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困っているところへ、回診を終えた院長が戻ってきた。
「ちょっと長谷川さんを借りるよ」
院長は、そう介護士長に言い置いて、私を院長室へと促した。
院長室で、また、応接セットのソファに座り、院長が口を開く。
「事情は分かった。本当にキャンセルが必要なら、仕事中に1〜2時間抜けて行けるようにしよう」
良かったと思う反面、何かが引っかかる。
本当に必要なら?
必要に決まってるじゃない。
彼とは、何があってもやり直す気はないし、やり直そうにも、現在、夜逃げ状態だ。
「ここからは、院長としてではなく、一個人、水村 怜として言う。俺にバージンロードを一緒に歩く役じゃなくて、祭壇の前で待つ役をやらせてくれないか?」
祭壇の前で待つ役って……
「院長?」
私はにわかには信じられなくて、思わず院長の顔を見上げた。
バージンロードを歩く役は父親役よね?
でも、祭壇の前で待つのは……
「10年前、高卒でここに来た君は、まだ未成年だった。そして、俺はまだ研修医として、時々ここに宿直のアルバイトに来るだけだった。どんなにかわいいと思っても、手を出しちゃいけないと思ってた」
うそ……
そんなの聞いてない。
「本院で正式に働くようになると、忙しくて恋愛どころじゃなくなった。そして、3年前、ここの院長を兼務するようになった時、君にはもう恋人がいた」
院長は、悔しそうに眉間にしわを寄せる。
「だから、諦めたけど、もう諦める必要はないだろ? 俺なら、絶対、浮気なんてしない。一生、君を守るよ。だから、俺と結婚しよう」
そんなこと、考えたこともなかった。
「でも、やっぱりダメです」
私は、首をゆっくりと横に振る。
「俺じゃ、ダメなのか?」
院長は、寂しそうに悲しそうに呟く。
「違うんです。他の人と結婚するために用意した場所で結婚するなんてダメだって言ってるんです」
私は一生懸命言葉を選びながら答える。
「院長は、とっても素敵な人だから、院長のことを心から愛してくれる人と、院長のために用意した結婚式場で結婚してください」
私みたいな傷ものじゃなく……
すると、院長は私の左手にそっと触れた。
「俺は、俺が愛する人と結婚したい。だから、俺が結婚するのは君しかいないんだ」
そう言って、私の薬指の根元に触れる。
どうしよう。
恥ずかしい。
院長にこんな風に触れられるのは初めてで、思わず手を引っ込めたくなる。
「介護士が唯一身につけられるアクセサリー、知ってるよね?」
私はこくりとうなずいた。
「それを俺に贈らせてくれないか?」
介護士が唯一身につけられるアクセサリー、それは結婚指輪しかない。
「あの……」
私は返事に困ってしまう。
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