Chapitre1 白鳥湖

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【三】  週明け、僕らC組は体育祭の作戦会議をしていた。要は選手決めだ。 「種目はざっとこんなモンかー?」 「いいんちょー、台風の目忘れてるよー!」 「おおマジか。ハリケーン、っと」 「なんでだよ!」  ドッと笑いが沸き起こる。笑いを取りながら、クラス委員長は「センセーはガッコの時なにに出たはりました?」と氷室先生に話しかけた。 「………覚えていないな。興味もなかった」  一気に白けた。委員長は肩を竦めて、何事もなかったように黒板に向き直った。  クラス担任の氷室先生は、正直に言うと嫌われている。鉄仮面で、話しかけても白ける発言ばかりで、口がよく回るのは数学の授業だけ。噂によると、少しは生徒と雑談でもしたらどうかと他の先生が指摘した時に「雑談をする意味は何か」と聞き返したそうだ。周りの顰蹙を本人は気にも留めていないようで、いつも涼しい顔をしている。 「なんかさー、こういうのって当日やっちゃえば楽しいけど、準備とか邪魔くさいじゃん?しんどいし、別になくっても楽でええかなーって思ったことあるけど、ほんまになくなるって思ったらやっぱなーって思っちゃった」 「わかるわー。てか、勉強ばっかになんのがそもそもイヤ」 「なー」  五月の体育祭。十一月下旬の学園祭。あとは学年ごとの行事。  実は今、こういうイベントを廃止すべきか否か、という話が先生の間で持ち上がっているらしい。体育祭は怪我が危ないから。学園祭は費用が厳しいから。それぞれの理由で、行事の廃止例は全国に点々とあるようだ。  クラス対抗リレーは必須として、僕はとりあえず障害物競走に立候補しておいた。別に障害物が好きなわけではない。他の四百メートルリレーや騎馬戦みたいなガチ種目は、いつも目立っているような、運動神経の良い子達で自然と埋まった。つまりただの消去法だ。 「不知火ぃー、頼むよ四百メートルのアンカー!」 「だりぃ」  勝利のために拝まれても、やる気のない生徒はとことんやる気がない。 「じゃあ、最後は棒倒しやな。出たい奴は挙手!女子はやめとけ潰れるから!」  棒倒しは男子と決まっているわけではないけれど、大体いつも男子だけ。相手チームの棒を倒すだけの簡単なルールの割に、あまりに激しすぎるからだろう。前に動画配信サイトで防衛大学校の棒倒しを見たことがあるけれど、既に救急車が待機していることにツッコんで良いのかわからなかった。  これも、やっぱり運動神経が良くて目立っている男子が選手になりやすい。自分から立候補したり、お前やれよと推されたり、黒板に名前が書かれてゆく。 「森田」  僕はそのうちの一人を呼んだ。  特別陰キャではないけれど目立っているわけでもない。そんな僕がいきなり何か言い出したから、みんな不思議そうに振り返ってきた。森田賢吾だけがしかめ面だ。その理由は、この中で僕だけが知っている。 「…なんや」 「それ、出ない方が良いと思う」  途端にもっと不機嫌にさせてしまった。 「俺には出来ないって言いたいんか」 「違うよ」 「ならなんや」 「怪我するかもしれないから」 「それはみんな同じや」 「そうだけど」  確かにこれでは、森田だけを変に特別扱いしているみたいだ。僕も上手く喋るのは得意ではない。ギスギスした空気を作ったから、数人に睨まれる。 「もうすぐ、発表があるって聞いたよ。怪我したら出られないよ」 「え?森田なんかあんの?」 「なんもあらへん。そいつが勝手に言ってるだけや」  森田は僕を睨んでそっぽを向いてしまった。それでなんとなく察した。森田はアレをバラされたくないのだ。だから僕も、それ以上言えなかった。  僕と森田は、三年前に大喧嘩をしている。クラスメイトは誰も知らないことだ。  これで完全に、僕が悪者みたいになった。森田は顔も良くて、性格も良くて、カーストの上位にいるような男子だから当たり前だ。 「おい」  休み時間。トイレで手を洗っていたら凄まれた。 「不知火?なに?」 「殺気立たせてどうしたんだって聞いてんだよ」  不知火遼と僕の組み合わせは、ビジュアルとしてはガラの悪い不良と絡まれる草食系男子だろう。 「殺気って。武士やヤクザじゃあるまいし」 「そういう奴っているんだよ。空気が不穏っつーか、動物として強そうっつーか。うっかり近寄れねーって思わせる奴」  いまいち会話が噛み合っていない。それが僕だと言うのだろうか。  ただ、不知火の言い分はともかく、そういう感覚は僕も知っている。バレエダンサーに限らず、スポーツとか、一種の身体技能を極めた人はオーラが違う。弱肉強食の世界を知る生き物の匂いだ。 「明らかにお前、おかしいんだよ。朝からずっとなんかダダ漏れてんぞ」 「そのうち収まるよ。不知火こそ、武術部のエースじゃん。居眠りしててもおっかないよ」 「あ?」  最後の一声は、僕の後ろに向けられたものだった。 「良い顔つきになったな」  そういえば、ここは三年生も使うトイレだ。思わず舌打ちする。 「誰コイツ」 「生徒会長」 「は…?」  当然の反応だと思う。もうどうしたって「物腰柔らかな教師受けの良い生徒会長様」には見えない。カリスマ性とは別の、ダンサー特有の圧倒的な空気感。今までどれだけ上手く隠していたのだろう。  天宮和臣。ダイナミックなコンテンポラリーに輝く才能。日本ジュニア《三種の神器》──  調べてみれば、彼のことはすぐにわかった。過去のコンクールの様子も、動画配信サイトで一部を見ることが出来る。図書館で月刊バレエ誌の記事を遡ることも難しくはなかった。 「骨の髄までバレエに侵されている人間なら、実力派の舞台を見りゃ嫌でも感化されるだろうと思った」 「……だったら、なんだって言うんですか」 「話の続きだ。前理事長が急死して、教育方針が変わりそうなことは知ってるな?」  前回は厨二病のような発言だったのに、堅苦しく話し出されて戸惑った。 「まずは行事の廃止。更には部活動も廃止するか、もっと規模を小さくして、徹底的に学問の比重を大きくしたい。それが新しく着任した理事長の考えだ。理事長のブラックリストにはもちろん、そこの不知火遼の武術部も含まれている。将来実を結ぶかもわからないものに、わざわざ金と時間をかける意味はないという意見だな」  僕らの学校は私立だ。つまり、校風には経営者の性格がかなり影響する。  前理事長を含めて代々、武芸を積極的に盛り立てようとしてきたようだ。そのお陰か行事だけでなく、部活動が多い。  活動成果が全国新聞に取り上げられることは珍しくないし、毎年どこかが大会やコンクールで受賞する。その校風が人気で、外部受験の子や、遠い県外からわざわざ通ってくる子も多い。通う生徒で商店街は賑わっているから、一応、地域活性化とやらに貢献してきたようだ。  ところが、慌ただしく着任した現理事長は考え方がガラッと違うらしい。ゆとり教育の反動だろうか。 「そこで生徒会は全校生徒にアンケートを取った。結果は、九割以上が廃止に反対」  そのアンケートには覚えがあった。壁ドンされた前日だ。 「だが、そのアンケート結果だけじゃ理事長を納得させられなくてな」  学校評議会というものがある。曰く、教育方針などを定期的に見直し、改正や決定を行うという。現理事長は評議員を長く勤めていて、学力重視の硬派として有名なようだ。最近でも、行事や部活動の廃止を強く訴え、賛否両論の議論が続いているらしい。  そこで、評議会は各学校に人材を派遣することにした。派遣員は模試の結果などを調査して、学問への取り組みの姿勢を評価する。行事や部活動についても「教育の場における文化活動が子供に与える将来性」という観点で、やはり評価を行う。  そうして総合的に評価した結果として、学力低下の傾向や、行事や部活動に将来性が見いだせないと認められた場合、現理事長の主張が採用されるだろうと生徒会長は言った。 「つまり、簡単に言うとだ。行事や部活動をこれまで通り存続させたいなら、ウチの場合、手始めに今度の前夜祭でそれなりの成果を見せなきゃならなくなったんだ。この間の職員会議で、ひとまずそういう方向性で話が纏まったんだよ」 「…まさか、その審査の舞台で主役をやれってことですか?」 「ご名答」  学園祭は、前夜祭、本祭の二日間にスケジュールが分かれている。前夜祭では毎年大きなホールを貸し切って、生徒会主導で舞台を披露するのが伝統だった。保護者や地域の人達が観客になる。有志の部活動による舞台は「地蔵学校」の名物で、演劇だったりダンスだったりと年によって色々だ。  そこに、今年は評議会による審査がある。将来性を、意義を、見出せるか否かの審査が。 「要するに、例年以上に気合を入れなきゃならんわけだ。グウの音も出ないほど黙らせるには、それ相応の大舞台が必要になる。とりわけ舞台上の華は重要だろう?過去にやったことがないバレエはインパクトも十分狙える。細かいシナリオはこれから考えるが、とにかく役者を確保しなけりゃ話にならん」  バレエは誰がやっても良い。誰でもやって良い。それは本当のことだけれど、建前でもある。誰でも気軽に始められるわけではないし、主役級が短期間でアッと言わせる成果を出すには、まず素人じゃ無理だ。バレエ専門学校でもない限り、それなりのキャリアを持つ生徒は圧倒的に少ない。  だから、過去がバレている僕に声がかかるのは当然だ。理屈はわかる。  それでも、頷くわけにはいかない。 「生徒会長が踊れば良いじゃないですか」 「俺個人としては、学園祭のことはあくまで、お前を釣り上げるための餌でな。最終目的は『呪い』を解くことだ。…例えば、そういう態度と、そうさせている過去とかだな」  話を振り切るように出入り口に向かった。 「商店街のレンタルスタジオMiyako。その気になったらいつでも来い。──予言しても良いが、お前は来る」  その言葉こそ呪いに聞こえた。  放課後、不知火が何故かついてきた。僕が住んでいる家は、岡崎にある。「くろ谷さん」で有名な地区だ。 「不知火の家、壬生じゃなかったっけ」 「別に良いだろ」 「良いけど」  いつになく難しそうな顔つきをしていた。 「ばれえって、お前が中等部バックレやがった原因か」 「あの時はありがとう」 「真夜中に関空までぶっ飛ばせってのは、まぁ確かにぶったまげたな。大人しそうな奴ほど、なに考えてんのかわかんねぇから気味が悪りぃ」  僕も不知火も、中等部出身だ。でも、いわゆる「住んでいる世界が違う」同士だった。当時、不知火は有名な不良グループにいた。その彼に、バイクで関西空港まで行ってくれと頼んだことがある。  結局なにがしたかったのかわからないまま、不知火は家の前までついて来て、さっさと帰っていった。今日も空は不機嫌で、雨が降らないうちに帰ってくれれば良いと思った。 「おじいちゃんごめん。お腹空いたよね」  祖父は珍しく、工房ではなく居間にいた。普通の顔が不機嫌に見えるのは不知火と同じで、逆に亡くなった祖母はいつもニコニコ笑っているような人だった。進路に悩んでいた僕に、熱心に内部進学を進めてきたのも祖母だ。孫というのは、おばあちゃんという生き物のお願いに弱いのかもしれない。 「明日は肉じゃが、たくさん作っておくね」  お弁当にも使えるから、祖母の肉じゃがは毎週のように作っている。 「健斗」 「なに?」 「さっき、刀を持った誰かといたか」  吃驚した。時々、おじいちゃんは千里眼みたいなことを言う。 「いたけど…なんで?」 「友達か」 「まぁ」  友達というより、腐れ縁だろう。 「刀は」 「うん」 「オニを斬るでな」 「うん?」 「人を守るが、監視もしている。それが、もののふだ。斬られんように、気ぃつけなさい」 「僕がオニ?」 「人はオニを飼っとるモンだ」  こういう話は、よくわからない。そういえば、不知火はあんなに強いけれど、武士にでもなりたいのだろうか。  適当にTVをつけると、都内のビルで飛び降り自殺があったニュースが流れてすぐに電源を切った。重苦しくなった心臓を抱えて包丁を取る。肉じゃがの材料を全部切り終わるまで、四回指を切った。  姉は立入禁止区域の海に浮かんでいるのを発見された。「夢破れた人魚姫」「脚の大怪我が原因か?」というゴシップは、あっという間に周囲に広まった。  それから、姉はずっと眠り続けている。  体育祭当日はすぐに来た。  僕が出た障害物競争は途中で仮装するところがあって、この衣装がとても凝っていた。アパレル部が張り切って作るからだ。定番のセーラー服やメイド服などに当たった男子は、ヒューヒューと品のない口笛で囃し立てられる。  僕が引き当てたのは、チアガールの衣装だった。誰得だよ、とヤケクソで、スースーする脚を晒したまま三位でゴールインする。早く着替えたいと思いながら三位の列で待っていると、突然、腕を引っ張られた。 「仮装テントへようこそ〜!袋の中に衣装が入っているので、お好きな番号を選んでくださ〜い!」 「は?」  出番はもう終わったはずなのに、またこのテントへ逆戻りしてきた。元凶は彼女だ。このレースは最初にクジを引き、「眼鏡の先輩」「バスケ部員」など該当する人を探して一緒にゴールする。彼女は一体どんなクジを引いたんだ。 「…この衣装、チェンジは」 「出来ませ〜ん!」  僕は溜息をつきながら、選んでしまった衣装を睨め付けた。  《おおっと〜?今度のペアのテーマは『シンデレラ』のようだ〜!十二時の鐘が鳴るまでに仲良く障害物をクリア出来るか〜!?》  ノリの良いアナウンスのせいで、もっと下品に囃し立てられる。二度もこんな目に逢うなんて、と彼女を恨んだ。姫の衣装が僕、王子の衣装が彼女。僕はドレスの裾を引き摺るし、彼女は衣装が大きすぎて袖捲りしているし、ビジュアルも走りにくさも最悪だった。  《王子が引いたクジは…「一緒に踊りたい人」だったようだ〜!さあ、シンデレラの返事はいかに〜!?》  ゴールすると、クジの内容が暴露された。係員から期待を込めてマイクを突きつけられる。何かコメントをしないといけないらしい。物語にマッチしないといけないのか。それとも敢えて外した方が良いのか。拷問のようなノリだ。 「………魔法が解けるまでなら、踊れるんじゃないですか」  キャー!だか、ヒュー!だか、ガヤガヤとうるさい校庭をさっさと抜けて、更衣室で衣装を脱いだ。  《次の種目は〜棒倒し〜棒倒しです。選手の皆さんは準備をお願いします》  アナウンスを聞きながら、戻る途中で水道場に寄った。 「は!?バスケ部辞める!?」 「…大学受験に備えろって、親が。俺、ベンチだし、下手だし、続けても意味ないだろって……」 「いやでもっ!…お前、バスケすげぇ好きやんか、小学生の時からずっと一緒にやってきたやろ…!」  取り込み中の方を避けて、頭から水を被る。周りの音が聞こえないくらい、思いきり。  行事も部活動も、なんのためにやるのか、と聞かれても確かにハッキリ答えられない。言うなら精々、「こうした行事を通して仲間との絆を〜」とか「一致団結して目標に向かって頑張る大切さを〜」とか、受験の面接で答えるような白々しい回答くらいだ。楽しいから。面白いから。そんな感情論では、理事長のような人は納得しないのだろう。  学校を卒業して社会人になれば、きっとそういうことが当たり前になる。  購買で今日はどのパンを買おうかとか、放課後どこに遊びに行こうかとか、そんな気軽なものはどんどんなくなっていって。進路。会社での立場や価値。結婚。何かにつけて選択を迫られる。体育祭でどの種目に出るか、とはわけが違う。その選択が重要なものであればあるほど、幼稚な感情ではなく、誰もが納得できる理屈を求められるのだろう。  蛇口を閉めて振り返った途端、そっとそばに立たれた。  反射的に避けようとすると、視界に滑り込まれる。そのちょっと強引な感じが、らしくなくて、僕は思わず立ち止まった。彼女は胸元に抱えていたものを、そっと差し出した。  ガラスの靴。ではない。  踏み潰されてボロボロになったスニーカー。  よくあることだ。 「……ありがとう」  これは一昨日になくなったやつだ。ここまで生地が潰れていたら、もう修繕どころではない。家の玄関のつっかけくらいにはなるかな、と思いながら受け取った。  すると、彼女は。両手の拳を握って、交差した手首を、顔の前から下におろした。  このマイムは「怒り」。でも今は、彼女が怒っているわけではない。ただ僕をじっと見つめて、首を傾げている。  誰に何を怒れば良いのか、僕にはわからない。それとも、彼女が犯人だと勘違いするとでも思ったのか──それはないな、と少しやさぐれた気持ちを振り払う。  その時、校庭から大きな波が押し寄せてきた。次の競技はとっくに始まっていて、勝負が決まった歓声かと思った。  それが悲鳴混じりのどよめきだと、すぐにわかった。 「森田──!」  救急車を手配する声がして。誰が倒れたのかわかった途端、僕は彼女を置いて走り出した。
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