王妃の手紙

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 わたくしは二度結婚いたしました。  一度目は父王アクエンアテンと。二度目は異母弟トゥトアンクアテン王子とです。  驚きましたか? あなた方、ヒッタイト人には理解できないでしょうが、エジプト王家では血の繋がった肉親との婚姻は至極当たり前のことなのですよ。もっとも、父との結婚は形式上のこと。マアトを司るファラオには王妃の存在が不可欠です。  母がオシリスの元へ旅立って、父は弟のスメンクカラーを共同統治者に据えました。第二のファラオとなったスメンクカラーはわたくしの姉メリトアテンを王妃に迎え、ここにエジプト王家の秩序が保たれたのです。  しかし、その平穏もつかの間でした。スメンクカラー王も姉も疫病で呆気なくこの世を去り、父は「偉大なる王の妻」としてわたくしを選んだのです。わたくしがまだアンクエスエンパアテン(アテンによって生きる者)と名乗っていた頃のことです。  わたくしは誇らしかった。アテン神の息子たる父と共に万民に崇められ、日に日に美しかった母ネフェルトイティに似てくる自分の姿に酔いしれたものです。子を産んだことのない若い身体は母の何倍もみずみずしく、すべての殿方の視線がわたくしに注がれました。  え? 名を変えた理由ですって? 思い出すのも忌々しい、欲にまみれた神官たちの仕業です。……仕方がない、お前にはすべてを話すと言った手前、話さぬわけにはいきませんね。  父の治世以前、エジプトにはアテンの他に数多の神々がおりました。何百という神々のための神殿が各地に作られ、とりわけ、アメン神の神殿と神官たちの権力は絶大で、その力は時にファラオすら凌ぐという有様でした。肥え太った神官たちは政にも口を出し、神聖なる我が王家を蔑ろにしてきたのです。  そんな薄汚い神官たちを一掃したのが父でした。父は「アテンの他に神はなし」と宣言し、自らの名もアメンヘテプからアクエンアテン(アテンに愛されし者)に変えました。アテン神以外の神への崇拝を禁じ、アテン神のための都を作り、アテン神の恩恵を受けた王家による統治を行ったのです。  その父が崩御すると、それまで息を潜めていたアメン神官たちが力を取り戻しました。彼らは十に満たない弟トゥトアンクアテンを王位につけ、わたくしと結婚させたのです。幼かったわたくしたちは父という寄る辺をなくし、アメン神官の意のままとなりました。トゥトアンクアメン、アンクエスエンアメンと改名させられ、アテン神の神殿もことごとく打ち壊されたのです。  アメン神官たちの傀儡となった弟とわたくしでしたが、幸いなことに夫婦としての生活は穏やかでした。手を取り合い、いつの日か真のマアトを掌握することを誓ったわたくしたちの絆はそれは強固なものでした。  トゥトアンクアメン——トゥトは心からわたくしを愛し、慈しみ、歳を重ねるごとに頼もしく成長していきました。精悍な若者となった夫に、わたくしもまた惜しむことなく愛を注いだのです。  勇ましく獅子と闘うトゥト、威厳を持って民衆に手を振るトゥト、豊穣を祈る神々しいトゥト。何より愛しかったのは、わたくしとの閨でだけ見せる甘えん坊の顔でした。  かのスネフル王のように、見目よい娘たちを池で遊ばせ、その光景を葦船から眺めては「我が王妃の美しさに敵う者はない」と笑うトゥトと、寄り添うわたくしを皆が祝福しました。柔らかな光に満ちた、何と微笑ましい思い出でしょう。  間もなく授かった子に、トゥトは歓声を上げて喜びました。日一日とふくよかさを増す腹に頬を寄せ、きっとこの子は王子に違いないと零すトゥトの幸福そうな横顔が、今でも目に浮かびます。残念ながら、その子は産声を上げることなくわたくしの中で亡くなりましたが、まだ若い夫婦には次があると信じてやまなかったのです。
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