4.心に降る雨

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4.心に降る雨

 帰宅しひとり寝室で彼女から渡されたペットボトルの水を飲んだ。そして思う。どうしてあの時彼女は深く唇を重ね合わせてきたのだろう、と。彼女がうちの会社にいた頃私に好意を寄せていた、なんてことはあるはずもない。彼女には恋人がいたはずだし。ひょっとして、と思う。彼女は何か勘付いていたのかもしれない。あるいは誰かから聞いて私が妻を亡くしたことを知っていたのかもしれない。あれはしょぼくれた元上司への彼女なりの叱咤激励だったのだろうか。 ――しっかりしてください、塚本主任!  そう言われたような気がした。ああそうだ、思い出した。あの時年若い彼女から励まされようやく目が覚めた気がしてこう答えたんだ。 ――うん、そうだね。ごめん、よしもう立ち直った!  私はふと思い立ち引き出しから妻の遺した小さなノートを取り出す。パラパラと頁を捲り最後の頁に書かれた私宛てのメッセージに目を落とした。妻が亡くなった後、一度読んだきりのメッセージ。なぜだかわからないが今無性に妻からの言葉を読み返してみたくなった。そこには几帳面な字でこんなことが書かれている。 『あなたと美夏を残して逝ってしまう私を許してね。美夏は急に母親を亡くして悲しむでしょう。でも大丈夫よ。美夏は強い娘だから。私とあなたの子ですもの。きっと乗り越えてくれる。むしろ心配なのはあなたの方。強がっていてもあなたはひとりでは生きられない。だからお願い。美夏が大きくなってからでもいい。少し心を休ませてからでもいい。いつか再び人生のパートナーを見つけてください。』  涙が溢れた。もう枯れたと思っていた涙が再び私の中から溢れ出す。今夜の口づけが私の渇き切った心を癒し、潤してくれたのかもしれない。 ――ね、やっぱり雨女でしょ?  彼女の言葉が蘇る。彼女がもたらしてくれたのは情熱的なスコールではなく優しく慈しむような雨。 「慈雨(じう)、か」  私は独り言ちる。どうやら私の心はまだ死んだわけではなかったようだ。もう一度他人と深く関わることへの勇気をもらったような、そんな気がした。長い長い休みが終わったのかもしれない。長い長い心のお休みが。  翌朝、いつもより早く起きた私は母に声をかける。 「なぁ母さん」 「ん? どうしたの? 今日は早いのねぇ」  キッチンで味噌汁を作りながら母が言う。 「一昨日(おととい)言ってた見合いの話、詳しく教えてよ」  私の言葉に母は驚いたようにして振り返り、にっこり笑って頷いた。 了
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