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「余裕じゃねぇよ。侑生は相変わらず化学調子良さそうだな。……あ、俺その問題解けなかったんだよ、解説読んでも意味わかんねーし。ここの問題文さ、そもそもどっから炭素の質量の話になんの?」
「ああ、これはな」と侑生が解説を始める。もちろん自分が履修していない内容のため、全く理解できない。
しかし侑生が相手のわからない箇所を的確に見抜き、淡々と理路整然に説明をしているということは、はっきりとわかった。
「なるほどなー! そういうことか。サンキュ」
「ああ」
「てかお前頑張るよなぁ。化学なんか学年トップといい勝負だろ?」
「まぁあいつに張り合えるのは化学だけな」
「十分だわ。どこにそんな原動力あるんだよ」
息抜きのタイミングと判断したのか、侑生は綺麗な姿勢を少し崩した。机の上に散らばっている個包装のチョコレートを包み紙から丁寧に取り出すと、それを口に放り雑談を続ける。
「原動力なぁ……。俺さ、去年日本史選択してたんだけど、その先生がすげー癖強くて」
「あぁ、あの声のでかい……岡田先生だっけ」
「そ。別に日本史なんて受験に使わないと思ってたから、適当に聞き流そうとしてたんだよ」
「お前私大志望だもんな」
「あぁ。でもこの岡田先生、くそ面白くて、……毎回歴史上の人物に憑依して授業すんだよな」
「はは、なんだそれ」
「一番ウケたのは、兄に殺される瞬間の義経だな。本人は全く笑かすつもりないからさ、もうクラス中笑い堪えるのに必死だったわ」
「なにそれ見たかった」
「ほんと、歴史なんてずっとつまんないと思ってたのに、岡田先生、どれだけ歴史が面白いか語ると止まんねーし。そんな風に見たら確かに面白いんだなって。……というより、純粋にさ、ここまで好きなことに真っ直な大人ってかっこいいなって、思ったんだよね」
「お?」
「自分が何になりたいかも、やりたいこともわかんないけど、こんな大人になりたいから、とりあえず目の前のことを腐らずやろうって」
「ほー、それが原動力なんか」
「俺にとっては割とベストスリーには入る人生の転機だったな」
「それはすげーな」
「俺には勉強とか運動ができるやつが一番かっこいいって固定観念が多分あったんだよな。まぁ今もあるけど。でも実際社会出たら好きなことを全力で楽しんでるやつが一番かっこいいだろ。……って何で佐山の前でこんな語ってんだ、恥ずいな」
知らない人たちの雑談なのに、公季の心には響くものがあった。岡田先生という人の授業も気にはなるが、それよりも侑生の感性の鋭さに目を逸らさずにはいられなかった。
『好きなことを全力で楽しんでるやつが一番かっこいい』
親のためとか、他の誰かのためじゃなくて、自分のためでいいんだ。親からの期待をそのまま重圧としていたのは、自分自身だったのかもしれない。
人生の転機――公季にとってそれはまさに今だろう。
ずっと居心地の悪かった家から抜け出せて、寮に入ることができた。親友と呼べる人はいないまでも、気軽に言葉を交わせる人は何人かできた。全体的に生徒や先生は中学の頃より志が高いし、今は環境に恵まれていると思う。
あの時と違って、自分の居場所はここにある。
侑生だったら、これをチャンスと捉えるんだろうか。
あれから侑生を見かけると目で追うようになっていた。多分これが世間一般に言う、一目惚れというやつのだろう。
侑生に少しでも近づくことが、公季にとって全ての原動力となった。近づく、というのはもちろん同じレベルに立ちたいという意味である。
しかしあれから一年が経って、まさか夜な夜な近い関係になっているとは思ってもいなかった。
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