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マスコミや、そうした不届き者達に悩まされる椋の姿を、広斗は当時からそばで見ていた。彼らに対する広斗の警戒心は自然と高くなり、いまでは積極的に対処を買って出るようになっていた。
そしてそのあたりの事情は、真崎も承知しているところだ。
「ああ、そうだよね……いや、わかるよ。謝ることはない。慎重なのは良いことだ」
彼はなにかを思い出すような表情で、理解を示すように頷いた。椋はほっとしたように息を漏らす。
「そう言っていただけると。あ、と。すみません、俺まだ寝起きで。ちょっと支度してくるので、上がっていてください……広斗、お通しして」
「はい。こちらへどうぞ」
広斗が真崎をリビングへ案内している声を聞きながら、椋は二階へ戻った。いつものように定番の服に着替え、顔を洗って支度を済ませる。
手つきや足取りは普段と変わらないが、表情は浮かない。起きてしばらく経ったいまになっても、頭の中には悪夢の嫌な感覚が残っていた。気分を変えるように、タオルで強く顔を拭う。椋はそこで、悪夢がいっそう尾を引いているのは、真崎の声を聞いたからかもしれないと、ふと思う。
真崎は、あの事件の担当刑事だった。椋が真崎の存在を思い出すとき、自然と事件はセットになる。彼には何の落ち度もないが、彼の存在自体になんとなく嫌なものを感じてしまうのもまた、致し方ないことだろう。
タオルを置いて、深いため息を吐くと目隠しをつけ直す。
ときおり広斗に切ってもらうだけで、余計な手をかけていない椋の髪はさらさらの直毛だ。ざっくりと手櫛で整え、変な寝癖がついていないことを確認してから、椋は階段を降りていった。
「椋さん、ホットサンド食べますか?」
椋がリビングに姿を現すと、すぐさま広斗が問いかけてくる。
「うん……真崎さんはお腹すいています?」
「いや、わたしはもう食べてきたから大丈夫。君は気にせず食べると良い」
聞こえた声の位置から真崎の座っている場所を把握して、椋はちょうど向かい側のソファに腰掛ける。テーブルの上には、すでに広斗が真崎用に出したコーヒーがあり、カップからは湯気と芳しい香りが立ち上っていた。
「では、お言葉に甘えて。広斗、俺の分だけ頼む」
「はーい」
広斗がキッチンへ向かってしまうと、リビングにはやや気まずい沈黙が落ちる。
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