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「ややこができました」
私が仕事から帰って第一声、千代が言った。結婚して五年が経とうとした頃だった。
当時の私は、世話になっていた大工の親方から独立したばかりだった。私は、休まず仕事を続けていたせいか、足が多少不自由でも、どうにか一人前の仕事が出来るようになっていた。親方にも「よく頑張る奴だ」と褒めて貰っていた。独立を助言してくれたのも、親方だった。私も家庭を支える身である以上、それも良いかと思った。
しかし、自分一人で一から仕事を請け負うのは、思った以上に大変だった。生まれもっての口下手ゆえ、上手く客とやりとり出来ない。やっとの思いで仕事を貰えても、そもそも初期費用が足りない。今まで貯めていた儲けは、材料や道具、その他の必要物資に消えていく。生活は、あっという間に苦しくなった。
だから、私達が子をもうけるというのも、随分先の話だろうと思っていた。今の家計状況で子を育てる事など、不可能に近い。
私の思いを汲み取った千代は、真っ直ぐに私を見つめてきた。
「お金は何とかします」
自信を持って、千代が言う。
千代は、思ったよりも頑固だ。こうすると決めたら、必ず実行する。聞く耳を持たない。理不尽な我儘は言わないが、意志は強い。今回も、金が無いなどという理由で子を諦めるとは思えなかった。
翌日、千代は早速行動した。自分の嫁入り道具を売ってしまったのだ。母親の形見の着物も質屋に入れた。安い洋服を二着だけ残し、残りは全て金品に変えた。化粧道具の一つも残さなかった。
私は、千代の意志に沿う事にした。兄弟が多かったせいか、千代は元より子ども好きだ。一度も口には出さなかったが、千代自身は、随分前から子を欲していたのかもしれない。もしそうだとしたら、漸く授かれた子なのだから、喜びも一入だったのだろう。
ただ、千代の悪阻は酷かった。それでも、妻としての業務は怠らなかった。弱音も吐かなかった。
出産の兆しが見えたのは、家でいつものように家事をこなしていた時だ。すぐに千代は用意していたお金を握り締め、産婆の家まで走った。大きな腹を抱え、痛みに耐え、必死に駆けた。
産婆の家まで辿り着いた頃、子はもう産まれかかっていた。産婆に金銭を渡した千代は、己の家まで来てくれと頼んだ。当時、子の出産は、産婆を自宅に招きいれて行うのが通常だった。しかし、千代が渡したお金は足りなかった。
千代は、その時に履いていた靴と羽織っていた服も脱ぎ、産婆に握らせた。これを足しにしてくれと懇願した。それでもお金は不足していたが、産婆は千代の熱意に負けたらしい。
千代は裸足になり、殆ど肌着だけの姿で自宅へ帰った。そして、漸く出産に挑む事が出来た。
千代が産み落としたのは、やや小さめの女児だった。だが、息をしていなかった。
死産だった。
私は、仕事から帰って、千代が死した子を産んだ事を知らされた。千代は無表情のまま、頭を下げて言った。
「ごめんなさい」
私は、何を謝っているのだろうかと思った。どうしてそんな事を言うのかと思った。
千代は深く頭を垂らし、私を見ようとしなかった。肩が震えている。涙を堪えているのかもしれない。
雑巾のように汚れた肌着を纏った千代。何処を歩いたのか、傷だらけの足になった千代。私は、黙ってその手を握った。
それから一年後、千代は再び妊娠した。今度は男児だった。元気な子だった。障害もなかった。私達は、その子を洋介と名付けた。
私は、千代に白いサンダルを買ってやった。家計は相変わらず厳しかったが、小遣いを少しずつ貯めて購入した。千代は、目を潤ませて喜んだ。
私は、もう二度と千代が裸足で外を駆ける事がなくなればいい、と思った。
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