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 左藤履物店の最後の客は、先代の頃から贔屓にしてくれた老婦人だった。良家の夫人らしく和服をきっちりと着こなした彼女は、愛用の草履を修理に持ち込み、(はなむけ)のつもりだろう、高級な礼装用の一足を購入してくれた。 『佐藤千代子様』  領収書に宛名を書いて渡す。千代子はそれを受け取ると、寂しそうに目を伏せた。 「本当に残念です。同じ名前のよしみで、義母(はは)もお世話になりましたのに」  佐藤姓は全国に二百万いる。けれどどういうわけか、与志夫の苗字には人偏がつかない。そのせいで宛名書きは八割がた間違われ、「の左藤」と揶揄され続けてきた。 「私の方は人でなしですがね」 与志夫がなじみの自虐ネタを返すと、 「まあ! 人でなしだなんて」 千代子は何がそんなにおかしいのか、ころころとよく笑った。そして真っ白い足袋を直したての鼻緒に通し、満足そうに微笑んだ。 「こんなふうに仕上げてくださる履物屋さん、他にはいらっしゃらないわ。人でなしのお店なら、もう少し長生きしてくださればいいのに」 「誠にあいすみません」  心から謝りつつも、惜しまれる喜びに胸が温かくなる。  与志夫と同世代と思われる千代子は、笑顔を少し伏せ首を横に振った。 「孫が着ていた浴衣がね、着物と帯と下駄までセットで九千八百円だそうですよ。でも、着物の縫製は雑、鼻緒の穴なんて切り口がガタガタで木がささくれ立っていました。そんな時代なんです。  左藤履物店さんが今日まで営業を続けてくださって、私はとても、ありがたかったですよ」  最後にこんな温かい言葉をかけてもらうなんて、履物屋冥利に尽きるじゃあないか。与志夫は涙を堪え、頭を下げた。 「長い間お引き立ていただき、ありがとうございました」
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