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人間と吸血鬼。
数世紀もの間争い続けて来た二つの種族があった。
「ようやくこの日がやって来た」
しんしんと雪が降り積もるビルの屋上に人影が二つ。一つは人類の最高傑作と呼ばれる吸血鬼ハンターの青年。もう一つは全ての吸血鬼の頂点に立つとされ『女王』と呼ばれる少女の姿をした吸血鬼。一人は拳銃型の武器を手にし、一人は壁に背を預ける様に雪が積もる地面に座り込んでいた。
「……まさか、この儂が小僧に遅れをとるとはなぁ」
眼前に銃口を突き付けられた吸血鬼の少女の表情は恐れや怒りといったものではなくどこか満足気なものだった。
「小僧小僧って初めて会った時から何年経ったと思ってる、こっちはもう成人してんだぞ」
ごり、と手にした鉄の塊で額をかく青年。彼にしても長年の宿敵を追い詰めた悲願達成の瞬間、という歓喜を見せる風でもない。
「どうした小僧、怨敵の首領を追い詰めたのだぞ? もっと嬉しそうな顔をみせたらどうじゃ」
「別に。顔に出るタイプじゃないのは知ってるだろ」
まるで十年来の知り合いと軽口でもたたき合う様な二人のやりとり。
「なんじゃ張り合いの無い……、追い詰められ甲斐の無いやつじゃの」
遥か昔は人の生き血を啜る為人間を襲いその命まで奪っていた吸血鬼だが、時代が進み技術の発達と共にいつの間にかその立場は逆転。今では人間が最新鋭の兵器で身を固め闇夜に潜む吸血鬼を狩る存在となっていた。
「なあ吸血鬼、一つ聞かせてくれ」
「なんじゃ、スリーサイズか? 小僧もいつの間にかそんな年頃になって……」
「ここで『女王』であるお前を殺せばこの人間と吸血鬼の戦いは終わるのか?」
「はぁーユーモアの無い男はモテんぞ小僧」
黒いドレスで着飾った少女の周囲の雪がじんわりと赤く染まっていく。その顔色からは窺えないが金髪の吸血鬼の全身には深い傷が刻まれている。
「……」
無言で圧をかける青年に軽く肩を竦めて真面目な表情に切り替える。外見年齢で言えば青年より一回り幼く見える少女が見せる顔つきは落ち着いたものだった。
「終わらんな、今日ここで儂が死んだとしてもこの世のどこかに新たな『女王』が生まれるだけじゃ。今の儂よりさらに強大な力を持った……な」
「そうか」
対して青年の反応は淡泊なものだった。望まぬ答えが予想通り返って来ただけの様に。
「……今日、世間はクリスマスなんだってよ」
ぽつりと、独り言と聞き違う程の呟きが白い息と共に吐きだされた。
「雪まで降ってさ、所謂ホワイトクリスマスってやつだよな」
「吸血鬼が世間に疎いとは言え流石にそれくらいは知っておるわ。まぁ儂ら吸血鬼がわざわざイエス・キリストの生誕を祝う義理もあるまいが」
「こうして俺達が殺し合いをしている間にも足元では吸血鬼の存在も知らない奴らが家族や或いは恋人と手でも繋いで幸せに街を歩いてる」
ぽつりぽつりと青年が言葉を紡ぐ。
「何だってそんな日にこんな事してるんだろうな俺達は」
「愚問じゃな、儂が吸血鬼で小僧が人間……付け加えるなら互いに『人類最強』と『吸血鬼最強』というも生まれもあるじゃろうな」
少女の言葉に驕りは無く、宿敵に対する過大評価も無い。
全ての吸血鬼が持つ人間とは比較にならない身体能力に加え『女王』のみが持つ特殊な能力――――炎や水に始まる全ての元素を自在に操り質量操作重力操作変幻自在の変身能力その他物理法則に唾を吐く無数の能力合計六六六個、それが一人の少女を全ての吸血鬼の頂点『女王』たらしめている力の正体である。
そしてもう一つの『頂点』である人類最高傑作の青年。医学薬学科学、人類の英知を注ぎ込んで人工的に生み出され最先端の技術を取り入れた武器兵器を自在に操る彼の最大の武器は異常なまでの学習速度と卓越した戦闘センス、それら全てを合わせた彼の戦闘能力は並みの吸血鬼数百体を瞬く間に葬る事を可能にする。
「生まれ……ね。おかげで俺は同年代のガキ共が鼻水たらして友達と馬鹿騒ぎしている裏で毎日血反吐吐きながら訓練訓練実験訓練、たまにお前ら化け物相手と殺し合いしてまた訓練! 俺の青春時代って奴はゲロと血の味しかしない糞みたいな人生だった!!」
小さな呟きの様だった青年の言葉は次第に激しい物へと変わっていく。
「勝手に創って勝手に人類の希望とかいう値札を押し付けられて自由なんてない二十年を過ごして来た! お前を――――『女王』を殺せば全ての吸血鬼を滅ぼせると教えられてその為だけに生きてきた!」
「気持ちは分かるが儂に怒鳴っても仕方ないじゃろう。そもそも儂を殺せば全て解決すると勝手に決めつけたのはそちらの方じゃ。怪物の親玉を殺せばその配下も死に絶えるなぞ安っぽいB級映画じゃあるまいし――――」
肩をすくめて苦笑いを浮かべる金髪の少女。全身に穴が空き大量に血を流しているとは思えない様子。それを見て呆気にとられる青年。だがそれは吸血鬼の異様な頑丈さに驚いている、という訳ではなく。
「…………映画、見るのか吸血鬼も」
「儂らをなんじゃと思うとる、吸血鬼とて娯楽を嗜む情緒は持ち合わせておるわ。むしろ長い歳月を生きる儂らだからこそ映画や読み物などといった娯楽作品に飢えているのじゃぞ。小僧は知らんじゃろうが遥か昔の映像作品は無骨な巨大な箱の平面に白黒で映され音声すらもなかったんじゃぞ。小説や漫画なぞも今の様に電子機器に全て納められている訳でなくそれぞれ紙の本で一冊ごとに分けられておってな」
「…………そりゃ初耳だ、色んな意味でな」
「そりゃそうじゃろう。こうして吸血鬼とじっくり話をする機会も初めてじゃろうしな」
「確かに、お前と殺り合う事は何度もあったが趣味の話なんかしたのは初めてだな。当然っちゃ当然だけど」
「ちなみに儂のおすすめは戦争中の学生兵士とその敵国の王女の恋慕を描いた、らぶろまんす系で確かタイトルは……」
「…………『月陽の狭間で』、ガキの頃一度だけ見た映画がこれでずっと記憶に残ってる」
今度は吸血鬼の少女が目を丸くする番だった。
「――――ふ、はははははっ! まさかまさかじゃの、互いの種族を背負って殺し合う間柄で映画の趣味がまる被りとは! 洒落た偶然もあったものじゃ」
吸血鬼はひとしきり笑った後、その身を捧げる様に青年に向かって両腕を広げる。
「さて、そろそろ終いにしようかの。ほれさっさと止めを刺せ」
手をひらひらさせハグでも求める様な仕草。そんな吸血鬼の額に真っすぐに銃口が向けられる。
「…………本当にこれでいいのかよ」
それはまるで自分自身に言い聞かせている様にも聞こえる。吸血鬼は自分が生み出される以前から争いを続けて来た相手で殺すべき存在の筈だった。そんな吸血鬼たちの頂点である目の前の少女が自分と同じ映画を愛する存在だと知った。そしてそれ以上に彼の指先の動きを妨げている理由、それは。
「お前、本気出してなかっただろ」
「…………小僧の癖に察しがいいのぉ、小僧の癖に」
「何度お前と戦って何度殺されかけた分からねえんだ。分からねえ訳が無いだろうが」
何故、青年が問いかけるよりも早く吸血鬼の少女は口を開いた。
「同じじゃよ。儂も小僧と同じ、この世界の仕組みに縛られて人間達と戦う事に疲れてしもうた。偶々儂が『女王』としての力を持って生まれて来たというだけで吸血鬼の頂点として祭り上げられる人生にな」
「はは、似た者同士って事か」
「どうやらそうらしいの」
しばしの沈黙が二人の間に流れる。
真冬の夜の空気は肌を刺す様な冷気で満たされおり、降り続ける雪が彼らの足元に積もっていく。
「はーあ、学校の帰りに幼馴染と並んで歩きたかった」
とさ、と青年の手から鉄の塊が雪の上に落下する。
「そんでコンビニで買ったアイスを食ってるとこをクラスメイトに見られてからかわれたりさ」
どさり、とスーツの下が濡れるのも構わず雪の積もるビルの屋上に腰を下ろした。
「あーでもガキの頃訓練の一環で通わされた学校は友達なんかできる前に吸血鬼にぶっ壊されたし、同世代の知り合いは同じ組織で育った吸血鬼ハンターだけだし皆もう死んでたわ」
銃を手放したその手で積もった雪を掬い上げ握り締める。再び開いたその掌には何も残っていなかった。
「それを言うなら儂だってそうじゃ」
金髪の少女は血まみれの両手で雪を掬う。
「毎朝隣の家に住む幼子からの知り合いを起こしに部屋に行ったり、付合いたての彼に膝枕で耳かきしてあげたり……」
彼女の手の上では純白の雪にどす黒い赤が滲んでいる。
「無論そんな相手はおらんだし昔いい感じになった吸血鬼の男も何人かおったが小僧のお仲間に全員殺されたな」
「…………」
「別に責めとる訳じゃないぞ、殺して殺されてなんぞお互い様じゃしの」
「分かってる。そもそも同じ組織で育ったってだけで仲が良い友達って訳でもなかったしな」
今夜何度目かの沈黙。彼らの体にもうっすらと雪が積もり始めた頃。
「それでどうするんじゃ? 仕切り直してもう一回殺し合うか?」
「冗談。そんな空気じゃねえだろもう」
「ではどうする? いっそこのまま二人で身投げでもしてみるか」
自嘲気味に笑う少女。数百年間隔で溜め込んだ胸の内を吐露した彼女は心なしかすっきりした顔をしていた。
「人類最強と吸血鬼最強が心中か、それも悪くねえな」
「どうせ今の世界に未練なんかないじゃろう互いにな」
「そうだな今さら幼馴染とか言っても昔からの知り合いなんかとっくに皆死んで…………」
「何じゃ人の顔をじろじろと」
「そういや居たな一人だけ。ガキの頃から知ってて顔合わせる度殺し合うくらいには濃い時間を過ごして来た相手が」
「……正気か小僧。自分が何を言っとるか理解しておるか」
「吸血鬼の寿命が何十年か何百年か知らねえけどそれと比べりゃ人間の一生なんて一瞬みたいなもんだろ。どうせ一緒に死ぬくらいならその前に一緒に生きてみないか? 飽きたら俺を殺せばいい、だからさ――――」
青年は立ち上がり少女に対し手を差し伸べる。
金髪の吸血鬼は目を白黒させながら大きなため息を吐き、そして最後には
観念した様にその手を取った。
「小僧の戯れに応えてやるのも年長者の務めじゃしのう、付き合ってやるわ――――精々儂を退屈させるなよ」
足元の街を賑わせるクリスマスソングが二人の出会いを祝福している様だった。
◆◆
人間と吸血鬼の長い長い争いが終結してから百年。二つの世界は交じり合い人間と吸血鬼が共存できる日常が当たり前の物として受け入れていた。
「いってきまーす!」
バタバタと廊下を駆け玄関から飛び出そうとする一人の少女。ブレザータイプの学生服に膝丈上のスカートをひらめかせる金髪の少女はすれ違う男性全てが振り返る端麗な顔立ちをしていた。初雪の様な白い肌、切れ長の目に宿る真紅の瞳には妖艶な光が宿っている。
「ちょっと、パパにも行ってきますの挨拶はしたの?」
キッチンに繋がるドアから顔を出したのは制服姿の少女をそのまま大人にした様な容姿の女性だった。少女より少し背が伸び艶のある長い金髪を一本に纏めている部分以外はほぼ同じ見た目をしており、歳の離れた姉妹と言われても疑う者はまずいないだろう。
「そうだった!」
履きかけのローファーを雑に脱ぎ捨て百八十度ターンした少女は元来た廊下を駆け戻り食卓の棚に置かれた一枚の写真の前に立つ。
「それじゃあパパ、いってきます」
額縁の中でぶっきらぼうな表情を浮かべるのは老いた男性。どう甘く見積もっても祖父と孫娘にしか見えない両者だが確かに少女は写真の老人の事を父親として呼んだ。
「制服姿パパにも見てもらいたかったな……」
「きっと見てくれてるわよ」
「だといいな」
「それはそうと時間は大丈夫? さっきあんなに急いでいたのに――――」
「ああああっ!! そうだった! 今度遅刻したら宿題を倍にするって脅されてるんだった!」
金髪美人親娘の間に漂いかけたしんみりした空気が吹き飛んだ。
「日焼け止めはちゃんと塗った? 私よりは大丈夫だろうけどあなたもちゃんとケアしないと普通の人より日光に弱いんだから」
「だいじょうぶ―! それじゃ今度こそ行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい」
バン、と玄関の扉を開ける。差し込んでくる朝日に顔をしかめながら少女が振り返る。
「ん、何か忘れ物でもした?」
「ママはどうしてパパと結婚したの?」
「急いでるんじゃなかったの」
「んー何となく気になって」
そうねぇ、と遠い記憶を辿る様に目を細める女性。左手の薬指に填められたシンプルなデザインの指輪を撫でながらゆっくりと言葉を繋ぐ。
「同じ映画が好きだったから……じゃな」
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