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1.
商店街に西陽が当たっている。
与志夫は生まれ育った履物店の店先から、橙色に染まる道向かいの店舗を眺めていた。
この景色を見られるのは、これが最後かもしれない。廃業を決意してからというもの、与志夫は何かにつけてそんな感傷に襲われる。
石畳の隙間から顔を出す白い花。木枯らしに揺れる街路樹。子どもの頃から当たり前にそこにあったものたちを、別れることになって初めて、愛しく、名残惜しく感じてしまうのだ。
明治からの老舗、左藤履物店は、明日の営業を最後に閉店する。十坪の店舗は、翌月には携帯電話店になることが決まっていた。
店主がコンピューターに疎く、ホームページもないこの店が、スマホの販売店に生まれ変わるなんて皮肉な話だ。
ガラガラと引き戸を開ける音がした。
与志夫が目を向けると、斜向かいの古本屋から若主人が出て来る。道を渡る彼の履物は、樹脂製のコロンとしたサンダル。甲に丸い小さな穴の空いた外国製のつっかけは、十五年ほど前から季節を問わずよく見るようになった。
「左藤さん、明日が最終日ですか。寂しくなります」
吊るし飾りのように店頭に提げた布草履の隣で、若主人が微笑を浮かべて立ち止まる。
「長い間お世話になりました」
頭を下げた与志夫の背後から、若い女の声が罵った。
「なんだい、古本屋の鼻たれ坊主め。寂しいなんて言って、ここの草履ひとつ買ったこともないくせに」
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