9月 13-①

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9月 13-①

 週明けも暁斗は、営業1課の部屋で留守番をしていた。あの記事は削除されたとは言え、登場する「敏腕課長」が暁斗であることは最早ごまかしようもなく、暁斗自身が記事に虚偽は無いと認めてしまったことも、それとなく拡散していた。長年の付き合いの取引先の担当者たちからの心配や(ねぎら)いのメールが増えたが、専務たちや谷口が気にしていたような、苦情を呈したものは一通も無い。それを暁斗は有り難く思う……世の中は性的少数者への理解、あるいはそれを揶揄(やゆ)するような行為は好ましくないという認識を、以前よりは深めていると実感する。  奏人は会社で嫌な視線を感じることはあるが、面と向かって何か言われるようなことは無く、平和に過ごしているようだ。ただ、自分の情報は拡散しているので、LINE以外のSNSのアカウントは閉鎖したという。別にこれまでも、他人の投稿を見て元気にしているか確認していた程度なので、不自由は無いらしかった。 「課長、軟禁は解けないんですか?」  長山がハンコを求めてやって来たついでに、尋ねてきた。 「うん、放置プレイされてる」 「先週末出先で課長は大丈夫かって訊かれました、何かいろいろ話を聞きたそうな感じでしたよー」  彼女の担当するとあるベンチャー企業は、社長を筆頭に社員が皆若いせいか、担当者も他の社員もやけにフレンドリーである。 「ネタを提供しに行くのは嫌だぞ」  暁斗は書類の一枚一枚にハンコを丁寧に押しながら、言った。 「見かけ堅物げな課長が10も年下の男子と付き合ってるとかキッチュ過ぎて痺れるって」 「そんなとこ痺れなくていいから新商品買ってくれないかなぁ」  暁斗は半ば冗談で言ったが、長山は妙に戦略的な発言をする。 「食いつき良かったです、ここは課長がネタをエサに押すべきでは」 「俺が10こ下の彼氏の話をしたらデスク総入れ替えしてくれそうか?」 「うーん、総入れ替えは厳しいかも、まだ5年ですもん」  でもカタログに食いついて来たということは、社員を増やす予定があるのかも知れない。景気の良い話である。若い会社が元気なのは良いことだ。  長山が自分のデスクに戻ると、今話している間にひとつ受信があった。アドレスと「桂山様、先週はありがとうございました」というタイトルを見て驚く。あの中野の会社からだった。  メールには夫人が社長から頼まれて代筆すると冒頭で断った上で、社長の個人的な話が綴られていた。  先月、社長の高校時代からの友人の一周忌の法要があり、社長が未亡人から小さなアルバムを形見にと手渡された。亡き夫が大切にしまいこんでいて、最近見つけたと聞かされた。そこに写っていたのは、社長が彼と一緒に出かけた旅行などの光景で、集合写真もあれば社長と彼だけのものもあったが、とにかく全ての写真に社長の姿があった。未亡人は、社長がいつも夫に付き合ってくれたことに礼を言ったが、社長は一緒に出かけた回数を考えるなら、もっと親しい友達がいたはずだと思った……そして何故、亡き友人がそんなアルバムを作り大切にしていたのか、社長には心当たりがあった。 「亡くなったお友達は大学を卒業して就職する前に主人と会い、友人として以上に君が好きだと主人に告白なさったのだそうです。主人は彼が決して冗談で言ったのではないと気づきつつも、どう答えたら良いか分からず、自分も君を大切な友人だと思っていると、結果的にごまかしたのでした。それ以来お友達はそのようなことは一切口になさらず、主人と交遊を続けられました(そのうち主人もそのことを忘れていたようです)。結婚して3人のお子様をもうけられて、会社でも同期で一番出世されたとか。ただ、思ったよりも早く逝ってしまわれたのは、同性愛者、もしくはその傾向があったことを周囲に隠し続けたせいではないかと、今になって主人は思うのだそうです。」  あの夫人らしい明瞭な文章だった。それだけに暁斗は衝撃を受ける。夫人が買い物に出た後、社長は暁斗の気持ちを聞きたがり、一瞬(ひど)く沈んだ表情を見せた――子どもがいたとしても、根本的な解決にはならないと暁斗が話した時。社長はあの時、この友人のことを頭に思い浮かべていたのだ。 「私が居ない時に主人は桂山さんに根掘り葉掘り質問をしたそうですね、本当に申し訳ありませんでした。主人は桂山さんの、女性を好きになる気持ちと同じだというお話を伺い、若い時にお友達にもう少しましな返事をするべきだったと悔やんだそうです。」  暁斗は社長に今すぐにでも言ってやりたくなった。悔やむことなどない、きっと友人は社長がそれまで通りに接してくれて、自分の告白を他の誰にも話さなかったことを、死ぬまで感謝していた筈だ。  ただ、その友人の気持ちを思うと、暁斗は切なくなった。好きだけれど友人以上にはなれないもどかしさ。それが彼の寿命を縮めたかどうかは分からないが、「普通に」結婚し、妻と子どもたちを養うことで世間と折り合いをつけることは、時に彼を苦しめたかも知れない。 「主人がこの話をどうしても桂山さんにしたいと言い出しまして、お電話はご迷惑になってはいけませんし、主人は文章を書くのが苦手なので、私が延々と失礼させていただきました。あの日会社に来てくださり、主人と根気よく話をしてくださったこと、主人共々感謝いたします。桂山さんとパートナーの方との幸せを願っております、大福を用意して待っておりますので、またお立ち寄りくださいね。  追伸。娘が頂戴したカタログを見てやはり心惹かれたようでしたが、何とか我が家で炎は上がらずに済みそうです。その代わりと言っては何ですが、娘のお友達で来春の起業を計画している女性がいるそうで、その方にカタログを差しあげてほしいのです。以下がその方のアドレスです。よろしくお願い致します。」  目の奥が熱くなった。あんな話に感謝されることなど全く無いのに。礼を言われるようなことなど、何もしていないのに。 「課長?……えっ、どうしたんですか!」  3時のお茶の用意を始めようと暁斗にオーダーを取りに来た長山は、暁斗がパソコンの画面を見つめて涙を流しているのに気づき、心底驚いて声を上げた。暁斗は彼女の声に我に返って、慌てて手で目許を覆った。 「ごめん、こないだ行ってきた会社の社長夫人からメールが来て泣かされた」 「えっ、大福の会社のですか?」  長山は、(そば)のデスクから勝手にティッシュの箱を持ってきて、暁斗に差し出した。暁斗は2枚紙を取り、畳んで目に当てる。 「ちょっと2課に手島くんいたら呼んできてくれないかな、新しいお客様になるかも」  長山はさっきと違う声色で、もう一度えっ、と言った。 「いいんですか、てっしーの仕事にしちゃって……課長にメールをくださったんでしょう?」 「元々てっし……手島くんの携わってる会社だ」  つられて2課の若者を変なあだ名で呼んでしまいそうになる。彼女ははい、と素直に応じて隣の部屋に早足で向かった。彼女はすぐに戻って来て、手島の不在を告げた。 「今日はたぶん直帰するって」 「そうか、ありがとう……メールしとくか」  暁斗は社内のアドレス帳を開いて、手島のアドレスを探す。社長夫人からのメールの、追伸の部分だけをコピーし、ペーストした。社長の友人の話は、社長がいいと言ってくれたら、直接話してやろうと思った。 「何かお饅頭食べたくなってきましたね、下のコンビニまで行ってきます、緑茶でいいですか?」  長山は微笑を浮かべながら言った。暁斗はよろしく、と応じて財布を出した。彼女はちゃっかり、気の良い課長から千円札を受け取って、エレベーターホールに向かった。
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