ふたたび12月 4-②

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ふたたび12月 4-②

 暁斗は営業の話題のために、テレビのチャンネルをたまに替えながら紅白歌合戦を観ていたが、奏人はそんな落ち着きのない暁斗の行動を気にする様子もなく、缶ビールに口をつけながら本を読んでいた。奏人は余程興味をそそられる内容でなければ、ニュース以外はテレビを観ないらしかった。一緒に暮らすにあたり、大きなテレビは要らないなと暁斗は考える。 「佐々木さんに記事を使わせてもらう許可を得たよ、直して欲しいところも伝えて、たぶん年明けには出してくれそう」  民放でCMが始まると、奏人は言った。西澤遥一の追悼本の話であることは、すぐにわかった。 「編集をしている人たちは反対しなかったのか」 「うん、多少疑問の声も出たけれど、そのほうが面白いっていう意見が勝ったよ」  西澤の弟子たちは、師匠の洒落っ気を皆良く理解しているらしかった。暁斗は蓉子に頼んで、西澤が監修したツアーを企画した人と繋いでもらった。担当者は初め、そんなところに書くなんてと尻込みしていたようだが、奏人が校正の責任を持つと言って説き伏せた。 「先生が通っていた教会の神父さんの文章が面白くて、先生方が驚いてて……当たり前なのにね、カトリックの神父って神学院とかでめちゃ勉強してるし、説教だけでなくしょっちゅう文章を求められるのに」 「そうなんだ」 「そうだよ、中世から聖職者は知的存在の頂上にいるんだよ……お母様風に言えば、それによって民衆を洗脳するのが彼らの仕事だからね」  乃里子の発した洗脳という表現を、奏人は気に入っている様子だった。 「僕が出発するまでに校正が終わりそうだから、安心して行ける」  奏人は穏やかに言うが、本の完成に最後まで携われないし、自分の誕生日の前日に行われるであろう、西澤の逝去1周年のミサにも出られない。やむを得ないことなのだろうが、奏人にしては非情な決断をしたのだなという思いが、暁斗にはあった。 「暁斗さんの相談室のニューズレターも送って」 「2月号からデータ化しようと決まったんだ、メールに添付できるよ」 「うん、ありがとう」  奏人はふわりと笑う。出会った頃から、暁斗の好きな表情である。2人のビールが空くと、暁斗は柿の種と新しい缶を出すべく、ダイニングに向かった。奏人は西澤の追悼本に何を書いたのだろう? 暁斗の胸に、やや複雑な色合いの興味が湧く。  奏人は3本目のビールが空く頃に、本を閉じてあくびを噛み殺した。暁斗はその表情が可愛らしくて、つい笑う。 「あくびくらい思い切りしたらいい」 「……退屈なんじゃないよ、寛ぎ過ぎちゃって」 「わかってる、もう少ししたらお風呂を溜めよう」  暁斗はすぐ傍に奏人がいることを確認したくて、その細い肩に手を置いた。奏人はきれいな形の眉のすそを下げ、申し訳なさそうな顔になった。これまでならこの時間は、客と別れて自宅に戻り、夕食を済ませたくらいなのだろうが、今夜は夕飯も飲み始めたのも早かった。大晦日だからと言って夜更かししなくてはならない訳ではない。奏人は3日間勉強から離れると言ったが、毎日睡眠時間を削っているに違いなかった。立川に行けばそれなりに気を遣って疲れるだろうから、今夜と明日一日は奏人をのんびりさせてやりたかった。  奏人が湯を使う間にベッドを整えて、飲み食いしたものを片づけた。暁斗は自分も風呂の用意をしながら、何となくそわそわする自分を可笑しく思う。自分のスマートフォンにも、会社のものにもメールが来ていないことを確認すると、奏人がドライヤーを使う音がしてきた。髪を乾かしたままにした彼は、服を抱えて洗面室から出てきて、お先でしたと折り目正しく暁斗に言う。 「洗濯物はかごに入れておいて、明日も天気がいいみたいだから洗濯機回すよ」  はい、と奏人は丁寧に答える。彼が泊まりに来て、こうして先に湯を使って出てくるのを見るのは初めてではないのに、何となく暁斗はどぎまぎする。 「眠いだろ、先に休んで」 「ありがとう」  歯を磨いた暁斗が浴室に入ってすぐに気づいたのは、奏人が夜の仕事の日に(まと)ってくる甘い香りだった。暁斗は髪を洗いながら、奏人と出逢って1年になるのかと改めて思う。平均して月に1度だけ会い、一緒に暮らそうと決めるなんて、早過ぎるのではないのか。今更暁斗は考えていた。後悔したり、不安に思ったりはしていない。ただ、不思議で仕方がなかった。  暁斗はどちらかと言うと、仕事で追い込まれた時は別だが、何でもすぐには決められない。蓉子との交際も長かったし、お互いを十分に理解してから結婚して良かったと思っていた。奏人は一緒に暮らそうと言った時に喜んでくれたが、戸惑いを口にする辺り、彼にも似た思いがあるのかも知れない。  長めに湯に浸かり浴室から出ると、寝室に入ったらしく、奏人の姿は無かった。テレビをつけると、紅白歌合戦がちょうど終わろうとしていて、出演者が蛍の光を合唱していた。リビングの灯りとエアコンを消し、寝室を覗くと、明かりをつけたまま奏人がベッドに横になっている。枕元の棚のコンセントには、奏人もスマートフォンを充電できるように二股ソケットをつけたが、その片方からコードが伸びていた。それを見て一緒に暮らしている気になる自分が可笑しい。 「あ、暁斗さん……」 「いいよ、寝ていて」  奏人は暁斗がベッドに上がると、目を覚ました。スマートフォンを充電し、部屋の明かりを落とす。毛布と布団を持ち上げると、奏人の温もりが伝わってきて、甘い匂いが暁斗の鼻腔をくすぐる。それに埋もれるべく、布団に潜り込んだ。 「寒くない?」 「大丈夫……」  奏人は身体を暁斗に寄せた。柔らかくて良い香りのする髪を持つ、不思議な生き物。暁斗はその腕に触れる。 「……ほんとに2人だね」  奏人に言われて、暁斗はうん、と応じた。 「暁斗さんと出会って……1年と4日」 「たったの1年なんだね」 「うん、いろいろあったから……もっと長く付き合ってる感じがする」  暁斗は奏人の頬に唇を寄せた。今そうするのが当たり前のように思えた。柔らかく、温かい。奏人は少し肩を(すく)めてじっとしていたが、すぐに唇を重ねてきた。優しい口づけだった。 「……1年どうもありがとう」  奏人は小さく言った。愛おしさが暁斗の胸に溢れる。奏人は少し間を置いて、あ、と顔を上げた。 「鐘の音が聴こえる」 「え?」  暁斗も耳を済ませた。すると、微かに低い音が、余韻をたなびかせながら耳に届いた。 「お寺があるんだね」 「ごめん、今までほんとに知らなかった」 「この辺りならあってもおかしくないかな」  鐘の音は、規則正しく間隔を置いて聴こえてくる。2人してその音に聴き入った。奏人はそっと暁斗の脇の下に腕を入れ、背中に手を回してきた。暁斗も華奢な背中を優しく抱き、肌の温もりを楽しんだ。互いに何も言わずに、ただ鐘の音に耳を済ませる。 「……終わった?」  音が止まったようだった。奏人を見ると、その長い睫毛から覗く瞳に笑いが浮かんだのが、薄暗い中でもわかった。 「あけましておめでとう」  奏人は小さく、しかしはっきり言った。暁斗も頬が緩むのを自覚しながら、あけましておめでとう、と返した。次の瞬間、唇がそっと塞がれた。暁斗はすぐに夢見心地になり、奏人の唇の感触を堪能する。暖かいもので、胸がいっぱいになった。 「今年も……これからもよろしくお願いします」  唇が離れると、奏人は囁いた。暁斗は腕に力をこめて、細い身体を抱きしめる。奏人への愛情が熱く込み上げ、思いが上手く言葉に出来なかった。 「こちらこそ……ずっと、長いこと、よろしく」  うん、ずっとだよ、大好き。奏人のくぐもった、しかし喜びに溢れた静かな声がした。天使の約束の声だった。  一年前、暁斗はこれから自分がどうなってしまうのか、不安で仕方なかった。今は違う。きっとこれから奏人と歩く日々は、予想もしないことが次々に起こるのだろうが、むしろ楽しみなくらいだ。  奏人と過ごす時間は、もうすぐ一度途切れてしまう。でも彼は自分の許に戻ってきてくれるのだから、嘆くことはないのだ。  見つけたのだから。決めたのだから。一番大切なものを、(あた)う限り守り支えて生きて行くと。――暁斗の新しい毎日が、今から始まる。愛するひとの姿が傍にあることを、五感の全てで感じる日々が。
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