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extra track 2 暁斗の巣づくり ~再会~
1◇◇◇
壁に掛かった時計があと10分で23時を指す。暁斗は書類を放り出し、急いでノートパソコンを立ち上げた。カリフォルニア州サクラメントとの時差は16時間、あちらは朝7時だ。授業が始まる前に自分との時間を作ってくれる奏人のために、1分1秒でも無駄には出来ない。
オンライン通話は問題なく接続されて、画面に笑顔の奏人が現れた。暁斗は気怠い疲れが自分から抜けていくのを感じる。
「暁斗さん、こんばんは」
奏人はこちらに合わせて挨拶してくれるが、彼の背後は朝の光で明るい。暁斗には彼が、愚かな自分を祝福しに現れた天使に見える。
「おはよう、そっちは寒い?」
「だいぶ寒くなったよ、そっちはそろそろ紅葉がピークかな」
「そうだね」
嗅覚をくすぐる金木犀の香りが薄れると、色づいた木々の葉が一気に落ちる。会社周辺ではそんな光景を見ることは出来ないが、駅から自宅までで、注意していると案外季節の移ろいを感じることが出来る。
いきなり奏人の背後でばたばたと音がした。またか、と暁斗は苦笑する。奏人は大学の寮で暮らしている。彼が金曜の朝に日本にいる恋人とパソコン越しにお喋りをするのを知る寮の友人たちが、たまに乱入してくるのだ。暁斗にはさっぱり分からない英語でまくし立てながら。
「Hi, Akito, good morning……日本は夜ですね?」
奏人の背後にあるドアから入って来たのは、確かフランス人のマリーさんだ。彼女は日本のアニメオタクらしく、奏人によると独学した日本語をかなり使いこなす。今も途中から日本語に切り替えて来た。
「おはようございます、日本は夜の11時です」
名前を覚えられていることに驚きつつ、日本語で返す。美しい金髪を肩に落としているマリーは、奏人を無視して続ける。
「夜の挨拶は? おやすみなさい?」
「こんばんは、です」
「マリー、おやすみなさいって言うと暁斗さん寝ちゃうからやめて」
奏人が苦笑気味に口を挟んだ。マリーが奏人の日本語をどこまで理解しているのか分からないが、大仰にソーリィ、と言う。下手くそなコントを見ているようで、笑えた。
奏人がほとんど追い払うようにマリーにバイ、と言い、暁斗に向かって微笑する。
「いつもごめんね、みんな暁斗さんがチャーミングだから顔を見たいってうるさくて」
まさかこの歳で外国人にモテるとは思わず、暁斗は困惑する。嬉しくなくはないのだが。先週はフィンランド人のゲイの寮生が暁斗のことを好みのタイプだと話していたとかで、奏人が本気でやきもきしていた。そんな彼の可愛いところを見るのは新鮮だ。
とは言え、実は暁斗も奏人が外国人に言い寄られないかとやきもきしている。奏人は最初のアメリカ留学の際、ドイツ人の留学生と愛し合うようになったからだ。
ドイツ人の彼はクリスマス前に実家に戻った時、アウトバーンでの多重事故に巻き込まれて命を落としたという。奏人が彼の家に遊びに行く約束は永遠に果たされず、周囲に仲良しのルームメイトと見做されていた二人が恋人同士だったという事実は、誰にも知られず奏人の胸の中だけにしまいこまれた。
暁斗は奏人から、その人について詳しく聞いたことがない。ただ暁斗が確信しているのは、奏人が男性と愛し合う実際的なスキルを、その人を通じて体得したということだ。
奏人は今回の留学前に辞めたゲイ専門のデリヘルで、他の追随を許さない人気スタッフの地位を確立していた。男の身体の何処をどうすれば快感をもたらすことが出来るのかを知り尽くしている奏人だが、まず優しく触れたり囁いてみたりすることで、相手を慈しみ蕩けさせることができるのは、外国人とのセックスを知っているからではないかと、暁斗は思っている。
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