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かり、と口の中で雨玉を半分に割る。片方を口からとりだし、もう片方を口の中で転がして溶かした。
飲み込むことなく、鼻から大きく息を吸って口から吐き出す。
ふうぅ。
溶けた雨玉が息とともに外に吹きだされ、やがて雲となる。宙を舞い、風と共にどんよりとした雲になるとぽつぽつと雨を降らせる。
「そう、上手だよ」
傍で見ていた先生がにこりと笑う。口からとりだした雨玉はなくさないようにガラス瓶の中に入れた。これを使うのはまた今度だ。自分で持っているのは禁止、先生に手渡す。先生は大切そうに受け取ると蓋をした。
「先生、どうして使うのは半分だけなのですか」
地上を見下ろしながら僕は雨雲を見つめる。あの雲の薄さではあっという間にやんでしまうだろう、夕立がいいところだ。
「そうだね、もう雨を降らせられるしそろそろ教えよう。昔は雨玉一つ使っていたんだよ。それも毎日使うこともあった。丸一日雨なんて珍しくなかったんだ」
先生は半分だけになった雨玉のガラス瓶を他の瓶が置いてある場所にきれいに並べる。ガラス瓶にはしっかり蓋がしてあって簡単にはとりだせないようになっている。
「我らは雨を降らせる役割だ、それ以上も以下も以外もない。それしかやってはいけない。でもね、昔、雨玉を食べてしまった子がいたんだ」
「食べた?」
僕は驚いて声がうわずってしまった。だって、ありえない、食べるなんて。食べ物じゃないのに。
「お腹が空いていたのか、興味本位だったのか知らないが。食べてしまったんだよ、愚かにも」
話す先生はいつも通り穏やかな顔だが、気のせいかな。刃物を目の前につきつけられたように緊張してしまう。怒っているのかな? わからない。先生はいつも穏やかに笑うだけだから怒った姿を見たことがない。
「その子は雨玉によって体が溶けて雲となった。雨がないと耐えられない体になってしまったんだ。だから、我々が雨を降らせようとすると先に食べてしまうんだよ、雨を」
言いながら地上にかかる雲よりはるか上、僕らがいる場所よりももっと上を見る。お天道様がまぶしくて僕には雲一つ見当たらないが、先生には見えているのだろうか。
「困ったものだね、地上の人たちの為に雨を降らせているというのに先回りで食べられてしまっては。だから半分だけ、それもたまに。雨の回数と量を減らすことにしたんだ。そうすると、その子が雨を食べてしまうと地上にまったく雨が降らなくなってしまう。それは、地上の死だ」
死、の言葉が思いのほか冷たくて、寒気を感じて思わず自分を抱きしめてしまう。
「死……」
「人だけじゃない。木も草も花も、それらを食べる動物も、動物を食べる動物も、皆が死に絶える。そうなってはいけないだろう? だから、雨を減らしたらあの子は食べられないんだよ。我慢してるんだ」
先生が上を見たまま小さく笑う。僕も、もう一度見上げる。そこにはやはり雲なんてない、眩しくて手で光を遮って探してみるがお天道様があるだけだ。
「何も見えません」
「見えないよ。透明な雲だからね。存在を確認されることも、空から降りることも赦されない。本当、憐れな子だ。他者を死なせるという選択もできず自ら苦しみ続けることしかできない、愚かで憐れで優しくて、でもやっぱり愚かな子。叢雨はどう思う、可哀想かな、愚かかな」
雨玉を食べた子。今も赦されない子。お腹を空かせて、誰かを死なせることなどできない子。
「……。わかりません、憐れとも愚かとも思いません。僕はただ雨を降らせるだけです」
「それでいい、気にすることはない。あれはただの雲だ」
先生は僕の頭を撫でた。その手つきは優しい。
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