9月 18‐②

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9月 18‐②

 奏人に後ろから「犯され」たのが刺激的過ぎて……と言っても()れられた訳ではなく、思い出してマスターベーションしやすいようになどと言って、奏人は暁斗に背中から手を回して愛撫してきたのだったが、今度こそ本当に発狂するかと暁斗は思った。彼の勃起したものが尻にずっと当たっているわ、彼が耳許やうなじにずっといたずらをするわで、すぐに何もまともに考えられなくなり、暁斗は喘ぎながら敢えなく2回目の絶頂に達してしまった。  暁斗は奏人が勃起していたのが気になったので、ぼんやりしながらどうするのか尋ねると、彼は嬉しそうにじゃあ、と言って、時間まで触れていて欲しいと要求した。暁斗は奏人の腕に抱かれて、その熱いものが少しずつ治まっていくのを右手に感じながらうつらうつらした。次回はもう客として会うのではないので、ちゃんと最後までいかせてあげたいと思うと、それだけでじんわりと幸せになった。  アフターの30分を過ごすのに奏人が選んだのは、ホテルに向かう裏道の角にあるファストなカフェだった。店は()いていて、窓際に席を取った。奏人が温かいソイラテをふたつ持って来て、少し何も話さずその独特の甘みを楽しむ。  奏人はホテルを出る前に、暁斗の髪にドライヤーを当てて整えてくれた。いつもより少しラフな髪の暁斗を見て、その仕上がりが気に入ったらしく満足そうである。 「ほんとにアンケートを書くと思わなかった」  奏人は笑顔になって言った。ホテルの部屋のテーブルにアンケート用紙を見つけた暁斗は、改装後に地味な部屋も用意して欲しいと意見を書いて置いてきた。 「別宅にしたいと思って」 「一緒にお風呂に入りたい時の?」  暁斗は頷く。どんな風に暮らしたいのか、奏人とこれから少しずつ話していきたいと思っていた。暁斗は他人と暮らすのは初めてではないので、ただ相手が好きで一緒にいたいだけでは、日々の生活が上手くいかないのを知っているつもりだ。 「お母様が立川に遊びに来ておうちを見て……暁斗さんと暮らす候補にも入れてくれたらいいって」  奏人の言葉に暁斗は苦笑する。母はもしかすると、蓉子と結婚した時も、同居を期待していたのだろうか? 「俺の実家ならあなたの本を受け入れる場所は何とか作れると思うよ、でもあなたに窮屈な思いをさせたくない」 「僕はともかく……晴夏さんが肩身の狭い思いをするよね、きっと」 「通勤もそこそこ遠いし」  暁斗の中では、立川ほど23区内までかからない場所に、古い一戸建てを借りるイメージができつつあった。奏人には自分の部屋――書斎やアトリエになるような場所が必要だ。それに広い浴室を持つとなれば、やはりマンションは難しい。 「僕はどんな場所でも暮らせるよ、たぶん暁斗さんが想像してるよりこだわりは無いから……本は処分できるものもあるし、レンタルスペースを使う手もある」  奏人が微笑しながら静かに言う。彼はたまにこんな世捨て人のような空気感を出すが、それが愛を交わし合った後だと、何だか寂しい。 「それと僕を養うなんて考えないでよ、家賃も生活費ももちろん持つし……留学することになったら帰国してからしばらく微妙だけど」 「あなたがどうするかによるかな、先走ってごめん」  何においても奏人を急かすことはしないと暁斗は決めていた。奏人がいつもほっと安らげる場所を作ることが、自分の務めだと思う。  奏人がずっと自分を見つめているので、暁斗は少し気恥ずかしくなり俯く。奏人はソイラテに口をつけて窓の外を見た。この時間、まだ池袋は賑やかである。 「あの日暁斗さんはここに座ってた」  奏人はややしみじみとした口調になった。 「店の中がいっぱいで……駅から来て外から覗いた時ちょっと心配になったんだ」  奏人たちスタッフは、初めての客と大体こういう、ホテルに近い場所にあるファストなカフェで待ち合わせをするという。神崎綾乃からもたらされる情報は、客の年齢とどんな仕事をしているか、彼女が客と事前に会っていれば容姿も多少わかるが、ほぼ当てずっぽうで声をかける場合が圧倒的である。 「綾乃さんが37歳だけどもう少し若く見えて、背は高くて均整の取れた身体つきでって教えてくれたんだけど、窓際にそんな人がぱっと見て3人いて」  暁斗は難しいだろうなと思った。いかにも風俗の待ち合わせだと周囲に気取られたくないだろうし、違う人に声をかけたら変に思われそうだ。 「でもね、あの時はすぐにわかったんだ」  奏人はその思い出を慈しむように言い、暁斗が見惚れてしまうほど、穏やかで美しい微笑みを見せた。 「店に入って……ちょっと俯いてコーヒーを飲んでるあなたを見て……この人だと直感した、今思うと変な気持ちになったんだよね」 「変な気持ち?」 「ずっと探していた人を見つけたような……嬉しいのとほっとしたのが混じった気持ち」  奏人は僅かに頬を染めた。そう言えば暁斗が声をかけられて顔を上げた時、奏人は頬を赤くしていた。あの日は確かに寒かったが、彼があんな顔をしていたのは、そのせいだけではなかったのかも知れない。そう思うと、暁斗まで顔が熱くなった。 「ああ何か嬉しいぞと思って、あなたの名刺を見ながら勝手にテンション爆上げになってた……あなたがめちゃくちゃ緊張してるのに」  暁斗は今の奏人の言葉が、リップサービスなどではないことを知っている。あの時は人の気持ちを引き立てることを言ってくれる子だなと思っていたし、それでも舞い上がるには十分だったけれど、あの日もリップサービスではなかったということなのだろうか。 「変な話してごめんなさい、でも今日はここに来てこの話がしたかった」  奏人が少し困ったような顔で言うのが、可愛らしくて愛おしかった。暁斗は運命や宿命なんていう言葉を信じていないが、ある頃から奏人と自分は分かち難い関係になるだろうと感じていたし、今思うとそもそもほとんど一目惚れだった。奏人が似たような思いを自分に対して抱いていてくれたというのならば、運命的な出逢いというのは存在するのだろうかと思う。  だからここで、これからのふたりの話を始める。この場所はきっとそうするのにふさわしいのだ。暁斗はそう思い、奏人に尋ねてみる。 「奏人さんはどこででも暮らせるって言うけど、小さなことでもいいからこれは譲れないとかは無い? そういうのをちょっとずつ聞かせて欲しいな」  暁斗の言葉に奏人はうん、と俯いた。照れているようだった。 「……ベッドは一緒がいい」 「うん、大きいのを買おう」 「そんな大きなベッドでなくていい、べったりくっついていたいから……暁斗さんが嫌でないなら」 「あ、うん……そうだね」  今夜の奏人は攻めてくるなと暁斗も照れる。 「でも身が持たないから毎日虐めないで」  暁斗が声を落として言うと、奏人はぷっと吹き出した。 「僕はぶっちゃけ毎日でもしたい」 「許してください、早死にしそうです」  奏人は声を立てて笑い始めた。 「暁斗さんはまだまだ未開発だよ……きついなら僕の調教が良くないのかもしれないから、あなたに合ったやり方を探索するね」 「調教……俺は馬か」 「そう、潜在能力の高いサラブレッドだよ」  何の潜在能力かさっぱりわからないが、まあ自分を好いてくれているようなので、良しとしてしまう暁斗である。 「あと……キッチンは少し広いほうがいいな、一緒にご飯の用意ができるように」 「あ、それは俺も思う」 「……こういうことを考えるって楽しいんだね」  奏人は微笑む。暁斗は彼がそう感じてくれていることが嬉しい。アフターの時間はもう残り数分で終わりそうだった。それは奏人と、彼の客としての関係が終わることを意味する。少し前から暁斗は奏人の「特別な客」ではあったが、正式に「唯一の特別」となり、彼との新しい関係が始まるのだ。 「年末まで少し我慢してね、ディレット・マルティールの退会手続きも忘れないで」  奏人は時計を見てから言った。 「あなたが居る間は籍を残しておくよ」  暁斗の言葉に奏人は頷いた。ソイラテを飲み干し、二人してゆっくり立ち上がりコートを羽織る。ありがとうございました、という店員の声に会釈してから店を出て、暁斗は少し寒そうな奏人に寄り添うように並んだ。 「ディレット・マルティールのかなととしては最後の挨拶です、今まで本当にありがとうございました」  奏人は歩き出す前に言い、もう一度頭を深々と下げた。暁斗も心から返す。 「こちらこそ本当にお世話になりました……これからもよろしく」  奏人は小さくはい、と答えた。往来でなければ奏人を抱きしめたいくらいだった。彼の胸には今きっと、ディレット・マルティールのスタッフとしての様々な思いがあるに違いなかった。少し声をかけるのが(はばか)られる雰囲気を奏人が(かも)し出していたので、何も話さず駅に向かう。山手線の乗り場に着くと、普段通りの人混みに、現実に引き戻される気がした。奏人とは新宿まで一緒に電車に乗るが、少し別れ難い。 「暁斗さん」  奏人は不意に暁斗を呼んだ。暁斗が奏人を見ると、彼はいきなり抱きついてきた。暁斗は人目を感じたこともあって戸惑い、1歩後ろに下がったが、奏人はすぐに離れてくれそうになかった。 「……今からあなたの彼氏でいいのかな」  ああ、そうなのか。奏人はカフェを出たときに区切りをつけたのだ。暁斗は彼がスタッフとして今日自分と接したことは理解していたが、暁斗が彼をスタッフと見做(みな)して接してはいなかったために、しみじみとした気持ちはあったものの、区切りの深い意識はなかった。奏人は時に見せるその潔癖さにふさわしく、けじめと区切りを厳密に示したのである。 「そうだね、でも年末まではあまり大っぴらにしないほうがいい……のかな」  言いつつも、暁斗は奏人の華奢な身体を腕で包み込んだ。暁斗とて、こんなところを会社の誰かに見られたら微妙ではあるのだが。  奏人は答えず、暁斗の胸に顔を埋めてじっとしていた。通り過ぎる人がちらちら視線を送ってくるが、2人とも酔ってこんなことをしていると思われていそうだった。愛しいひと……これまでも、これからも。暁斗は腕に力をこめて奏人を抱きしめる。  駅のホームの隅で人の足音やアナウンスに聴覚を打たれても、腕の中の奏人の存在感は揺るがなかった。温もりとともに、甘い匂いが立ち昇り鼻腔をくすぐる。この甘い香りは仕事用なのだろうか。暁斗はこの香りが好きなので、奏人がトップスタッフでなくなっても、たまにリクエストしようと思った。他愛なく、楽しい計画だった。
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