狂言結婚式を頼んだら

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「お願い。費用は私が全部出すから」  頭をテーブルにつきそうなくらいに下げる。  だけどこの部屋の主で目の前に座る疾風(ハヤテ)から返事はない。やっぱりムリなお願いだったろうか。  不安に駆られた私をよそに、疾風はスマホを取り出すといじり始めた。  何でこのタイミングで と、一瞬で怒りが湧くけど、よく考えれば疾風は人が大事な話をしている最中にスマホを見るようなヤツじゃない。  私は情緒が不安定みたいだ。  小さく息を吐いて気を落ち着かせる。 「……なんだよ、これ」  疾風がそう呟いてスマホをテーブルに置いた。画面に表示されていたのは、すい臓癌の生存率の表だった。  私には両親がいない。五歳のときに交通事故で亡くなった。以来育ててくれたのは母方のばあちゃんだ。  そのばあちゃんがしばらく前から背中が痛い、年寄りは嫌だねえなんて嘆いていた。万が一病気だったら困るからと私は訴え続け、ようやく今日重い腰を上げて病院に行ってくれたと思ったら、かなり進んだすい臓癌と判明した。余命は三ヶ月。  疾風もばあちゃんに何度か会ったことがある。私がどんなにばあちゃんを大切に思っているかをよく分かってくれていて、一緒に食事をしたり誕生会をしたり。私が頼んだことはない。毎回、疾風の提案だった。  疾風はちょっと難点もあるけれど、私を尊重してくれる良い彼氏だ。  付き合い始めたのは大学二年の夏で、先月交際が丸三年になったところだ。お互いに社会人一年生だから生活のすれ違いは多いけど、まあまあ仲良くやっている──と、私は思っている。 「……こんなに生存率が低いのかよ」  疾風が重ねていう。  そうなのだ。私も同じことを思った。  癌といったって今は治る病気だと考えていたけど、ばあちゃんがなったヤツはそうじゃなかった。 「だからさ、ムリを言っているのは分かっているんだけど、お願いします」  再び頭を下げる。  ばあちゃんがあと三ヶ月しか生きられないなんて信じたくない。だけどそれがもしどうしても事実だというのなら、私は全力で育ててくれた恩返しをしたい。  どうしよう、何をすればいいだろうと必死に考え、思い付いたのはばあちゃんの友達の妙さんに相談することだった。  妙さんは、カカカッと笑って 「そりゃ早雪(サユキ)ちゃんの花嫁姿を見せることでしょ」と言った。「八重子はいつも言ってるよ。『見るまで死ねない』って。早雪ちゃんをひとりにしたくないんだよ」  笑顔の妙さんの目は潤んでいた。  私はそんなことを言われたことはない。だけど確かにばあちゃんが考えていそうなことだ。すぐに恩返し第一弾はこれにしようと決めた。というか、これ以上の恩返しなんて考え付かない。  さっそく式場を探したら、挙式と写真のみの格安プランが見つかった。しかも今はオフシーズンで、来週の仏滅なら奇跡的に空いているという。平日だけど。  だから疾風にお願いしたのだ。  ばあちゃんのために私と挙式をしてほしい。なに、本当に籍をいれろということではない。幸せな花嫁姿を見せたいだけだから、結婚したふりで構わないのだ。費用──もし疾風のご両親が参列してくれるならその足代も──すべて私が負担するから、協力して下さい。  疾風なら引き受けてくれると思っていたのだけど、実際の彼はものすごく不満そうな顔をしている。 「ばあちゃんの癌の件は、わかった。でも結婚のほうは、何?意味がわかんないよ」  疾風はイラついているようだ。声音で分かる。 「ばあちゃんが早雪に頼んだならともかく、他人から聞いた話だろ。ほんとに望んでいるかはわかんないじゃん」 「……つまり疾風はやりたくないだね」 「そんな事は言ってないだろ。ばあちゃんの願いを勝手に決めつけて恩返し、っておかしいだろって言ってるんだよ。ばあちゃんが早雪に花嫁姿を見たいと言ったことはないんだろ?」 「うん、まあ……」 「もし本当の願いだったとしてもお前のばあちゃん、言動に気を遣う人じゃん。お前の負担になるかもしれない『結婚』とか『花嫁』なんて単語は、口にしたくないって考えだよあの人はきっと。  なのに早雪が先走ってウソの花嫁姿を見せて喜ぶとは思えない。こんなの早雪が『ばあちゃんを喜ばせることができた』っていうただの自己満足だね。  それよりかは直接ばあちゃんに希望を訊いて、叶えるほうが恩返しになる」  畳み掛けられた言葉にぐうの音もでない。  でも孫の花嫁姿を見たいというのは祖父母あるあるではないの?  ばあちゃんが私をひとりにしたくないと思っているのは事実のはず。両親も夫も病気で早くに亡くしたばあちゃんは、たったひとりで娘を育て上げた。  私はばあちゃんの弱音を一度だけ聞いたことがある。『がむしゃらにがんばってきたけど、頼れるような相手がいないのは淋しかった』そう言っていた。 「……ウソの花嫁姿とはバレないよ。ばあちゃんはもう、家にはあまり帰れないらしいから」 「そういう問題じゃないだろ」疾風は呆れたような顔だ。「もし死後の世界があったらどうする」 「死後の世界?」 「星になったばあちゃんは絶対に可愛い孫を見守ろうと考える」 「まあ、ばあちゃんなら」  だけどなぜ唐突にスピリチュアルな話に。 「そうしたら結婚はウソだったと即バレるぞ。ばあちゃんは余計に悲しむ」  なるほど、そう来たか。 「……分かった、もういいよ。この話はなかったことにして。疾風ならばあちゃんが喜ぶと思ったの。私の考え、浅くて悪かったね」  まずい、泣きそうだ。ばあちゃんの余命宣告だけでもキツイのに、疾風にまで理解されないなんて。私はただ、ばあちゃんに安心して旅立ってほしかっただけなのに。  立ち上がり、口をつけていないカップを手に取る。最初に買ったお揃いのものだ。この三年間のことがあれこれ脳裏によみがえる。疾風とは、もう終わりになるのかもしれない。 「あのさあ、早雪」  不機嫌が増した声に呼び止められる。 「なに」と顔を見ないで答える。 「俺はめちゃくちゃ怒ってるし、悲しい」 「悲しい?」  どういうことだと疾風を見ると、なんの感情なのかおかしな顔をしていた。 「だってバカにし過ぎだ。なんだよ、結婚するフリって。フツウに結婚でいいだろ」 「フツウに結婚?」  って何? 「『フリ』ってことは、本当には結婚したくないってことだよな」 「そんなつもりは!」  学生のときに付き合い始めて丸三年。すれ違いもケンカもあるけど、疾風よりいい人なんていないと思っている。社会人になってからは、この人と結婚するのかもと何度か考えはした。  だけど私はまだ22歳で大学を出たばかりのひよっこだ。結婚なんてまだまだ先のものだと思っていた。今は仕事を覚えるだけで精一杯。ばあちゃんをひとりにしたくなかったからいまだに実家暮らしだし、正直なとこ、働きながら家事をする自信はない。 「でも結婚ってそんな簡単じゃないでしょ。私たちまだ入社から半年も経ってないし」 「そんなこと関係あるか?そりゃ子供ほしいとか言われたら、もう少し一人前になってから育休取りたいと断るけど」 「育休!?」  話が飛躍し過ぎだ! 「結婚するくらい、入社半年だろうが十年だろうが何だっていいじゃん」  思いもよらない反撃に心臓はばくばくし、理解が追い付かない。  つまり疾風はウソの結婚式をやりたくないけど、本当の結婚だったらいということ?  ──いや、そうは断言はしてないか……な? 「結婚に簡単とか難しいとかあるのか?」疾風は、やっぱり変な顔をしている。「あるんだとしても、今はそんなもの関係ないよな。ばあちゃんのほうがずっとずっと重要だ」 「……うん」  涙がこぼれて頬を伝う。  ばあちゃんを重要と言ってくれる疾風。つい少し前は、もうこれで終わりかもと思ったのがウソのようだ。やっぱり私には疾風しかいないと思う。 「俺にとって結婚は『ばあちゃんに恩返しをしたいから』じゃない」 「……うん」  カップをテーブルに戻し、考える。私はなんて言えばいいのか。答えはすぐに出た。 「疾風と私の幸せな姿をばあちゃんにも見てもらいたい。ちょっと予定外に早いけど、私と結婚してくれるかな。疾風が大好きなんだ」 「よし、今すぐしよう」  疾風は満面の笑顔になった。が、すぐにしかめ面になる。 「俺だって式の段取りを考えたいし、費用だって出したい。何でもかんでもひとりで決めるな。楽しみを奪うな」 「うん、相談しなくてごめん」  ポロポロと涙がこぼれる。  立ち上がった疾風がそっと頭を抱え込んでよしよししてくれる。 「ばあちゃんのこと、ショックだよな。空回ってもしょうがなかった。ごめん、俺も大人げない怒り方だった」  うんとうなずくのが精一杯で、嗚咽が止まらない。 「早雪。俺、お前の家に越すから」 「え?」  疾風の勤務先に近いのは、こっちのアパートのほうだ。 「お前はばあちゃんと離れるのはイヤだろ?元から結婚するときはそうするつもりだったし、親にも話してある。しっかりばあちゃん孝行しろと命じられてるぐらいだ」 「ふへ?」  意外な展開に変な声が出る。親に話してあるって、どういうことだ。 「……早雪には悪いけどばあちゃんは七十を越してるから、残された時間はあまりない、結婚は早いほうがいいと思っていたんだ。来月の誕生日にプロポーズするつもりだった」 「疾風……」  疾風は私よりも、私とばあちゃんのことを考えてくれていたんだ。  そう気づいたら涙が滝のように流れ出した。疾風にしがみつく。  疾風はぎゅっと抱きしめてくれる。 「あとな」耳元で囁かれる声。「お前は言っておかないと、分からなそうだから。──俺は早雪が大好きだぞ。お前のいない未来は考えられないから」  ◇◇  ばあちゃんは妙さんが話していた通り私の両親が事故死して以来、私の花嫁姿を見るまでは死ねないとの気持ちでがんばってきたらしい。ばあちゃんは結婚報告に泣き、式の参列に泣き、疾風には幾度となく感謝の言葉を口にした。  この結婚がもし最初考えていたウソのものだったら、私は良心の呵責で苦しんでいただろう。  挙式が終わり退出用の扉の前で二人きりになったタイミングで、疾風にそう伝えた。それから 「彼氏が疾風で良かった」  と言うと疾風は満面の笑顔でうなずいた。  扉が開く。式に参列してくれていたばあちゃんや疾風のご家族、友人たちが笑顔で私たちを見ている。 「俺、池内疾風は!」  突然疾風が叫んだ。 「絶対に早雪と一緒に幸せになると、ばあちゃんに誓います!」  ワァワァと歓声が聞こえる。花も舞っているようだ。  きっとばあちゃんはまた泣いているだろう。だけど目が霞んで見えない。  この先、疾風とどんなにケンカをしても、この日のことを思い出せば乗り越えていけるだろう。  ばあちゃんもそう思うよね。
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