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それから幾時が過ぎたであろうか、陽が中天を跨ごうとしている頃に弥兵衛は目を覚ました。そこには己の他には倒した男の遺骸が二体転がっているだけである。それにもかかわらず、己に対する殺気が充満しているのだ。しかし、襲っては来ない。この明るさの中で脇に置いていた闇星の剣を、不思議に思いながら握り絞めた。何処にいるのか。顔を中天に向けながら気配を窺っていた時、僅かな空気の動きを感じて顔を左に向けた。そこには五間(九m)ほど離れ、幻影のような人の姿が目に付いた。まだ大麻に冒されているのかと思いつつ、立ち上がり闇星の剣を抜いた。
「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」と、女の笑い声が響いた。
「お前は、女か」
「女では、悪うございますか」
袴姿で長い髪を後ろ手にたらした女が、妖艶な笑みを見せながら反発した。
「ならば女にして、ここの頭なのか」
「女、女と小賢しいお言葉どすが、女でも頭が務まります」
「その頭が大麻を売り払うのは、どんな商人だ」
「そんなことは、お答えする訳がおまへん。それよりも、ここの大麻を全部焼いてしまわはったのは、どこの誰どすかいな」
「焼くと言うより、焼かしたのではないのか」
「それは良くご存じどすな。ちょっと腕のほどを試させてもろおただけどす。こんな大麻畑は、作ろうと思えば直ぐどすさかい」
「そうか。そんな力が伴うのは、かの早良親王のお蔭なのか」
「まあ、嫌なことをゆわはるお人どすな」
口元を一瞬歪めた女が、再び笑みを見せた。
「洞穴の煙で、好くご無事どしたな。あそこで燻すと煙が抜けるのに時が掛かりますさかい、ここに来るのが遅れました。もう少し早かったら、手軽にお命を頂きましたものを」
嘯く(うそぶく)ように話した女が空中に浮遊し、手を上げると後背から短剣が弥兵衛目掛けて投げられて来た。次々と来る短剣を闇星の剣で断ち切っていると、幾度目かに切断した短剣の切れ端が左の二の腕に当たり、作務衣を切り裂いて鮮血が滲み出していた。
「良く抗いなされましたが、そろそろお終いどすか」
血に染められた作務衣を見た女が、声を掛けて来た。そこに向かいの高台から星影の飛剣となる十字手裏剣が飛来し、女の後背にいた男二人に突き刺さった。一人は喉元にくい込んで絶命させ、もう一人は脾腹を切り裂いており舌を噛み切って死の直前にいた。
「なんとしたことどす」
長い髪を翻した女が、高台から飛翔すると洞穴に走り去った。同時に源四郎が追おうとしたが、弥兵衛は呼び止めた。間も無く洞穴からは煙が漏れ出て来た。
「あれは大麻を燻した煙です。私も眩暈がしてしまいました」
こちらの高台に移って来た源四郎に話した。
「それにしても危ない所を助けて頂き感謝します。女が浮遊し短剣を投げて来るとは思いもしませんでした」
「やはり大麻の効き目は凄いもんどす。女は少し高い岩の上で手を上げておっただけどして、短剣は後ろにいた男が投げとりました。あの岩の後ろに倒れている男どす」
「そうでしたか。私も目眩ましにあっていたようで、情けない限りです」
「いや、やはり大麻どす。あの朝倉藩の侍達も、あの後で何を思ったのか女に誑(たぶら)かされたと、燃え盛っている小屋を目掛けて嬌声を上げながら走り込んで行きよりました」
舌を嚙み切っていた男が絶命し、高台は静寂に包まれた。この地を囲む山並みを見回していると、北の方から徐々に冬枯れの山容に変わって来ている。
「おっと、これからこの地が元の姿に戻るようどす。急そがないと出れなくなる恐れがおます」
源四郎に促され、二人は南の洞穴へ駆け出していた。洞穴に入ると弥兵衛は闇星の剣を、源四郎は星影の飛剣を闇へと返し、寺の境内から山門へと向かった。境内には、この寺の老僧から厳学と呼ばれた僧が怪訝な顔をして見ていた。そんな目を無視するかの如く、二人は山門を出ると待っていた平助と落ち合った。
「戻りが遅おましたな」
「少し大麻に冒されたようでした。山暮らしの男達と子供は、如何しました」
「ここから賀茂川沿いの道で、山に帰ると喜んで行かはりました」
「そうでしたか。それで、一つは片付きましたが、難題が残ったようです」
「それは何どす」
「源四郎さんが小屋で見た女がここの頭となっており、なかなか一筋縄では行かない人のようです」
この寺から南へ向かうと、やがて神社が現れその参道にあぶり餅の暖簾を掲げる店があった。昨日から何も口にしていない三人は、この店に入り幾ばくかの腹ごしらえをしていた。ここから船岡山を越えて帰ると言う源四郎と別れ、二人は大宮通りを南へ下った。大麻に気を損なわれた弥兵衛は、暗澹とした気分で歩いている。
「あんまり気落ちせんと、前向きに行きまひょ」
四条室町の別れ際で平助が言い残した言葉に、幾分癒された心持にさせられ麩屋町通りに入った。
「弥兵衛はん、その二の腕の怪我はどうしやはった」
夕方になっていたが、大黒屋の前で女友達と話していた智里に、目敏く見つけられてしまった。直ぐに女友達と別れた智里に有無を言わせず大黒屋に連れ込まれ、あたふたとする父親を横目に奥の居間に座らされた。切り裂かれ血が固まった作務衣と襦袢を脱がされ、半裸にされた左腕に、女中が持って来た焼酎を垂らされた。じわっと沁みて来る痛みに耐えていると、血を拭き取られ、膏薬を塗った布を傷口に宛がわれると晒を巻かれた。智里の手際の良さに感服し眺めていると、傷を負わされた女の顔を思い出していた。女の美しさに引けを取らないが、それを現す言葉に大きな違いがあるように覚えた。それは清純さと妖艶さか。そんな弥兵衛をきりっと睨み付け、智里が言った。
「昨晩、寝つきが悪うて、北の方を見てましたら雲がぼやっと赤う染められとりました。あないなこと滅多におまへんが、この刀傷と繋がっとるやおまへんか」
「いや、そのようなこととは繋がりはありません」
弥兵衛はこのように答えたが、大麻を焼失させた火が洛中から見えたのには驚きを隠せなかった。何か不満そうな智里に礼を述べた弥兵衛は、新たに渡された襦袢を身に着け、丹前を羽織って不動寺に戻った。
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