーリカが「もう今日は遅いから、続きは明日にしましょう」と声をかけ、その日の練習はお開きとなったのだが。  連日の記録作業もあってニューランも疲れているはずだし、とっくに寝ているとばかり思っていたので、こうして話しかけられたことに俺は驚くと共に、少し心配にもなった。  この奔放極まりない男が、珍しく他者を気にかけているのに気付いたからだ。 「あのさ、ジウ」 「何だよ」  ついぶっきらぼうな返事になってしまうのは、疲労のせいであって、断じて怒っているからではない。そもそも、あの程度の出来事を怒るというのなら、ニューランに対しては常に怒り続けることになる。 「別に、怒ってなんかいないから」  もう一度そう言い置いて、寝支度をはじめる。しかし、ニューランはしきりに俺に話しかけてきた。 「ジウはさ、人がどこで生まれたか知ってる?」 「……は?」 「はじめて会う人なのに、なぜか懐かしいと思ったことは? 同じように、はじめて聞く曲なのに、なぜか懐かしくて、胸が締め付けられるような感じがしたことは?」  ニューランの話はいつも突拍子がない。内容が俺にはでかすぎるし、飛躍することも多く、着地点が見つからなくて返答に困る。  俺はベッドにもぐりこもうとした半端な姿勢で固まった。そうでなくとも今の俺は疲れていて、まともな言葉を紡ぎだすという機能が停止していた。  しかしその一方で、彼の言わんとしていることは、なんとなく理解した。  それは、昼間に村を眺めていたときに、俺が感じたことと同じものだ。 「ねえ、ジウ。大昔、まだ言葉というものがなかった頃の僕達は、情報やその時々の感情を、どうやって伝達したと思う?」  もしかしなくても、俺の返答などは端から期待していなくて、ただ単に、常日頃から考えていることを口にして、整理したかっただけなのかもしれない。  ニューランは話し続ける。  ここからずっと離れた南の大陸には、数千年、数万年も前から伝わるウタがあったという。  それは生きるために必要な水のありかを伝えるものだったり、人智の及ばぬものや現象に対しての畏怖や畏敬の念が込められたものであったりするが、それらに共通する唯一のものがあると、ニューランはかねてから考えていた。 「できることなら、そのウタも聞きたかったんだけど、でも、もうそれは叶わないからさ……」  吐息とも寝息ともつかない声で、ニューランは物憂げに呟く。  はじまりの地といわれる南の大陸は、現在はその大半に大穴を開けた姿で海底に眠っている。赴きたくとも赴けない、幻と化した場所――とはいえ、歴史を辿る術が完全に途切れてしまったわけではなかった。  太古の昔、南の地で生まれたと謂われる人類は、長い時間をかけて少しずつ数を増やしながら移動を続けた。それぞれに思惑はあったのだろうけれど、彼らの足跡(そくせき)は、北へ、西へ、そして海をも渡って遠く離れた別の大陸の先まで広がった。 「この地はね、そうやって分岐する前に、彼らが長いこと留まって暮らしていた場所なんだよ」  そう言いながら寝返りをうったニューランは、俺と目を合わせて微笑んだ。  山からの水と、肥沃な土。それらが交わるこの一帯には、多くの文明が生まれては過ぎ去っていった。  西の端から東の果てまで。北の頂から南の海洋まで。出来た道筋を行くものがいれば、戻るものもいた。その過程で、それぞれのルーツとなるものは、世界中のあらゆる場所へと広がった。 「昔の人は、それを色んなものに託して残そうとした。模様や絵として石版に刻んだり、布に刺繍したりという具合にね。文字や言葉は時を経る間に徐々に変わってゆくものだけど、じゃあ、音は? その波形は?」  ラナの家に飾ってあったタペストリーから、マーリカ達の身に纏う服に施された刺繍から、ケマルの作った義手や楽器に描かれた模様まで。文字や言葉だけの伝達方法ではなく、そこに込められた想いそのものを、ニューランは知りたいのだ。  ニューランはおもむろに、天井に向かって手を伸ばした。  室内には、俺が灯すベッドサイドの小さなランタンの灯りしかない。そんな中でもぼんやりと浮かび上がるその手の白さに、俺の目は吸い寄せられる。 「僕らの体は、この世界と同じもので構成されていると昔の偉い人が言っていた。成分は同じもので、比率も似通っている。水分が何割、それ以外が何割という具合にね。そして、この大地にあふれる物質も全てではないにしろ、基本的なものは僕らの体の中にあって、この体を形作っている――天星石の素材になっている、珪素も」  それは地底や深海など、火山活動で想像を絶する高熱によって溶け出した成分が長い時間をかけて冷えて固まった鉱物に端を発するものでしかなかった。  特殊な場所にしか存在せず、かつては採掘自体が不可能に近かったものだが、それを可能にしたのは、文明世界の大崩壊の引き金となった隕石のおかげだった。  もっとも、地中深くに眠る様々なものを地表へともたらしたそいつは、その代償として、それらを活用する手立てを消滅させたのだが。  ゆえに、星型(アスタリスク)構造をもつ結晶体は、その形状からだけでなく、天から零れ落ちた星という意味合いの皮肉も込められている。 「ね、ジウ。知ってる? 僕らの体内にある、小さな石のこと。それから、どうして天星石の波長が、僕らに強い影響を及ぼすのかを」  ニューランの話はとめどない。尽きることなく飛躍する内容に、俺は翻弄されっぱなしだ。  もはや半分以上が寝言と化している内容に、いちいち付き合う必要はないのかもしれない。俺自身、早く打ち切って寝てしまえと訴えかける自分がいるのを自覚している。しかしそれと同時に、強く惹かれている自分がいるのも確かだった。  おそらく、ニューランが示そうとしているのは、耳石のことだろう。  大抵の生物の頭の中、耳と脳とを繋ぐ箇所にある小さな石は、振動を音として伝達する役目をもつ。そして、天星石の発する振動は、そこに直接働きかける――つまり、同じ石同士が共鳴して光を発するように、音を介して体内に光を灯すのだ。  人体に含まれる珪素自体は微量だが、骨や体組織を構成するために必要な成分だ。それは、人類がヒトとして歩き出すよりも遥か昔、数種の無機物と有機物の複合体として発生した名残――言い換えれば、この星そのものの(うたごえ)だ。 「テレプシコーラに使う天星石は、その時々の音を、その構造体の中に封じる……太古の樹木からこぼれた樹液が、虫や草花を閉じ込めて固まるように、ね……」  不意に、室内を照らすランタン青白い光が、仄かに揺らいだ。使用している結晶電池の寿命が近くなってきたのだろう。  同時に、ぱたりと乾いた音を立てて、ニューランの手が落ちた。  単に眠りについただけだとわかっていても、一瞬、どきりとする。 「響くんだ……僕らの内で、共鳴するんだよ……」  ほとんど聞き取れない声で呟きながら、ニューランは眠りにつく。  俺はそっと腕を伸ばし、明滅を繰り返すランタンを消した。  暗くなった室内に、ニューランの発する規則正しい寝息だけが響く。  俺はそれを聞きながらベッドにもぐりこみ、目を閉じた。  瞼の裏には青白い結晶の瞬きが焼きつき、脳裏では、先日ニューランが俺に聞かせてくれた和音がいつまでも響いていた。  降り続いた雨は、翌日には止んでいた。  文字通り綺麗に洗われた草原が、いつも以上に青々とした眩しい景色を寝不足の俺の前に広げている。  今日の村はいつもと様子が違い、ちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。  隔週に一度やってくる定期便――街と街を繋ぐ隊商(キャラバン)がやってきたのだ。  いつもは閑散としていた村の広場も、今やすっかり隊商が広げる市場と化していて、買出しをする村の住人と、取引をする商人たちでごったがえしている。  加えて、どうやら街に出稼ぎに行っていた村人も、ちらほらと戻ってきているようで、人口の膨れた村は、それまでの穏やかな空気とは全く違った熱気に満ちていた。  幾つも連なる大きな荷馬車には、各地で仕入れた沢山の品が詰め込まれており、ひっきりなしに往復する商人が、村人たちとの商談に声を張り上げている。  犠牲祭も近いこともあって、売買のために厩舎から引っ張り出されきた羊も加わり、朝から大変な賑わいだ。  そんな中を、俺はマーリカの手伝いのために、彼女の買出しに付き合っていた。村を出ているアリーの代わりだ。  彼女の留守の間、宿を訪れた客を案内するのは、ナジとラナー、そして、ナジのラバーブ練習のために寄り集まった老人達だ。  勝手知ったる宿の中、彼らは少しも慌てることなく次々と訪れる客をさばいてゆく。  ニューランはニューランで部屋にこもっているかと思いきや、村への道中で消費した必需品を買い足すために、これまた朝から宿を飛び出して行ったきり帰って来ない。大方、値切るために商人とのやりとりに夢中になっているのだろう。  もっとも、その点はマーリカも負けていなかった。普段みせるようなふわりとした笑顔が幻だったのかと思うほどの気迫で、これはもう少し安くならないかだの、それをこれだけ買うからあっちをおまけしてくれだのを続けている。  村の台所を預かっているマーリカには、必要なものが沢山ある。大きな籠いっぱいに詰まれた香辛料や乾燥させた香草に、豆や穀物、それらの加工品、他にも生活必需品や燃料等々。  そうやって次々と買い込まれた食材を、俺はひたすら宿へと運び続け、ようやくその作業から開放されたときには、くたくたに疲れてしまった。 「ジウさん、手伝ってくれてありがとう。おかげで助かったわ」   季節が変わると、仕入れ難くなる品もある。値段も高くなってしまうから、そうなる前に買いだめができてよかったと、マーリカは満足げだった。  こんな俺でもお役に立てれば幸いだと、休憩の茶を飲んでいたら、客の案内を終えたラナーが、外套を羽織りながらいそいそと俺の側へとやってきた。 「ジウさん、ジウさん。すっかり遅くなっちゃったけど、私、これから家に戻って仕上げをするから、あとで来てちょうだいね」 「そんなに慌てなくても」  いいですよ、と続けようとしたが、ラナーはすでに俺に背を向けており、あっという間に出ていってしまった。  宿に残った老人達も、それじゃぁ練習を始めようか、しかしニューランはどこへ行った、朝から見ておらんぞと騒ぎ出す。  皆が張り切る気持ちもわからなくはないのだが、少し怖くもなってきた。俺は一旦、宿を抜け出すことにして、そっとその場から移動した。  賑わっていた広場の即席市場は、昼間近になると幾分か落ち着いてきていた。  街から戻ってきた村人たちも、めいめいの家に久しぶりの帰宅を果たしたのだろう。競りで残った羊も厩舎に戻され、あとに残るのは、珍しい品を扱う露店と、それを冷やかす余裕のある者だけだ。  天星石を扱う商人もいたので念のため覗いてはみたが、やはりアリーに頼んだようなものは見当たらなかった。  他にも何かいいものはないだろうかと、ぶらぶらと幾つかの店を覗いていたときだった。 「ジウじゃないか!」  突然呼びかけられて振り返ると、見覚えのある顔がそこにあった。  当初、この村を目指すために俺達が利用する予定だった荷車の持ち主であるジョサイアだ。  「出発の時間に姿を見せなかったから、心配していたんだぞ」  南の海の出身だというジョサイアは、黒く艶のある肌に真白い歯を見せながら、その太い腕で俺を力一杯抱擁した。  よく肥えた大きな体に、鮮やかな赤とオレンジと、その間を縫うように走る白とが織り成す縞模様の服を纏ったジョサイアは、彩り鮮やかな市場の中でも一際目立っていた。  ジョサイアが扱うのは主に繊維や織物で、この村での取引は取り分け重要な位置を占めているのだった。 「ここの品はどこへ持っていっても評判が良いんだが、一枚を織り上げるのに、軽く数年はかかってしまうからなぁ」  村の住人がわざわざ他所へ売りに行くくらいなら、自分が全て買い占めてやりたいと言っているのだが、なかなかそう上手くはいかないらしい。 「それはそうと、綿菓子頭はどうした」  丸い目でじっと凝視しながら、ジョサイアは俺にたずねてきた。  綿菓子頭というのは、ニューランのことだ。白くてふわふわした髪を指しているのだろうが、半分くらいはその中身をも指しているのかもしれない。 「ニューなら買出しで広場にいるはずだぞ? 見なかったか?」  俺が答えると、ジョサイアは首を傾げた。 「いや、まだ見ていない。あいつは目立つから、絶対見つける自信はあるのに」  そう呟くジョサイア自身も、ここでは相当目立っているわけなのだが、それはさておき。  ジョサイアは常に同じルートで行商をする定期便とは違い、その時々で各地を渡り歩く自由商人だ。あちこちの街へ出向き、現在の地上で行ける場所にはほとんど足を運んだことがあると言っても過言ではない。  同じく外世界を長いこと旅しているニューランとは、行く先々で顔を合わせることが多く、自然と情報を交換、共有するようになったのだという。  ただし、ジョサイアはいつどの時期にどこの街に行けば会える、というような商人ではない。そのため、一度別れた後、次に再会するまでに、数年単位の期間を要することも稀ではなかった。  そういう具合なのだが、ジョサイアは何年経とうが、客の顔は決して忘れないし、頼んだ品も必ず入手してくれた。もっとも、肝心の客本人が、注文したことすら忘れていることも多々あるという、冗談とも本当ともつかない話もよく聞いた。  そんな彼がニューランにもたらしてくれたのが、この村の情報だったのだ。しかし。 「そういえば、例の古唄だが……」  ジョサイアが俺に身を寄せて、小声で話しだす。 「聞いたか? 唄い手のこと」  折角教えてもらったのに、生憎と俺たちが出立を決めた頃には、唄い手であるカリムは当にこの世から去っており、後継者もご覧の有様だった。俺が頷くと、 「すまん、もっと早くに教えてやればよかったな」  ジョサイアは悲しそうな顔をして項垂れた。 「ジョシュ、あんたが気にすることはないさ。タイミングが合わなかっただけなんだから」 「しかし、あの素晴らしいウタが聴けなくなったのは事実だろう? 俺は、何よりも、それが悲しくてたまらないよ」  ジョサイアは、音楽をこよなく愛していた。きちんとした旋律がなくとも、自然に湧き上がるその時々の感情を、勝手気ままな詩に乗せてよく歌っていた。そのベースにあるものは、彼のルーツである場所――今はなき南の大陸だ。  住む地を失った大人たちが渡り歩く先々で、折に触れ口ずさんでいたものを子守唄代わりにジョサイアは育った。残念ながら、彼自身は大崩壊後に生まれたのと、文化の断絶のせいで、ニューランが欲している古唄そのものについてはよく知らないのだが。  しかし、彼自身、何かしら惹きつけられるものはあるのだろう。で、なければ、長年の顔なじみだからといって、わざわざ世界の果てくんだりまで行って、あるかどうかもわからぬ唄の話を掻き集めたりはしない。  ニューランにも是非聴かせてやりたかったと溜息をつく背中を、俺は軽く叩いてやった。 「まぁとにかく、俺たちはまだ宿(ここ)にいるつもりだから、後で綿菓子頭にも会いに来てやってくれ。きっと喜ぶ」 「ああ、もちろんそのつもりだとも。じゃあ、また後でな、ジウ」  再び力強い抱擁をして、ジョサイアは立ち去った。  やがて、残っていた露店もそろそろ引き上げ時とばかりに店を畳みはじめる。  徐々に薄らぐ喧騒の名残を眺めていると、不意に、街にいた頃が懐かしくなってきた。あんなに人が溢れて息苦しく、煩い場所だったのに。不思議なものだ。  まだ十日という気持ちと、もう十日も経ったのかという気持ちとがない交ぜになりながら、俺は広場から出てラナーの家へと向かった。
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