3.シャンディガフの憂鬱

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「仔犬でも牙は鋭いんで、酷い目にも遭ったんじゃないかな。見つけた時も最初はかなり、僕のことを警戒していたから」 「え…何されたんだろう……。いくら牙が鋭いからって仔犬なのに……」  30年も昔の話なのに、今目の前に起こっているかのように彼女が憤るので、銀次は何だか可笑しさが込み上げた。 「要ちゃんは想像力が豊かなんだな。目の前で起こってるわけでもないのに」 「私、結構動物好きなの。昔、犬と猫両方飼ってたこともあるし。だからその子達の幼い頃を思い出しちゃって……」 「何だ、そういうこと」 「でもどんな動物だって、子どもの頃は可愛いでしょ?」  あまりにも蕩けそうな瞳で言うので、銀次は意地悪く「肉食獣でも?」と訊ねる。 「うん。ライオンとか虎の赤ちゃんでも、小さい頃は可愛いもの。無垢な猫にしか見えないし」 「なるほどね」  次第に銀次は、愛玩動物でも眺めるように目を細めて、要を見つめていた。そんな様子に嫌な予感がしたマスターは、小声で「君、何を考えてるの?」と訊ねるが、彼は「何がぁ?」とすっとぼける。 「そ、そうだ、要ちゃん。博樹君は元気してる? ここ暫く来店してないけど」 「あぁ、ヒロキ? 確か福岡に暫く出張するって言ってなかったかな?」  急に登場した『ヒロキ』という男の名を訝しんで、銀次が咄嗟に「もしかして彼氏?」と訊ねると、「ヒロキは全然そんなんじゃないよ。ただのこの店の常連仲間」と彼女は笑った。途端に銀次は、勝ち誇ったような顔をマスターを向ける。 「ふ〜ん…そうなんだ。今要ちゃんて、彼氏いないの?」 「え? ま、まぁ……」  彼女の戸惑いを他所に、マスターの眉毛は完全に八の字を描き、「シルバ君、次何かおかわりするかい?」と、取り繕った。二人の間には、目には見えない火花が散っている。そんなことともつゆ知らず、要は「お手洗い借りるね」と言って席を外した。 「まさかこの店に常連客がいるとはね……マスター、あんた変わったな。その瓶と言い…」 「……」  人間社会で生きていく為、人間へ害をなさないという点では、二人の意見は一致している。彼らの同胞には当然、欲望のままに人間を食す者もいたが、そういう者達の末路は悲惨でしかない。彼らが好き勝手に生きていくのには既に、この世界の人口は多過ぎなのだ。  人間に害をなさないと意見が一致している二人にも、決定的な違いはある。決して人肉を食べないという銀次に対し、マスターは人の血を飲んでいることだ。銀次が拾われた頃のマスターは特に、人間を糧としてしか見ておらず、彼らとは一線を引く割り切った付き合いをしていた。
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