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 午後からの講義にギリギリ間に合う時間に家を出る。 正直のところ大学での学びはそれほど興味がない。 「女性が社会で生きていく為の武器は幾つあってもいいのよ」 幼い頃からママに言い聞かされた言葉。 容姿や話術、スポーツに各種習い事など、これらの殆どは生きている限りずっと磨き続けないといけないものだけど、学歴は学生の間だけ頑張れば一生ついてくるので効率が良いとママは言っていた。 私は生きる力が強くないことを自覚していたので、何とか努力して名を聞けば誰でも知っている大学に進学し、母のいう武器の一つを手に入れる足掛かりを掴んだ。 ただ将来の目標もなかったので、なんとなく楽そうな文学部を選び、卒業できる範囲の努力だけを惰性で続けている。  大学のある駅まで二駅。その間にラインの通知が届く。 愛海(あみ)からだった。 (そういえば話があるって言ってたっけ) 相手が分かると同時に用件も把握したので秒で返信をし、夜の八時に私の家で待ち合わせることになった。  夕方。学校帰りに街へ向かう、ママの誕生日プレゼントを買うためだ。 大学のある駅から自宅とは反対側に向かって二駅目、いくつかの線が乗り入れているターミナルステーションらしくそれなりに発展している。 右を見ても左を見ても人人人、視線の先の先も人だらけ、四面楚歌な気持ちになりながら伏し目がちに歩を進める。 今日はオーバーサイズのパーカーを着ているけど、頬にあたる熱感はもっさりとした長袖の季節の終わりを告げている。 実際、さっきから額にうっすらと汗を光らせながら薄着で歩く人達が視界に入って来ていた。 (半袖の季節か、嫌だな) すぐ目の前まで迫っている眩しい日光を想像し、自分が作る影の中に逃げ込みたい気持ちになった。 買い物はすぐに終わった。毎年ママへ贈るものは決まっているので、迷うのはデザインくらいだけど、今年はずっと心に決めていたテーマがあったので全然困らなかった。 約束の時間まではまだ時間があったので、目に付いたチェーンのカフェに入り一番奥の目立たない席に腰を下ろす。 私はすぐに疲れるし、無駄に時間を食い潰すことに罪悪感もないので、社会不適合者なんじゃないかと薄々感じているのだけど、生まれ持った気質は変えられない。 そうじゃなくても私の心身には深く抉られた傷が刻まれている。 出来損ないの私が大人になった姿なんて全く想像できない。 注文はアメリカン。こだわりではなくブレンドより量が多いから得した気になるだけ。 小さなタブレット端末とペンタブを手に取って、アプリを立ち上げ中断していた作業を続ける。 さらさらと走るペンタブは裸体で重なり合う男性の姿を(えが)いていく、所謂BLというジャンルのイラストだ。 中学生の時分に足を踏み入れた腐女子の世界はとても居心地が良く、初めは鑑賞するだけで満足していた漫画やイラストを見よう見まねで描き始め、気が付けば同人誌即売会で列が出来るほどのBL作家になっていた。 界隈ではそこそこの有名人にはなったけど、そのことは身近の人間には言っていないし、極力顔出しも避けている。 人生の中でスポットライトを浴びせられるなんてまっぴらだし、普通人の感覚では頭のおかしい人間だと思われるのが関の山だったから。 カフェではアイデア出しのラフを描く。 人に見られていると、それが簡単な猫のイラストだとしても恥ずかしくて描けないので、本気の線は家までとっておく。 何パターンかのラフを仕上げたところで程よい時間になったので、重くなりかけた腰をあげ店を後にした。
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