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「毎朝灰太くんが来てくれるから暇しなくていいや」
応急セットの備品を確認しながら、宮先生は言う。彼女のコップに入ったコーヒーの湯気は、どんどんと薄くなっていた。
「迷惑、じゃないですか」
否定されることなんてないとわかっているくせに、僕は自分の確認作業のためにそんな問いかけをする。
「ん? 何が?」
宮先生はいかにも自然な素振りでそうとぼけた。僕の期待していた通りの反応だった。そもそも迷惑だなんて考えたこともないけど? みたいな顔。
この温さが、宮先生の優しさなのだ。
「いや、なんでもないです」
「そう」
僕はずるい。宮先生はあくまで『先生』で、彼女はその枠組みから外れないようにしか僕と関われない。もし、仮に宮先生が本心では僕のことを疎ましく思っていたとしても、だ。
この部屋は、家なんかよりもずっと居心地がいい。だからこそ、僕はそんなつまらないことばかり考えてしまうのだ。今まで、期待したって仕方がない人生だったから。せめて失望が少なく済むように、幸福の味に溺れ切ってしまわないように、いつも心のどこかで裏切りに備えている。
「見て。この花ね、実家から送ってもらった種から育てたの。クレマチスっていうんだって」
僕がもっと幸せに触れ慣れていたら、このピンクの花びらを見て、素直に綺麗だと思えるのだろうか。華奢な花が、宮先生がこの花を育てるに使ったであろう時間が、いつか枯れることを想像して、勝手に悲しくなったりせずにすむのだろうか。
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