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10月 2
「読者の皆様にお詫び
9月◯日刊行の当誌記事におきまして、
著しく配慮に欠ける記事が掲載され
同性愛者のかたがたへ不快感を
与えたことに対し、深くお詫びいたします。
殊に記事内で、故西澤遥一氏および
氏と親しい関係にあられた男性に対しては、
不十分な取材で名誉を毀損したと判断し、
記事を撤回させていただくとともに、
編集部および社より陳謝いたします。」
10月中旬に発行された女性週刊誌に、1ページを使って掲載された詫び文と「事件」の経緯は、ちょうどその前々日に暁斗と大平が相談室ニューズレターを全フロアに配布したところだったために、その中で暁斗の書いた記事にまつわる小文とともに、社内で話題になった。暁斗は朝から浅野副社長と西山に呼び出されて、出版社から来た会社と暁斗個人に対する謝罪文を手渡された。
「やったな、よく我慢した」
西山に言われ、暁斗は二人に頭を下げた。
「ありがとうございます、本当にご迷惑をおかけしました」
「社の対応に迷惑を蒙ったのはきみのほうだ、良く耐えてくれた」
浅野の言葉に、暁斗は恐縮する。確かに我慢もしたが、周りが心配してくれるほど、暁斗はアウティングされたことで苦境に陥ってはいないと思っているからだ。10月に入り外回りを再開し、多少この件でからかわれることはあるが、顔を出すななどと言われることもないので、ほとんど気にならない。
晴夏がLINEで自分を変態呼ばわりするのも、最近は定番の冗談になっている。星斗が母から自分の話を聞いたと言って連絡して来た。どうして兄貴から話してくれなかったんだ、水くさいと逆に叱られた。甥たちの学校では、性的少数者に関する教育の時間があったらしく、暁斗おじさんがどうもそれに当たるようだと話すと、驚きながらも割と冷静に受け止めているという。暁斗は最近の小中学校でそんな教育をしていることに仰天したが、居酒屋でそれを話すと、山中や大平はそうだとあっさり言う。
「てかあのお詫び、何か物足りなくないですか?」
「そうだな、編集長が土下座しに来るべきだ」
山中と大平は闘士なので、アルコールも手伝って2人して気炎を上げていた。今夜は相談室の勝利宣言の打ち上げと、来週山中が重要なミッションを果たしに名古屋支社に向かうので、その壮行会を兼ねている。
「桂山さんはあれで良かったんですか?」
清水に訊かれて、十分だと答えた。明日奏人が泊まりに来る予定なので、彼ともゆっくりこの話をしようと思う。
「出版社もこの件じゃまだ裁判抱えてるから大変だな」
フリーの記者たちが劣悪な労働環境を訴えた話題は、出版社の専横だという義憤を社会に巻き起こしていた。確かに日本にはやり甲斐搾取や弱いものいじめが横行していて、それはマスコミ業界だけの話ではない。暁斗たち営業も、言葉遣い一つで取引先に圧力をかけてしまうことになりかねない。それは絶対にしてはいけないと、岸から言われ続けたことを、暁斗は今若い部下たちに伝えている。
「桂山さんが出版社に同情することないですよ」
「まあそうなんだけど」
「桂山様は全てが自分の思うように運んで余裕綽々だからな、愚かな出版社の者どもにも慈悲を垂れていらっしゃる」
山中がビールを注ぎながら話に割り込んでくる。おかしな絡み方をしてこられて、暁斗はげんなりしながら満たされたグラスに口をつける。
「どうなることかと思ったけれど、まずは相談室も桂山くんの名誉回復という目標を達成した、良い滑り出しだね」
西山もご機嫌だった。もうこれ以上厄介な案件は出ないんじゃないかと軽口が飛び交う。そんなことは無かろうと暁斗は苦笑したが、相談室の面々が皆揃って楽しく飲んでいるのだから、余計なことは言わないでおこうと思う。
「ニューズレターの記事は奏人さんに添削してもらったんだって?」
岸に尋ねられて、暁斗ははい、と答え、彼のグラスにビールを注いだ。
「あそこまで書いていいと言ったのか、あの子」
「都合が悪ければ直すと言ったんです、でも結局ほとんど直しませんでした」
暁斗は約1000字のレポートを作った。女性誌の記事にあるよう、自分がゲイ専門の風俗を使ったのは事実であること、ただあんな風に煽情的に暴露される謂れはないと感じていること、西澤遥一と男性T.Kの名誉を毀損していると思うので、2人に対する出版社の謝罪を求めていること、それについてT.Kと彼の勤務する会社が同意し協力してくれたこと――よく1000字に詰め込めたと思う。
こうして振り返り纏めてみると、暁斗はあんな騒ぎになってしまったことが、周囲の人たちに、特に奏人に申し訳なくなる。奏人は暁斗と関わり続ける限り、暁斗の会社の中では「副業でデリヘルボーイをしていた桂山課長のSEの彼氏」と呼ばれることになるだろう。それを詫びると、奏人は暁斗の公認の彼氏になったみたいでくすぐったいと、嬉しさのニュアンスがこもったメッセージを寄越した。本当にそう思ってくれているならいいが、自分のことを伏せきれなかった暁斗に気を遣っているならば……暁斗は謝罪の言葉が見つからない。
「いい子だな」
岸の言葉に暁斗は黙って頷く。
「大事にしてやらないといけないな」
「どう報いてあげればいいのかわかりません」
「一生尻に敷かれてやれ」
岸はきっと冗談で言ったのだろうが、なるほどと暁斗は思う。同性であろうが異性であろうが、カップルにはそれぞれ力学がある。長生きして尻に敷かれる。暁斗の立ち位置としてはわかりやすくていい。思わず笑うと、岸が背中を軽く叩いた。
「何だそのだらしない笑いは、幸せオーラ撒き散らすなってほづみんに突っ込まれるぞ」
「すみません」
「あれ読んで若い専務たちがびっくりしてたぞ、営業以外のことで桂山が情熱的になってるのを初めて見るってな」
そういう評価をされているのかと、別の可笑しさが込み上げ、暁斗は声を立てて笑った。どれだけ自発的社畜だと見做されていたのだろう。
「桂山くんも一皮二皮剥けた訳だ、良いことだよ……山中くんもそうだった、人生は長いが誰もがそんなきっかけを得られるとは限らないから」
西山が朗らかに言った。この人は明るい酒のようだと、何となく微笑ましくなる。
「そうですね……2人は今多少きついと思っているでしょうけれど、我々くらいの年齢になればきっと、成長した時期だと思えるでしょう」
岸が続ける。あと十数年経てば、そんな達観できるものなのだろうか。山中はきっと名古屋支社で、また彼の別の能力を発揮して帰ってくるのだろう。もしかしたら、一般企業でいつまでも社畜などしない道を将来選ぶかも知れないなと、暁斗は考える。
「日本酒か焼酎いきますか、何がいいですかぁ」
大平がドリンクメニューを振りながら声を掛けてくる。いけない、彼女だけに任せておくと酒とアテばかりオーダーしてしまう。暁斗は大平にいいですよ、と言いながら、食事のメニューも広げた。
明日は土曜日なので、皆深酒になりそうだ。全員が自宅まで帰ることができるように段取りしておくのは、学生時代からの暁斗の仕事である。そう思っているからこそ、これまで前後不覚になるまで酔って大失態を犯したことはない。ただいつも、昨夜の記憶は全く無いと言ってみたい気がするのは確かである。このメンバーで固定化されつつある、酔った清水が山中に絡む光景を目に入れながら、暁斗はべろべろになるまで飲んで、奏人に介抱されている妄想をしてみた。しかし、愛想を尽かされるかもしれないなと思い、一人で微苦笑した。
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