9月 13-②

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9月 13-②

 その1時間後、性的少数者のための相談室のメンバーらは、西山が不在にもかかわらず人事部のフロアの会議室に集まっていた。岸が西山に代わり、奏人の会社の同様の組織とのこれまでの動きについて報告すると、一同はほぼ同時にうーん、と唸った。 「これこっちから取締役クラスが出てこないとまずいですよね」  出版社から謝罪を引き出すための協働のために、あちらが副社長の名前を連名で出して来たことを聞き、清水が眉間に皺を寄せた。 「私この間労組の女性委員会でこの話をしたんです、専務陣の総入れ替えを要望しようってみんな鼻息が荒くなってました……ただ今のところ、専務陣が(かたく)ななことで会社が実害を受けた訳じゃないでしょう、なかなか難しいかなって」  大平がペンの尻で自分のこめかみをつつきながら言った。 「この会社が社員の人権を守るという発想がないって話はぼちぼち世間に広がってるけれど……それが売り上げ減とかの実害に結びつくまでじゃないかもな」  山中も腕組みをして話した。 「アメリカだったら不買運動に繋がることもありそうな案件ですけれど」  清水が言う。まだ日本の社会は、他人の権利への意識が薄いのだ。 「桂山くんはどうなんだ、パートナーとその恩師への謝罪を出版社に求めたいという気持ちに変わりはないのか」  岸に訊かれて、暁斗ははい、と答えたが、それはあくまでも暁斗個人の気持ちであり、会社にそのために動いてもらおうとは思わない。自分のことなら、むしろどちらでもいい気持ちのほうが強い。  暁斗は困惑していた。会社に迷惑をかけているから外回りに出るなと言われると、腹が立つし納得がいかない。しかし、社内でのそのような偏見や理不尽な圧力を無くして欲しいだけで、自分のために他所に抗議をしてくれとまで言う気になれないのである。それに、奏人の会社が積極的にこちらに協力を呼びかけてきていることを、奏人ははっきり把握していなかった。それも気になっており、奏人がもう静かに収めて欲しいと考えているなら尚更、これ以上はいいという気になってしまう。最早おまえたちだけの問題ではない、と山中なら言うだろう。確か神崎綾乃もこの間同じような言い方をした。  暁斗は例の女性記者、佐々木啓子に電話が全く繋がらないのを不審に感じていて、彼女の名刺のデータを渡したこともあり、今神崎が彼女について調べている。神崎は当然のように動いてくれているが、暁斗は何となく気持ちが悪くなっていた。単に記事のことで暁斗に苦情を申し立てられるのが面倒だというなら、わかる。しかし佐々木の携帯は、着信拒否ではなくコールしても出ないのである。神崎は彼女が電話に出られない状況である可能性を示唆し、ならば遅かれ早かれ電池が切れ、電話は役に立たないだろうとメールに書いていた。一体どういうことなのか。奏人の客であるどこぞの区議の「潰す」というのは、まさか反社会的勢力の者たちが為すようなことを指すのか。 「桂山さん、大丈夫ですか? さっきから瞼が腫れてるのが気になってるんだけど」  大平がこちらに視線を送って来ていた。暁斗は我に返って、先週行った例の会社からメールが来て、ちょっと嬉しくて泣いたと正直に言った。 「そうか、良かったじゃないか」  岸が心から言ってくれているのがわかり、それも嬉しい。後で新商品の新規客が出る可能性も伝えなくてはいけない。 「気が進まないが……こういう運びになっているから協力頼むと専務陣に言ってみるか、若い人ならわかってくれそうな気がするんだが」  専務陣の「若い人」には岸の元上司も含まれている。しかし一部の年上の頭の固い人たちに対し、意見し難い空気があるらしかった。 「あの……この件にこだわっているとずっと振り回されます、何か相談室らしい企画とか進めませんか?」  暁斗は重苦しくなっている室内の雰囲気を何とかしたいのもあり、手を上げて言った。 「私がとある会社とのちょっとした行き違いを……まあおかげ様で一段落させることができたことで、幾つか示唆を得ました」  例えば何を? と山中が尋ねる。 「パートナーの話で恐縮ですが、彼が想像力のある人や他人の痛みを自分のものとして感じられる人がいる限り、マイノリティであることは不幸ばかりじゃないと言いました……私は他にも、想像力に欠けていても実直に疑問を解決したい人がいて、そういう人になら疑問に答えることでアプローチ出来ると感じました」  その場の一同はふむふむと一様に頷く。 「理解してくれなさそうな人の言動に神経をすり減らすより、理解してくれそうな人に理解への筋道をつけるほうが建設的です、何か相談室主催で小さな集まりを持ったり……こちらから大げさでない発信をしたりできないでしょうか」  清水が自分の希望としては、とにやにやしながら言った。 「山中さんと桂山さんがオープントークをしたらたぶん面白いですよ」  大平が吹き出した。清水は続けた。 「最近昼休みに社食で2人で話してませんでしたか? うちの若い子が近くに座ってて、切れ切れに聞こえる話が微妙に笑えたって言ったものですから」  うわぁ、と山中は天井を仰いだ。 「桂山とゲイ語り? 嫌だ、惚気(のろけ)話ばっかり聞かされるのは」 「惚気話なんかしてないですよ、それにあの時そんな面白い話をしていた記憶もない」  暁斗は反論したが、あの時同席していた岸が、割と面白かったけれど、と呟いた。 「でもゲイデリヘルの話はちょっと刺激が強過ぎるんじゃ……」  大平の声に、そんな話しません、と暁斗は否定した。赤面を禁じ得ない。 「社内報にもせっかくでかでかと載せてもらったことだし、まあ発信はしたほうが良さそうだな……A41枚裏表でいいから、ニューズレターみたいなのを発行するとか」  岸はちらっと大平に視線を送った。彼女は労組の刊行物の編集に携わっていて、ワードで紙面を作るのにも慣れている。 「原稿さえ出してくれたら編集はしますよ、小綺麗なものは作れませんけれど」  大平の言葉におおっ、と会議室に拍手が起きた。 「桂山が自分のネタを連載する、受けが良ければそのうちオープントークをやろう」  山中の提案に暁斗はええっ、と声を上げた。 「創刊号は室員の自己紹介とどうやって相談を受け付けつけているかを周知したら紙面が埋まりますね、桂山課長の連載は2号からで」  清水は持って来ていたミスコピーの裏に、早速レイアウトを始めた。 「うちの新人に似顔絵が上手な子がいるの、描いてもらいましょう」 「そうだな、室員以外の人にもさりげなく噛んでいってもらおう」  大平が言うと山中が乗り気になってきた。そこは企画課のエースに任せておけば良かったが、尚更連載を持たされる可能性が高まり、暁斗は気が気でない。 「情報課に頼んで相談用アドレスを作って貰えないですかね、ハラスメント委員会が持ってるような……代表アドレスから我々全員に回るようにして、室員を指名したい場合は個人的にメールするって感じで」  清水がてきぱきと段取りする。 「基本的には全員が情報を共有する形ですか?」 「そうでないと、個人が抱える件数が増えたらきついだろう、カウンセリングルームじゃないから」  相談者が室員全員に情報を共有されるのは嫌だと言う場合もありそうだが、そこは仕方が無さそうである。ふと奏人から、神崎綾乃が20人のスタッフ全員と、月1回個別に話す時間を持つという話を聞いたことを思い出した。タフな女性だと改めて思う。  言い出しっぺの暁斗が特に意見しない間に、ニューズレターの概要が大体決まってしまった。ノリの良いグループである。周知が上手くいけば、専務など上層部がスルーしようがしまいが、既成事実をつくることができる。そもそも立ち上げの会見を華々しく打っているのだから、こちらが頭を下げることなどありはしないのだ。暁斗は自分がこんなに開き直ることができるのに驚きつつも、組織に属していても可能な限り自分のやりたいように動かなければ、何も進まないという事実にある種の危機感を覚えていたので、やるしかないという気持ちになっていた。  ミーティングが終わり、暁斗が営業部のフロアに戻るとすぐに、スマートフォンが短く震えた。奏人からのLINEで、昼休み以外の時間帯に連絡をしてくるのは珍しく、暁斗はすぐに確認する。 「暁斗さんの会社に来た佐々木さんという記者が先程僕に会いに来て、泣きながら土下座して謝ってきました。」  暁斗は仰天し、かろうじて声が出るのを抑える。奏人は3つに分かれた吹き出しに予想外のことを記していた。 「綾乃さんから、週刊誌の編集部の中で例の記事の掲載に関して確執があったようだという情報を得ていたのですが、」 「その話と合わせると、佐々木さんが書いた記事は彼女の許可無く改悪されたようです。もしかしたら佐々木さん、暁斗さんの会社にも行くかも。とても切羽(せっぱ)詰まった様子だったから」  読み終わると同時に、暁斗のデスクの電話が鳴った。受話器を上げると、受付の新城が慌てた声を送ってきた。 「夏にいらっしゃった女性の記者さん、佐々木さんが桂山課長に会いたいと駆け込んで来たんです」  暁斗はマジか、と思わず言った。銀座の奏人の会社から直接こちらに向かったのか。 「警備さんに来てもらって課長には会えないので帰るように(さと)したんですが、ちょっと様子が尋常じゃないんです、降りて来ていただけますか」 「了解、すぐ行く」  新城が困り果てているのが目に浮かんだので、暁斗は即答した。長山が今度は何ですか、と呆れたように言う。 「あの記事を書いた記者が来てるらしい」  暁斗は彼女に答えると、彼女は今日何度目になるのか、またえっ! と叫んだ。暁斗がエレベーターホールに向かって走ると、頑張ってくださいという激励の声が追って来た。何を頑張ればいいのかさっぱりわからなかったが、また気の張る出来事が待ち構えていることは、確かなようだった。
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