この愛をすくって、指先から落として。

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 闇の向こう側から伸びてきた手に腕を掴まれた。あ、と息を呑んだ間に地面に引き倒され、草と、湿った土の匂いに頬がぶつかった。捻った足首と、思いきり打ち付けた膝の痛みに眉を歪めたとき、ぐいっと前髪を引っ張られた。金持ちの身なりだ、と掠れた男の声が言った。げっ、と別の声が言う。この女、ジェイドんとこに出入りしてた御令嬢じゃねぇか?  掠れた声の持ち主が、私に顔を近付ける。ジェイドの名前に目を見ひらいた私は、その男の顔を見た。落ち窪んだ目をした、暗い瞳の男だった。ジェイドが持つ月のない夜の瞳よりも、もっと暗く澱んだ、底のない沼の色。  構わねぇよ。  吐き捨てた男が、にやりと笑う。歪なかたちに持ち上がったくちびるからのぞく歯並びが、悪魔の牙のようにおぞましい。  ジェイドの奴に、いったい誰がチクるってんだ?  男が持った短剣の刃が、私の髪よりも異質に、鈍く光る。男が私の外套に手を触れた。ジェイドっ、と激しく震える息の合間に声を押し込んだ。だけれどもすぐに口を抑えられて、息とともに声が封じられる。  上等な細工だ。この釦ひとつで酒が樽ごといくつも買える。  ひひひ、と引き攣った笑い声は、嵐の夜の隙間風より甲高い。これまでに感じたことのない恐怖が、私の身体を支配してゆく。  助けて、助けて。  叫びは、ひとつとして声にならない。  助けて、助けて、助けて。  がたがたと震える口からは、浅く上擦った息が漏れるだけ。  ぎゅっと目を瞑って、彼を思った。  ――助けて、ジェイド。
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