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11月 2-①
その夜暁斗は、神楽坂の奏人の部屋をお泊まりセット持参で訪れていた。冷え込んできたので、奏人が滅多に使わず仕舞い込んでいるという大きな土鍋を引っ張り出して、野菜と魚がたくさん入った寄せ鍋を用意してくれた。銭湯で温まってから缶ビールを開けて鍋をつつき、暁斗はそれだけですこぶる幸せだった。
「ふうん、山中さん名古屋で講演してからそっちの活動のほうが忙しいんだ」
奏人は暁斗のグラスにビールを注ぎながら、楽しげに言った。簡易テーブルはカセットコンロを置くだけで半分が埋まり、床にビールや鍋の具を入れた器を並べている状態である。
「元々話が上手な人だからね、来月大学で話すって張り切ってるよ」
コラボ企画をしている女子大から、当事者としての体験や望むことを話して欲しいと、会社と山中に正式に依頼があった。他に弁護士や大学教授も登壇するというので、山中は当初場違いだと尻込みしていたのだが、大学生たちにおだてられてOKしてしまったらしい。
「凄いね、暁斗さんも一緒に出たらいいのに」
奏人は鍋の湯気に頬を火照らせながら言うが、暁斗は首を横に振る。
「いいよ、そんな余裕無いし自分を晒す勇気も無い」
新商品の営業と、相談室の対応が忙しい。営業は想定の範囲内である。相談室は、暁斗にしてみれば想定外の相談を幾つか受けている。自分の家族――息子がいつまでも彼女を作らないのだが、桂山課長は大学生の頃はもう女性に興味が無かったのか聞きたいとか、夫がゲイ専雑誌を隠し持っていて、どう接すればいいかわからないといった相談を受けた。あまり良くない行為だと分かっているが、奏人に簡単に話してみる。
「家族でもやっぱり直接訊けないものなんだなと思って」
暁斗が溜め息混じりに言うと、奏人は割にあっさりと、訊けないと思うよ、と応じる。
「その息子さんはともかく、だんな様が同性愛者だったらどうしようと奥様としては悩んでしまうだろうね」
やはりその話を聞いた時は、蓉子の顔が脳裏をよぎった。暁斗は自分の経験から、気持ちを伝えることしかできない。私は妻が好きでしたが、やはり夫婦としてはやっていけませんでした……まずは確かめて、もしご主人がゲイだったら、これから2人の関係をどうしたいのか、考えてみるといいんじゃないでしょうか。
「だんな様がゲイだと分かっても仲良くやってる夫婦は僕も知ってる、まあお子さんも大きくなった熟年夫婦のパターンかも知れないけど……」
奏人は言った。中野の会社の社長の友人も、夫婦仲は良かったということだったので、男と女という生臭みのある関係を超えると、また何か新しい関係性が築けるのかも知れない。
くずれちゃうと言いながら、奏人は暁斗の椀にも豆腐と鱈を掬い入れる。椀を受け取りながら、暁斗は母が世話をかけたことを詫びた。
母はあれから奏人と再度同じ美術展に行き、勉強の成果を披露したと、暁斗に電話で語った。絵画の出典目録の中で聖書の物語を描いたものを奏人がピックアップしてくれたので、暁斗の聖書を探し出し、全て目を通したのだという。母の自慢げな口調が可笑しい反面、忙しい奏人の時間を使わせて申し訳なかったので、軽く母をたしなめておいた。
「えっ、全然何てことないよ、こっちも勉強になったから」
奏人は豆腐を吹いて冷ましてから言った。
「お母様が勉強熱心でびっくりした、知識や理屈にとらわれず絵を観る感性に水を差したんじゃないかなと思うんだけど」
「分かって観るとより面白いって言ってたよ、傍にいたおじいさんとおばあさんまで一緒に奏人さんの話を聞いてたんだって?」
暁斗の言葉に、奏人は豆腐を飲み下してから笑った。
「うるさくしたかなって思ってちょっと黙ったら、話しかけてきたんだ……美術館に音声ガイドって用意してるんだけど、お二人とも補聴器を使ってらしてイヤホンが使えないから、絵の内容や画家のことを自分たちにも説明して欲しいって」
まるでカルチャーセンターだ。奏人は師である西澤遥一の仕事を受け継ぐのに、適任なのかも知れなかった。
「講義の謝礼を貰わないといけないね」
「そんな……でもお母様にはケーキをご馳走して貰ったよ」
母のやりたい放題に溜め息が出る。どうして俺より頻繁に奏人さんに会ってるんだ。母は暁斗が月1回しか奏人に会えないことを知らないので、仕方がないのだが。暁斗は豆腐のあとに、出汁を吸った柔らかい白菜を頬張る。
「美味しい?」
「うん、家で鍋なんて久しぶりだ」
自分がものを食べる姿を奏人が好んでいるのは分かっている。餌付けし甲斐があることだろう。奏人に観察されながら、暁斗は思う。あんなに奏人が白菜や春菊を切っていたのに、鍋の中身はあっという間に減っていった。
「雑炊も作ろうか?」
「あ、食べたい」
遠慮なく答えてしまう。ねぎが足りないようなので、所望した責任を取って、奏人が空になった鍋の出汁を漉している間に、ねぎを刻んだ。無心に包丁を動かしたので、そこそこ細かく刻めて、暁斗は一人で満足した。
ふわりと卵の混じった雑炊は本当に美味だった。一人用の土鍋も売っていると奏人が教えてくれたので、手に入れて家で作ってみようと暁斗は思った。
「鍋は沢山野菜が摂れるからいいよ、一人だとあっという間に具材が煮えて食べるのに焦っちゃうけれどね」
冬になるとしょっちゅう鍋なのだと奏人は言うが、小さな疑問があった。
「一人鍋って寂しくならない?」
奏人は暁斗の問いに少し目を見開き、湯呑みをテーブルに置いて手を伸ばした。そして暁斗の頬に指先で触れた。
「暁斗さんは寂しがりなんだね、お母様もそう話してたけど……」
「……そんなに自覚は無いんだけどな」
「結論を言えば、慣れるかな?」
奏人の目は優しい。きっと外国へ行った後のことを、彼も考えているのだろうと思ったが、暁斗は口に出さないことにする。
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