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 千代子を見送ったときには、もう晩秋の陽が落ちていた。客がいなくなるのを待っていたのだろう、商店街の仲間が次々とあいさつにやって来る。誰もが惜別の言葉を述べ、名残惜しげに古い店内を見回すが、餞に商品を買うものはいない。懐が寒いのはみな同じなのだ。  一ヶ月前から表に貼り出していた「閉店のお知らせ」を剥がしていると、「まるや」から出て来たのは、珠枝の息子だった。 「お母さんはお元気ですか」  今朝、洗濯物を干す姿を見たばかりだが。一通りのあいさつが済んでから何気ないふうを装って聞くと、 「お陰さまで」 と微笑んだ後、彼は父親似の広い額をつるりと撫でた。 「くれぐれもよろしくと言付かりました。閉店だけでなく左藤さんがお引越しもされると知って、母は相当ショックだったみたいです。きっと泣いてしまうから、ごあいさつは失礼しますと言っていました」  彼女の泣き顔を最後に見たのはいつだろう。泥団子を差し出してくれた幼い頃の珠枝の笑顔が思い出されて、与志夫はひとり目を細めた。 「新生活に入り用なのもがあれば遠慮なくおっしゃってくださいね」  母親からの伝言を最後のあいさつに、和菓子屋の店主が店に戻っていく。  閉店の時間だ。  与志夫は深呼吸をすると、背筋を伸ばして店先に立った。そして商店街に向かって深く、頭を下げた。 「お世話になりました」  誰にも聞こえぬ声で、積年の礼を述べる。するとどこからか、パンパンと手を打つ音が聞こえてきた。その音はどんどん増えて盛大な拍手になり、すっかり暗くなった商店街にこだまする。辺りを見回すと近所の仲間が、店先から、二階の窓から、与志夫に温かな微笑みと労いを贈ってくれていた。和菓子屋の前には店主の隣に珠枝が立ち、涙ぐみながら拍手をしてくれている。
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