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「嫁の来手がないのを店のせいにするなってんだ、このバカちんが」
与志夫にも耳の痛い悪態は、さいわい若主人には聞こえていない。
「明日の閉店後に改めて、ごあいさつに来ますから」
彼がそう言って石畳を渡っていくのを見送り、与志夫は小さくため息をついた。
「キヨ、」
振り向くと、仏頂面で顎を上げた若い女が、腕組みをして立っている。
「なんだい?」
「後ろからヤジを飛ばすのはやめてくれよ。向こうに聞こえないのはわかっていても、居心地が悪い」
「ふん、あたしだって客に文句言ったりしやしないよ」
キヨがぷいっと顔をそむければ、後ろで束ねた長い黒髪がサラリと揺れる。白い着物を着たその体の後ろに、薄暗い店内に並ぶ草履や下駄が透けて見えていた。
「やれやれ、今日はずいぶん機嫌が悪いね」
「大人ぶった物言いをするんじゃないよ、この寝ションベンたれ」
「六十五年前の粗相をいつまでも責めないでくれよ」
「あたしにとっちゃ、つい昨日のことさね」
創業百五十年の左藤履物店に居座る幽霊、それがキヨだ。本人曰く、与志夫の先祖である創業者への怨みから、代々の店主を祟っているらしい。祟ると言っても何か悪さをするわけでもなく、店舗と二階の住居をふらつき、ぶつくさと悪態をつく程度である。
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