27人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
2.秘密の休日
古くなった我が家を見上げながらそんなことをつらつらと考えていた私は、大きなため息をつき首を横に振る。
「行ってきます」
誰にともなくそう呟くと前を向き歩き始めた。いつもなら曲がるはずの角を真っすぐに進みいつもとは違う路線の電車へと乗り込む。今日は有給休暇を取っていた。母には言っていない、秘密のお休みだ。だからと言って別段疾しいことがあるわけではない。何となくひとりで自由な時間を持ちたいだけだ。ここ数年、こんな休みを数か月に一度取るようになっていた。ひとりで街をぶらぶらと歩きひとりで居酒屋にでも行って酒を飲み帰宅する。これが意外なほど気分転換になっていた。母に内緒にしている以上スーツで家を出なくてはいけないのは窮屈だがまぁ仕方ない。中年男性の場合スーツ姿の方が人混みに紛れて不要に人目を引くこともないという利点もある。
その日も一日のんびりと過ごし日が暮れかけた頃、公園のベンチに座り飯を食う場所をスマホで検索していた。と、誰かが私の方に近付いてくる気配がし視線を上げる。
「塚本主任じゃありませんか?」
そう言って私の顔を覗き込むようにしてその女性は言った。どこかで見覚えのあるような……。
「あ! 雨宮さん? 前に派遣で来てくれてた」
女性はにっこりと微笑んで頷く。雨宮さんというのは自分がまだ三十代前半で主任をしていた頃、派遣社員として我が社で働いていた女性だ。確か当時まだ二十代半ば頃だったように思う。と、すると今はもう四十代半ば。だが……。
「いやぁ、雨宮さん変わらないねぇ! 僕なんかすっかりオジサンだっていうのに」
私だってオバサンですよと言って彼女はころころと笑う。その笑顔はとても四十代には見えなかった。三十代前半でも十分通用するだろう。抜けるように白い肌は相変わらずだし涼やかなその目元には皺ひとつない。
「今日はもうお仕事終わりなんですか? いつも遅くまで残業してるイメージでした」
「うん、実は今日はお休みなんだ。たまには家族に内緒で休みを取りたくてさ。それでこの格好ってわけだ」
私は自分のよれたスーツを指差して肩をすくめる。
「自由気ままな秘密のお休みってわけですね。人生お休みも大切です」
彼女は悪戯っぽく笑う。
「まぁそんなとこ。雨宮さんは? 仕事終わったとこ?」
「はい、いつも定時にしっかり帰らせてもらってます」
「それが一番だよ。あ、ご結婚は?」
彼女はゆっくりと首を横に振る。何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして私は慌てて謝った。
「ああ、ごめん。こういうのセクハラになっちゃうね」
雨宮さんは「いえいえ」と言って笑う。そんな彼女を見て私はふと思い立った。
「そうだ。もしこの後予定ないんだったら飯でもどうだい?」
彼女は人差し指を顎にあて小首を傾げる。ああ、そうだ、この癖。何となく覚えている。実は彼女が派遣されてきた時、かわいらしい女性だと密かに胸をときめかせたものだった。当時私は既に結婚しており娘もいたのでどうこうするつもりは毛頭なかったが彼女と話しをするのは楽しかった覚えがある。
「はい、ぜひ。私も予定ありませんし」
最初のコメントを投稿しよう!