結婚

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 ある日、身に覚えのない一冊の本が届いていた。 『結婚詐欺マニュアル』  その本はまるで地域のフリーペーパーのように家のポストに入っていた。文庫本サイズでページ数は多くはない。とりあえず居間に置いてあったこの本を何となく開いたのは届いてから数日後の事だった。ちょうどテレビのCM中、手持ちぶさたになりテーブルの上に投げ置かれていたこの本を何となく手に取ったのが始まりだ。  内容はタイトル通り結婚詐欺を行う方法。詐欺師の手口を紹介しているのではなく、どのようにして相手を騙すか、いかにして近づき相手に自分を惚れさせるのか、そしてどのようにしたら多額の慰謝料を請求出来るのかなどが事細やかに書かれていた。そして最後のページにはご丁寧に使いやすい婚活サイトが数件乗せられていた。  私は丁度結婚を考え始めなければならない年齢だった。職場には相手はおらず、親から無言のプレッシャーをかけられてきた頃だった。一応活動した、こう言えば聞こえは良いだろうと思い婚活サイトに登録した。  もちろん詐欺をしようと思っていたわけではない。しかし、このサイトを使い相手が見つかり結婚できたとしても結婚生活が幸せとは限らない。現に今まで婚活らしい事をしてこなかったのも結婚に対してプラスのイメージが無いからだ。他人と生活し、自由は減り、結婚は人生の墓場なんて言葉もよく目にしていた。しかしこのマニュアル通りに行えば最終的には離婚、そして多額のお金まで手には入るという、いわばノーリスクハイリターンな婚活となるのだ。  私はこの日からこの『結婚詐欺マニュアル』を熟読し、そして行動へと移していった。  婚活サイトに登録した内容を参考に相手が選ばれ、実際に会う機会が設けられた。相手は地味でパッとしない印象、いわゆる道を歩けばぶつかるような大多数の人間に近い人物であった。私はここでマニュアル1を思い出す。 『マニュアル1:相手がよく見かける様な、いわゆる凡人タイプの人間であった場合それはチャンスです。大多数が特徴も長所も無い事を理解しそこにコンプレックスを抱いている場合が多いからです。こちらから相手に興味を示しているという反応を続けましょう。』  婚活サイトがマッチングした理由は共通の趣味を持っているという事だったので、趣味の話から互いの生活の話しへと会話を進める。初めは互いに探り探りといった印象の会話であったが30分という決められた時間は気が付けばあっという間に過ぎていた。  互いに別れの挨拶を済ませ、連絡先を交換した。そして数日後にマニュアル2を開始した。 『マニュアル2:連絡を待つのではなくこちらから連絡しましょう。相手がよい反応を示さなければ警戒している証拠です、次の相手を探した方がいいでしょう。よい反応がみられたら短い時間でもいいので面と向かって会話をする機会を作っていく事が大切です、一回の質より回数を重ねることを意識しましょう。』  始めは仕事後の食事程度。次第に現地集合せず駅で待ち合わせをしてから夕食を食べに行く、待ち合わせを早めにし買い物をする、休みの日に食事、一日を使い買い物をする。順を追って会う機会を増やし、そして互いを知っていった。  そしてマニュアル3の出番となる。 『マニュアル3:事前に同棲をしてお互いを知る事は危険です、それは相手に分かれる理由を探させているようなものです。結婚を決めたら早めに式を挙げましょう、結婚式を挙げれば相手の警戒心も薄れます。相手の涙でアナタへの本気度が分かることでしょう。逆にアナタも涙を流し相手に本気であることを見せることが重要です。』  結婚式は無事に成功した。新郎新婦だけでなくその家族までもが涙を流すようなとても良い式になった。しかし式の最中に私は次のマニュアルを思い出し、気を引き締めなおしていた。 『マニュアル4:さあ同棲です。ここが詐欺の正念場となります。相手の様子を見ながら、なおかつ自分の意見も言いつつ生活しなくてはなりません。相手のわがままばかり受け入れていたら怪しまれてしまいます。自分の意見ばかりを言い続けていたら相手から離婚を言い渡されてしまいます。ポイントは持ちつ持たれつ、たまに口論になる喧嘩もしつつガス抜きを、です。そして最終的に相手の意見を受け入れつつ自分の意見も通すような、6:4ほどの割合で互いに譲歩しあえるように意識すると良いでしょう。』  コレがなかなか難しかった。当然ながら生活をともにすると大小さまざまな不満が出てくる。やれ生活のリズムが合わないだ、食事が口に合わないだ、テレビの音から風呂の温度までもが口論の対象となった。しかし何とか互いの意見を受け入れ、そしてお互いが納得するような解決策を見つけていった。生活が安定してくると自然とマニュアル5の状況となった。 『マニュアル5:ここまでくればあと少し、夢の大金まで手が届くところに来ています。しかし焦らず慌てず行きましょう。結婚生活は大変です、しかし落ち着いてきた頃を見計らって子育てへと気持ちを移していきましょう。子供への愛情は最大限に、しかし相手がいたからこその子供ですので相手への感謝も忘れぬようにするのがポイントです。子供は意外と親を見ています、仲良くしているように見えないと親権争い時に不利となってしまいます。親権を得ることが良い親、そして多額の慰謝料をもらうポイントともなるのですから。』  この頃になると心配事はほぼ無くなった。結婚生活で互いに乗り越えなければならない部分は乗り越えれたし、子供は言わずともかわいいものだ。自然を愛情はそそがれ、私たちは家族と呼ばれるにふさわしい生活をおくることが出来た。  しかし生活が安定して心地良いものとなっていくにつれ、心に引っかかることが出来てしまう。それはこの『結婚詐欺マニュアル』だ。  これのお陰でこのような幸せを手に入れられたという部分では感謝だが、元をたどれば最悪詐欺をしてお金を手に入れれたらいいという甘く最低な考えからこの結婚は始まったのだ。  この事は墓場まで持っていこう、そう思っていた。気が付けば子供は成人し、親の手を放れ。再び二人となった時に私は一人での生活を考えることが出来なくなっていた、しかし罪悪感を抱えたままの生活も辛かった。  私は意を決してこのマニュアルを相手に見せた。相手は涙を流したが、なぜか笑っているようにも見えた。  そして相手のポケットから出てきたのは、もう一冊の『結婚詐欺マニュアル』であった。
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