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「リコちゃん、僕はどうすれば」 「断るのよ、一旦」 「一旦?」 「そう、もう少し時間をくださいって」 「時間?」 「だから、民法改正を待つの! さっきから言ってるじゃんよ」 「民法?」  選択的夫婦別姓。  ……その言葉に聞き覚えはある。  なにやら数組の夫婦が署名などを集めて国を訴えて、裁判沙汰になっていた案件だ。たしか最高裁から違憲ではないと棄却されたはず。自分には関わりがないニュースと思い、あまり興味は持っていなかった。 「選択的夫婦別姓なら、ママは緒方マリ。あたしの苗字も緒方のままよ」 「それまで待ってほしいと?」 「そういうこと!」 「うーむ」  僕はふと、壁掛け時計に視線をうつす。時刻は8時58分、いよいよ朝礼の時間だ。こんなところでこれ以上、リコちゃんと話し込んでいるわけにはいかない。  彼女の主張はだいたい分かった。苗字に関しては、今後も最大限の熟慮をしよう。ただ、そもそも今日これからはじまる朝礼のあと、いきなりプロポーズされるだなんて、やはりあまりに信じがたい。普通の人は、そんなタイミングで結婚の申し出なんてしてこない。  きっとなにかの間違いだろう。  でも、いつか来るであろう結婚というタイミングでは、リコちゃんの思いを叶えてあげたいと思った。 「考えておくよ」 「絶対によ!」 「ああ、熟慮する」 「頼んだわね」  そう言いながら、右腕につけたデジタルの腕時計に視線を向け、慌てた表情でひきだしに向かっていくリコちゃん。片足をひきだしの中にすっぽり入れたところで、もう一度こちらを振り返る。 「じゃあね、パパ。元気で」 「君も、元気でね」 「会えてよかった」 「ああ、僕も嬉しかったよ」  リコちゃんは両手をかるく左右に振り、さよならの合図を僕に送ると、そのまま勢いよくぴょーんとひきだしの中に飛び込んでいった。  彼女がいなくなった途端、ぴしゃりと威勢よくひきだしが閉まり、それからはいつもの静寂が部屋に戻ってきた。
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