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9月 14'〈追加挿入〉-②
「会社は相変わらずなんですね」
ほぼ日課のようになっている、22時を過ぎてからの奏人とのLINEでのやり取りで、暁斗が今日の報告をすると、そんな返事が来た。
「もう会社には期待できないから、個人で抗議文を作るか、組合に助けてもらおうと思う」
暁斗は応じた。こういうチャットにもだいぶ慣れたと思う。奏人はキーボードは当然として、スマートフォンでも入力が早いので、当初は焦ったものである。
「たぶんうちの会社、暁斗さんの会社とこれを機会に繋がりたいと思ってる」
苦笑の絵文字が最後についていた。
「だから相談室のトップだけでなく、そちらの経営側にも出てきて欲しいっぽいです」
「そっちみたいに副社長とかかな」
「もしかすると。あくまでも僕と直属の上司の想像ですが」
「奏人さんの会社がうちみたいなダサい会社と繋がって、どんなメリットが?」
すこし間を置いて、「ウケる」という文字の下で犬がひっくり返って笑うスタンプが来た。
「ダサいとか言うwww」
「ダサいがダメならイモっぽい」
「やめて(´∀`)でも老舗だし国内シェア一位ですよね」
なるほど、と暁斗は思う。奏人の会社は若い。歴史があるという点に惹かれるのかも知れなかった。
「うちはやっぱり悪い意味で保守的な面がある。歴史が古くて上のほうも古い会社はこんな感じなんだろうね」
うんうん、というスタンプが返って来る。
「来週会えるからそれまで頑張って軟禁生活送ります」
暁斗は一番伝えたかったことを打ち込んだ。奏人はすぐ返事をよこす。
「池袋で会うのは最後だから楽しみましょうね。よく考えたら別に池袋でなくてもいいんだけど」
確かに、と思い、今更奏人に訊いてみる。
「どうして池袋だったの?」
「暁斗さんの自宅から遠いことと、あのホテルが男性同士OKだからです。男だけで使うのを嫌がるホテルも多いので」
暁斗はなるほど、というスタンプを送る。それも差別にあたるのだろうか。
「もっと近いところでもいいですよ」
「池袋好きだしあそこでいいよ」
「どうして好き?」
「あの近くの大学出身だから」
奏人はえっ、と目を見開いた犬のスタンプを送ってきた。その犬の顔が面白くて、思わず笑う。
「初耳」
「話したことなかった?」
「ないですよ。僕の家の近くの教会が、暁斗さんの大学の宗派で聖公会なんですよ」
暁斗は神楽坂に行った時に教会の前を歩いたことを思い出す。
「同じキリスト教でも奏人さんの大学とちょっと違うんだよね」
「はい、礼拝のやり方は僕の大学のカトリックと似てますけど暁斗さんの大学はプロテスタントなので」
と言われても暁斗はあまりピンと来ない。大学時代、一般教養でキリスト教学のようなものは履修したし、たぶんカトリックとプロテスタントの違いも教えてもらったのだろうが。
「ゼミ友が1人在学中改宗した」
「ミッションスクールの役目を果たしていますね」
メッセージの最後に光の絵文字がついていた。暁斗の大学内のチャペルは基本的に開放されていて、奏人が自分の大学でそうしていたように、静かでくつろげる場所として好む学生が一定数いた。暁斗のゼミの友人は、卒業後に教会で知り合った女性と結婚し、本格的なキリスト教式の結婚式に暁斗を呼んでくれ、今もクリスマスカードを毎年送ってきてくれる。
「キリスト教って同性愛はダメなんだよね」
思いついて暁斗は奏人に尋ねる。
「カトリックはダメですけれど聖公会は全否定じゃないと思います」
そうなのか。暁斗は驚く。
「女性の司祭もいるし、割とリベラルなはずです」
暁斗はスマートフォンに向かって1人でふうん、と呟き、そんな自分に失笑した。すぐに新しい吹き出しが画面に現れた。
「暁斗さんとキリスト教の話してるとか結構ウケます」
「でも意外と面白い」
「宗教の話ってタブー視せずに親しい人とちゃんとしないといけないんですよ」
他愛なく、大切な話。奏人と沢山積み重ねていきたいと暁斗が思うものだ。意外にも奏人はクリスチャンではないが、専攻が哲学だけにスルーできないらしく、キリスト教だけでなくいろいろな宗教のことを知識として学んでいるという。
「今週末お母様と上野に行く約束をしました。お母様はギリシア神話や聖書の物語がお好きなんですね」
奏人の問いに暁斗は首を傾げる。
「そんな話知ってるのか微妙」
「 展覧会のテーマがそういう感じなんですが、そんなの関係なく楽しまれるタイプ?」
「たぶん」
奏人は母の結構なちぐはぐ感をまだ本当には体験していない。少し匂わせておくべきかも知れない。
「奏人さんから見たら邪道というか、意味のわからない楽しみ方をするかも」
奏人はパアァ、という字と花を背負った笑顔の熊のスタンプを送ってきた。それだけでも面白いのに、続く言葉に吹いてしまう。
「そういう人ステキ」
何がステキなのかさっぱりわからない。
「さすが暁斗さんのお母様です」
「同類にしないでください」
暁斗は思わぬ言葉につい全否定する。奏人がスマートフォンを見ながら笑っている姿が頭の中に浮かんだ。
「でもほんとに絵や音楽は好きに感じて楽しめばいいんです。こうであるべきみたいな考えの人がいるから、敷居が高いと受けとられるんです」
こういう奏人の意見は、西澤遥一の影響を受けているのだろうと暁斗は思う。西澤自身は教養豊かな人物だったが、芸術や文学なんて自分には縁がないと思っている人たちに、何かを感じさせ心に刻まれるものこそが名作なのだと書いていた。
「母が迷惑をかけると思うけどよろしくお願いします」
暁斗は心からそう思い、送信する。今日は土下座がテーマなのかと思いつつ、なにとぞ、という文字をバックに土下座しているうさぎのスタンプをくっつけておく。奏人は投げキッスをするパンダのスタンプを返して来た。何処で見つけてくるのか、可愛らしいスタンプだった。
会いたい。本当はそう打ち込んで送信したかった。でも奏人は先週も、神崎綾乃との約束を破って暁斗の部屋に来てくれている。来週会えるのだから、これ以上求めてはいけない。恋しくて切ないというのはこんな気持ちなのだろうと妙に納得しながら、暁斗は小さく溜め息をつく。小一時間ほどのやり取りのあと、名残惜しくお互いにおやすみのスタンプを送りあった。
風呂が溜まるチャイムが鳴ったので、暁斗は寝室に寝間着と下着を取りに行った。リビングのテーブルに置かれたスマートフォンが小さく震えて、「高崎奏人がスタンプを送信しました」というメッセージが光ったが、暁斗はそれに気づかず浴室に向かう。暁斗が寝る前に、だいすきという言葉を抱いた笑顔の犬を見ることができるよう、奏人が仕掛けた心尽くしの遊びだった。
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