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〜海中列車〜
——赤い花火が今、空で枯れ落ちた。
海の波間には、星が揺らぎ溶けている。目を覚ますことのない君の横顔を思い出すと、今すぐに動き出しそうに思えてしまって、輝かしい日々を思い出した。
病院の大きな窓から見える屋台の灯が、ぼんやりとオレンジ色をして海岸線沿いに伸びている。
心電図は時を切り取る写真のように止まったままで、時折り微弱な波紋を映し出す他は一向に動きを見せない。
いくら問いかけをしても、答えることはなくて、ただ私の声は病室に空回りするだけ。
「⋯⋯どうして。どうして。なんで何も言わずに⋯⋯」
——消えてしまったの?
冴えなくて、地味な私。声も出せなくて、昔からいじめられることが多かった。家に帰っても、私の味方なんていない。まるで母と父と私の妹三人だけの家庭のようで、私が入り込む隙間なんて存在しない。優秀な妹はいつも私を邪魔者扱いするし、それが嫌だから学校に行っても嫌がらせを受けるのだから、もう心身ともに疲弊していた。
ふと、梅雨明けの風が廊下から流れ込むのを感じた。それに誘われるように足を動かしていくと、どうやら珍しいことに屋上が開いていた。
俯いてばかりいたからか、真っ青な空を見るのがやけに新鮮だった。なんの気無しにフェンスへ寄りかかり、自分の住む街を見ると広大に家々が立ち並んでいたり寂れた商店街や公園も見える。そして向こうには海が太陽の光を反射して輝いていた。
「⋯⋯え、もったいなくない?」
唐突に声をかけられて、ビクッと肩に力を入れる。恐る恐る声のした方向を見てみると、そこにはマスクをした、やけに肌の白い女子生徒。
「もったいないって、何のこと⋯⋯?」
「だからぁ、その身体だよ。屋上から飛び降りなんて、飛び散るし、怖いし、汚いよ?」
何を言っているのだろう、この子は。私は死にたいからここに来たわけじゃない。
⋯⋯ただ、誘われるまま来ただけだ。
「⋯⋯え、違うの? なんだ、ついてっきり誘われるまま来たのかと思ったよ。ちゃんと意思があってここに来たのなら全然問題ないんだ」
「⋯⋯意思があるなら良かったって言うのは?」
「えー、オホン。それについては自殺未遂歴八年⋯⋯いや、七年かな? まあそんな私が解説しよう。まず自殺する人というのは長い間何かにおいてずっと悩み続けたり苦しみ続けわけなんだよ」
「⋯⋯へ、へぇ」
「でね? そんなことをずっと考えてるもんだからだんだん麻痺してきちゃって何も感じなくなるわけ。そういう時に些細なきっかけのせいでふと糸がちぎれるみたいに⋯⋯。あっ、死のう。と思う時があって。ほら、今日屋上開いてるでしょ?」
「⋯⋯そう、だね」
「実は私、君が不思議と屋上に行くの見てびっくりしたんだ。もしかしたら、誘われてるんじゃないかなって」
背中の冷や汗が止まらない。だって、見事に言い当てられているのだから。無意識のうちにここまで来て、フェンスに手をかけている。言われなければ、きっとこのまま⋯⋯。
「ま、せっかくなら綺麗なまま身体を残しておきたいじゃん? そんな人におすすめなのがこの作戦なんだよね」
そう言うと、彼女はフェンスに背をかけながらこちらに手を伸ばし、耳元でこう囁いた。
——海中列車に乗ろうよ。
「⋯⋯どう言うこと?」
「はぁ、やっぱり伝わらないか。まあ無粋なこと言うと海に投身しよってこと」
「えぇ⋯⋯。私のこと引き止めてくれたわけじゃないの?」
「⋯⋯んー。まあその意味もあるんだけど、私も君の気持ちは分かるし、無理して生きなくてもいいと考えてる系JKだからさ」
「⋯⋯う、うん?」
白い手のひらで、私の手が握られる。まるで生きていないようにも見えるけれど、ほんの少し常人よりは冷たいながらも、熱は感じるので確かに生きているようだ。
「⋯⋯ま、とりあえず今日は午後の授業すっぽかしちゃおうよ。大丈夫大丈夫! 私なんて授業ほとんど行ってないし」
「あ、ちょっと! 勝手なこと言って!」
そうは言うけど、この時の私は少し勇気を分けて貰えたのかいつもとは違うことができるように感じた。
「オレンジアイスでも食べながら帰ろうよ! いいところあるんだ〜」
この日、私は初めて学校をすっぽかした。
お祭りの屋台の灯火は少しずつ減っていき、ついに最後の一つも闇の中へ消えた。窓を開けてみると波の音が聞こえて来て、潮風を感じる。
いつの日か見た、君の後ろ髪が揺れながら笑いかける顔。風の掠める音が、今まさに鳴っているかのように耳の中で木霊した。
「⋯⋯そうだ、空と海だったら私海が好きなんだけど、なんでだと思う?」
ある日の昼下がり。唐突に投げかけられた質問に私はたじろぎながらも答えた。
「なんでって⋯⋯。うーん、泳げるから?」
「ブッブー、正解は綺麗だからでした」
⋯⋯どっちも同じ青だろうに。そう出かかった言葉を飲み込み、苦笑いで返事をした。
「⋯⋯だから、今度海に遊びに行ってみない?」
「⋯⋯海かぁ。いいね! 今度行こう!」
苔むしたベンチは太陽の光を一身に浴びて、私たちを照りつける。
「⋯⋯暑いね」
謎の沈黙に耐えきれなくなった私は、とりあえずでき合わせの話題を投げかけてみた。
「⋯⋯そうだねぇ。チミ、これが夏ってことだよ」
戯けたような様子を見せる彼女についつい笑ってしまう。その時、ふと私はとある疑問を思い浮かべた。
「⋯⋯そういえば、ほんとに海が好きだよね。図書館でも海の写真集とか海の魚の本。それにサンゴとか、海の化石? の本とか読んでるし。なんで、海が好きなの?」
何気なく放った言葉に、少しだけ異様な沈黙が流れる。
「⋯⋯なんとなく。うん、なんとなく、好きなんだ」
そう話す彼女の口調とは裏腹に、表情はどこか困っている様子だった。
無機質な病室の真ん中に横たわる彼女の眠るような顔は、真っ白で、美しさとともに怪しさも秘めていた。
⋯⋯図書室で読んでいた本。化石のでき方。どうやら、化石というものは、死骸が海の底や湖の底に沈んで、その上に泥や砂が積もることでできるらしい。
そのように長い時間をかけて堆積物の重みが死骸を押し固めて、永遠に形を美しく残すのだそうだ。
「⋯⋯綺麗なままでいたいって。そういうことだったの?」
そう問いかけても、やっぱり返事は返ってこない。ただベッドシーツに小さなシミができていくばかりだ。
——いつか、消えてしまう⋯⋯。思い出も記憶も、この身体だって。それならば、綺麗なままで残したいんだ⋯⋯。
彼女が消えてしまう前日。眠りについた彼女の目を盗んで読んでみた日記帳にはそう記されていた。シャープペンシルでササっと、それでいて味のある不思議な文字。
パラパラと前の日付に遡ってめくってみると、いくつもの詩が日記には書き記されている。
⋯⋯この言葉も詩のひとつなんだと思っていた。
どこか、詩的な言葉をよく使う彼女が詩を嗜むことはなんら不自然ではない。少し病気を拗らせたらしいと始めた彼女の入院生活。きっと暇だから趣味として始めたのだろうと思っていた。
諦観したような、それでいて生に対する熱もどこか隠し持ったような作風。今度秘密にして投稿してみようかと思っていたくらいだ
。
——でも、私は重大なミスを犯してしまったのだ。
「海中列車に乗ろうよ!」
そんなふざけた言葉を彼女が言う前に私はその手を掴んで、引き止めなければいけなかった。そして、彼女に大切な物を教える必要があったんだ。
⋯⋯綺麗な青空も、煌めく海も。どっちも観れる場所を。
もし、その場所を教えることができたのならきっと彼女はこうするだろう。
灯台が照らす岬。そこに君は、白い手を伸ばす。そして、一言。
——綺麗な地上も、素敵なものなんだね。
⋯⋯赤い花火が今、空で枯れ落ちた。
最後の花火。海の波間には、星が揺らぎ溶けている。花火の打ち上げの終了とともに、再び屋台は光を取り戻し、オレンジ色の海岸線へと変異していく。
波の音は相変わらず繰り返していて、心に平穏をもたらす。月明かりと星の光が、揺らめく波間の間を塗って海底へ沈んでいるように見えた。
涼しい潮風が、肌を掠めてはスルスルと離れていく。夏の匂いを遺して。
⋯⋯白い部屋の壁。周りを全てそれに囲まれた眠り続ける君の音。それが、私には聞こえた気がした。
——海の波紋が、映った。
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