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extra track 冬のあしおとを聞く朝
「暁斗さん」
寝間着にしている薄手のスウェット姿のまま、自分の書斎から出て来た奏人が、洗面所にいた暁斗に、困ったように声をかけてきた。
「どうしたの」
「セーター貸してくれない?」
暁斗は一瞬何を言われたのかわからず、洗面所に沈黙が落ちた。
「……急に寒くなって着る服が無い、です……」
奏人は俯き加減で、言いにくそうに口にする。暁斗はようやく理解した。留学する前にほとんどの服を処分し、帰国するときも同様にした、というかアメリカでは服を買いに出ることもままならなかった奏人は、ほんとうに服を持っていないのである。彼が書斎として使っている部屋のクローゼットは、服の代わりに本が占領しつつある有様だ。必要になると休日にぽつぽつ買い足しているようだが、いきなりやって来た寒波に対応できなかった。
奏人の職場は原則、私服勤務である。堅い取引先に赴く場合は、スーツを着ることもあるようだが、一緒に暮らし始めてから、彼がスーツで出勤するのを暁斗は見たことが無かった。
「……いいけど、絶対サイズ合わないよ」
暁斗は顔を拭いていたタオルをタオルハンガーに戻しながら、言った。身長10センチ差、身体の厚みも違うふたりが、服を貸し借りすることは不可能に近い。
「そうだね」
奏人は苦笑混じりに応じる。
「今日はたぶん外回りに行かないから、ちょっとくらい崩れててもいいかなと思って」
「そう? 奏人さんがいいなら何でも貸すけど」
ふたりして寝室に向かう。暁斗も私服の数は多くない。箪笥の下のほうの引き出しを開けてみる。薄手のニットなんて持っていただろうかと思いつつ、数枚の服を引っぱり出した。
服を持たせれば、奏人は暁斗よりずっとお洒落さんである。ベッドに座り、先週末まで全く手に取る気にならなかったもふもふした布を、一枚ずつ広げて吟味する。その真剣な表情が美しいので、暁斗はこっそり見惚れて、朝からいい気分だと勝手に満足した。
「これ、いい色だね」
奏人は、茶色のニットを広げながら言った。ざっくり編まれたルーズな雰囲気を、暁斗も割に気に入っている。
「外に出たらちょっと赤っぽく見えるんだ、でもかなり大きいんじゃないかな」
「生地は何なのかな?」
「綿にアクリル、だったかな? 気温的にはちょうどいいと思う」
一人で暮らしはじめてから、暁斗は服を買うときに洗濯表示を見るようになった。洗濯での数度の手痛い失敗から身につけた習慣である。奏人は身頃の裏を見て、左脇についた表示を確認した。
「だよね……うーん、何とかしてみる」
何とか出来るものなのかと、暁斗は感心しながら、再度着替えにいった奏人の背中を見送った。暁斗も寝間着を脱ぎ、いつものようにカッターシャツに着替える。さっきのニットの色が目に残ったので、茶色味を帯びた紅色のネクタイを選んだ。少し地味なのだが、まあ秋らしくて良いだろう。
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