行く先

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 初めは崇高な文学を極めようと思って居たはずなのに。如何(どう)してこうなってしまったのか。元はと言えば私の名でなら何でも()いと、出版社に日記を渡した妻のせいだ。あんな物を公開する気は無かった。私の子を孕み腹を膨らませた女で在っても、嫌悪感は消えなかった。赤子には触れた事がない。こうなる前は、妻を愛していた筈だ。大事にしておきたかった。妻子を慈しみ、志高く生きようとしていた。今や私の名は地に落ち、初期の作品は忘れられ、人の好奇心が日常の糧を与える屈辱の日々。刃物は腕に傷を残したが死に損なった。入水したが生き長らえた。私は生きながらにして死んでいる。  私は女を抱き、心中を企てる。其処に愛なぞはない。私は死ぬ為に女を利用する。女も同じだ。愛だの恋と自分に酔い()れ、(まま)ならぬ世から逃げ出す口実を探している。女は私の生きた証を残せと云う。其れは私でなくとも好い。私は消したいと願う。死んでも世の中に残り続けるのだ、此の不甲斐無い私の姿は。永遠に。憤りの儘力任せに腰を突き出すと、女は身体を仰け反らせた。  此処からは一人で行くわ、然様なら、と女は足を踏み出す。女は振り返る事もしなかった。自らの行き先を決めた、軽やかな足取りだった。私は只立ち竦んだ儘空を見上げた。雨は上がり晴れ間が覗いていたが、向かう先は何処にも無い気がした。
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