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10月 1-①
相談室の面々は、部長クラスが忙しいために、4人で人事部フロアの小さな会議室に集まっていた。主な議題は次号のニューズレターの内容の打ち合わせと、代表メールアドレスにやって来た1通の意見文についてである。まずは清水の作ったリストと、各々が持参したお勧め本を机の上に広げて、品評会である。
「清水さんが挙げてくれた漫画やアニメがどれも面白くて寝不足になったわよ」
大平は勤勉ぶりを発揮して、月曜の朝に紹介された5つの作品のうちの4つを、2日間でさらったらしかった。暁斗はアニメと漫画を1本ずつ観たり読んだりしたが、最近涙腺が緩いせいか、感動し過ぎてそれが限界だった。
「面白いけど長いんだよどれも」
山中は苦情を申し立てる。清水は反論する。
「ある程度しっかりした作品ってなると中長編になりますから、そう言う山中さんの本はオーソドックス過ぎませんか?」
「オーソドックスで良くないか?」
山中のお勧め本は、アメリカのゲイカップルを取り上げたノンフィクションだった。暁斗は会議が始まる前にぱらぱら見たが、アメリカが外から見るほどゲイ天国ではない実情を描いていて、当事者としては、重い。
「僕は桂山さんの持ってきた本好きですね、直木賞候補って知りませんでした」
清水が言った。大平は暁斗の出した本を開き、眉の裾を下げた。
「わぁ、設定が悲劇的過ぎる」
「多少潤色してるでしょうけど実話ですよ」
「あの美少年、高崎さんじゃないですか」
清水が案の定突っ込んできた。山中が暁斗に、おまえほんといい加減にしろ、と唇を歪めながらながら言った。
「いやいや、西澤遥一さんなんですよ、それ……ご本人が認めてらっしゃいます」
「ひゃあ、倒錯してないですか?」
清水が言うので、山中も大平と一緒に本を覗きこんだ。ここ? と大平が真ん中ほどのページを開く。2人はしばし沈黙して、本の上に目を走らせる。
「言われるとカナちゃんにしか思えないわ」
大平が勝手に奏人を愛称で呼びながら半笑いで言い、山中はマジ倒錯してるわ、と呆れたように言った。
「まあ西澤先生と奏人さんの関係はやや倒錯してるのかも」
暁斗は認めざるを得ない。西澤遥一との関係は、暁斗にとって奏人に尋ねにくいことの一つである。
「次回これ出したらセンセーション過ぎるから、高崎さん殴り込み事件の記憶が社内でちょっと薄れてからにしましょうか」
「今だから旬かも知れないわよ」
清水と大平が話し合うのを聞きながら、殴り込み事件という呼び方のほうが余程センセーショナルではないかと暁斗は苦笑する。
「桂山には新連載に集中してもらおう、書評はその流れで数回後に食い込ませる」
山中の提案に暁斗はええっ、と声を上げる。
「ゲイ語りなら山中さんがすればいいじゃないですか!」
「じゃあ初回は対談形式にするか? おまえ校正しろよ」
それも面倒くさい。1人で書いて出すほうがましだろうか。
「読者は何を求めますかね、こういうものに」
大平が手を上げ、カナちゃんの話、と言った。暁斗は即否定する。
「いや、社内であの記事がどこまで事実なのか、桂山さんが虚偽は無いと言っていても疑問に思ってる人沢山いますよ……釈明がてら高崎さんと普段どんな風に付き合ってるか書いたら面白いと思いますけど」
清水は言うが、まさか会う度にベッドでおもちゃにされているとは書けない。暁斗は困り果てる。
「奏人に相談して手伝ってもらえよ、あの子学者の卵なんだろ? 文章書くのが仕事みたいなもんじゃないか」
山中が何処からそんな情報を得ているのか、甚だ疑問である。隆史だろうか。
「えっそうなの、何を専攻してるの?」
「西洋哲学です」
大平は暁斗の返事にぽかんとしてから、やや口許を緩める。以前奏人が送ってきた、パアァ熊のスタンプを連想させる表情だった。
「わかりました、何とかします……字数だけ決めてください」
暁斗は自分が首を縦に振らないと話が進まないと見て、諦める。思わず小さく溜め息をつく。書評は、清水お勧めの漫画とアニメから1本ずつ選ぶことになった。暁斗のエッセイを含め、真面目な意図を理解してもらえないニューズレターになりそうである。
ようやく2つ目の議題に入った。社内のアドレスではなく、フリーメールを使っているので、差出人がわからない。この会社は部署によっては転勤も多いので、東京本社だけで相談室を作っても、個々の社員の悩みをフォローし辛いのではないかと書かれていた。
「確かに……清水くんが面倒見てる工場はちょっと動いてるんだよな」
「各工場で主に組合活動してる人が積極的に考えてくれてます、高崎さんの会社のハラスメント撲滅委員会、20人いるって言ってましたね……本社だけでその人数なんでしょうか」
「こないだのシチュエーション的にそうなんじゃない?」
メールの差出人は、興味深いことを書いていた。あくまでも自分の印象だと前置きした上で、今まで福岡支社と大阪支社を経験したが、おそらく西のほうが男女差別も強いし、性的少数者に対しても当たりが強い気がするという。
「一昨年大阪に行った時……うちの女子を連れて行ったらちょっとびっくりされましたね、この子が担当なの? みたいな感じで」
暁斗は言った。山中が続いた。
「お茶を出すのも飲み会でオーダーするのも女の子がいれば女の子だよな、まあ大阪はゲイだと言えばそうなん? って割に明るく受け止めてくれるけど、ただし弄られる」
「山中さんも俺のこと弄るじゃないですか」
暁斗は突っ込んでおく。大平が笑った。
「社内での横の連携こそ大切よねぇ、社内報は見てくれているでしょうし、部長にお願いして各支社の人事にニューズレター送りつけてみる?」
「いいんじゃないですか?」
言ってから暁斗は、全国の社員に自分がゲイでデリヘルの男の子と仲良くなったと晒すことになるのかと思い、頭が痛くなった。
会議か雑談かよくわからない集まりがお開きになり、暁斗は大平に、似顔絵を描いてくれた部下に絵を使う許可を得たい旨を伝えた。
「え? いいと思いますよ、今日有休使って休んでますから、明日総務に電話していただくなり……喜ぶと思います」
大平は笑顔で答える。
「LINEのアイコンに使いたいと思って」
「ああ、いいですね」
先日、別れ際に思い出して奏人にニューズレターを手渡した。彼は画家らしく、メンバーの似顔絵にまず目を留めて、上手だと感心したのだった。大平がじゃあ、と会議室から清水に続いて出て行くと、山中が声をかけてきた。
「桂山暇だよな、ちょいコーヒーに付き合え」
「今ですか?」
「小一時間ほど」
山中に暇だと決めつけられたのがやや不愉快だったが、外回りから自分を外して課のスケジュールを組んだので、少なくとも暁斗にしばらく外出の用事は無かった。有り難いことに営業で大きなトラブルも無く、部下たちの成長を実感する日々である。
「向かいの店にいるわ」
山中は会社のビルの道を挟んで向かいにある、ここよりも小さなビルの1階の喫茶店を指示した。企画と打ち合わせということにしておこうと、暁斗は一旦営業部のフロアに戻った。
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