3 一目見たとき

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 結局中学受験は失敗した。親の視線が怖い、期待が怖い、もう居場所もない――。  そんな折に、寮を備えている高校があることを知った。そのほとんどは相部屋であるし共同生活に自信はなかったが、それが些細なことであると思えるほどに、家を出たいという気持ちが強かった。隣県の高校だが、その実績や世間からの認知度からか、親は受験を了承してくれた。  今思えば、親にあんなに必死で何かをしたいと頼んだのは、初めてだったかもしれない。  家を出たい一心で勉強し、見事合格を果たすことはできたものの、この高校でやりたいことがあったわけではない。  家から出るという一番の目的を達成してしまった公季には、勉強のモチベーションが皆無であった。  しかし成績は実家にも郵送されるため、一週間後に控える試験のため仕方なく勉学に励むしかない。  集中力が続かないのを場所のせいにして、今日も新たな勉強場所を探しに行く。  寮の自室は、ルームメイトのヘッドホンから漏れる音楽が気になって集中できない。図書館は静か過ぎて、隣の人のペンを走らせる音が気になって仕方がない。放課後の教室は適度にざわついているが、時折急に聞こえる女子生徒の甲高い笑い声が苦手だ。  ふと、寮に談話室があることを思い出し行ってみることにした。  こぢんまりした空間。長机にパイプ椅子が三つ、それが二列にそれぞれ三セット。すでに何人かの生徒が座っており、空いている長机は一つだけであった。  なんとか今日の勉強場所は確保できたか。  一人で黙々と勉強している者もいれば、勉強を教え合っている者もいて、適度な雑音が心地良かった。  もう場所で言い訳できないなと思いながら一番苦手な化学の問題集を開こうとした時、斜め前の椅子に座る男に目がいった。  化学の問題だろうか、六角形にたくさんの何かが付いた、よくわからない暗号をスラスラと書いている彼の、文字を書く仕草には無駄がなく、またそのブレることのない美しい姿勢に思わず見惚れてしまっていた。  こんなに視線を送っていたら気持ち悪がられると慌てて視線を逸らすが、彼がこちらに気づく様子は全くなかった。それだけ集中しているのだろう。  その時談話室へ男子生徒が入って来て、前の席の男に声をかける。 「よっ、侑生!」  公季が見惚れていた彼はどうやら侑生という名前らしい。 「よぉ、余裕そうだな」  侑生は手を止めて男に返事をする。
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